※本ページ内の情報は2025年8月時点のものです。

農業の世界では、元銀行員という異色の経歴を持つ株式会社誠和の代表取締役、大出浩睦氏。全くフィールドの異なる家業を継ぎ、創業者一族としての重圧を力に変えながら、「農家の役に立ちたい」という思いを胸に、組織改革とイノベーションを推進している。その経営哲学と「世界をワクワクさせる」というビジョンについて詳しく聞くとともに、異業種への挑戦や変革を目指す方にとって、ヒントになる考え方についても探ってみたい。

銀行員から農業の世界へ。父との約束と継承の覚悟

ーー銀行員から家業へ。その転身を決意された背景には、どのような考えがありましたか。

大出浩睦:
2010年に三井住友信託銀行(当時:中央三井信託)に入行しました。リーマンショック後の就職活動で苦戦し、三次募集でようやく採用された経緯から、「拾っていただいたご恩に報いたい」という一心でした。特に金融業だけに限定していたわけではなく、入行当初は明確な目標より恩返しの気持ちの方が強かったです。

銀行では主に営業として幅広く経験を積みました。銀行での仕事を一通り経験し、自分なりに全力で取り組み、やりきったという思いがあったところ、父から「30歳になるまでに誠和に来い」と言われ、29歳で転身を決意しました。創業家の一員として、いずれは会社を継ぐことになるだろうという意識も、物心ついた時からどこかであったと思います。

異分野でも「分からないことから逃げない」

ーー誠和入社後、銀行とは異なる分野でどのような苦労や学びがありましたか。

大出浩睦:
全く違う業界なので、入社当初は何も分かりませんでした。法学部出身なので農業の知識もないままに、いきなり商品開発部長と生産管理部長を任されました。周囲からは「創業者の息子」「将来の経営者候補」と見られていることも感じていました。不器用な人間なので誤解されることもありましたが、とにかく「目の前の仕事からちゃんとやろう」「お客様の方を向いて仕事をしよう」と決めていました。

ーー異分野への挑戦に加え「経営者候補」という視線もあった中、どのように仕事に取り組みましたか。

大出浩睦:
「わからないことから逃げない」ことを意識しました。知ったかぶりはせず、自分なりに勉強して「わからない」状況を減らせるように努め、成果を出そうと必死でした。その結果、スマート農業サービス部門の立ち上げや、新CO2施用装置(※)の開発・発売など、新規の分野への事業拡大を実現することができました。創業一族なりの葛藤や悩みはずっとありましたが、そういう時は「自分は誰のために仕事をしているのか」と自問し、ついてきてくれる社員や、誠和の商品を選んでくれる農家さんのために何ができるかを考え、自身を律していました。

※温室内などで二酸化炭素(CO2)の濃度を高めることで、植物の光合成を促進し、収量や品質向上を図る技術。

「大義を思い出せ」組織を導くリーダーの哲学

ーー改めて、株式会社誠和の事業内容と強みについて教えてください。

大出浩睦:
創業事業は農業用の機械設備メーカーで、製品開発から施工まで行っています。強みの一つは、メーカーでありながら自社栽培も行い、その技術が高く評価されていることです。現場を理解し、確かな根拠で農家さんの役に立つ商品開発ができます。

近年では事業領域を拡大し、教育事業である「誠和教育プラザ」や、新規の就農支援、さらに日本航空と共同で、事業者向けの産地直送ECサイト「DO MARCHE」も展開しています。

これら全ての根幹には、農業現場の課題の熟知と、解決に必要なノウハウの力があります。

そしてもう一つの強みは、社員の存在です。各分野のプロが農家さんの方を向いてプロフェッショナルな知識と技術を結集している。この人材力こそが会社の原点です。

ーー社長就任時のお気持ちや、社長として意識していること、社員へ伝え続けているメッセージについてお聞かせください。

大出浩睦:
社長への就任は父の決定によるものでした。私自身は入社時から、いずれこの会社の経営に関わる覚悟でいましたので、社長就任で大きく変わったという意識は特にありません。社員には「大義を思い出せ」と繰り返し伝えています。誠和は創業以来「農家さんの役に立つ商品をつくり、日本の農業を良くする」ことを掲げてきました。

会社は「大義」なくしては、存在価値はないと考えています。経営理念を再認識し、お客さまのために、世のため人のために、外を向いて仕事をしようと言い続けています。業界のリーディングカンパニーとなったことで、ともすれば自分たちのブランドや利益を優先したり、上司の顔色をうかがったりと、社員のベクトルが内向きになっているのではと感じることがありました。そんな時、改めて原点に戻り「私たちのベクトルはどこを向いているべきなのか」といつも問いかけています。

今後5年のエネルギー問題とグローバル展開が鍵

ーー今後、目指していく組織像について教えてください。

大出浩睦:
今、改善したいと思っている課題の一つは、「失敗を恐れる」社風になりつつあることです。50年以上続く伝統を大切にしながらも、もっとチャレンジすべきだと常々言っています。社内スローガンは「まず、やってみる。」です。農家さんの役に立つ新商品を作りたいなら、まず自分たちがワクワクする仕事をすべきです。やる前から失敗を恐れず、「えいや!」という気持ちでやってみろ、と。もちろん、会社としては大きな失敗にならないように決済基準書もありますし、一人で決められないなら誰かに相談すればいい。やる前から恐れていては、イノベーションが起こせなくなってしまいます。

ーー社員の挑戦を促すための施策はありますか。

大出浩睦:
社員には「一日一回、他部署の人間と話せ」と言っています。そうすることで、組織の縦割りの壁を越えて、お互いに助け合える関係性を奨励しています。ボトムアップで意見を言いやすい環境づくりも進めるため、人の意見は、たとえそれが部下であっても、丁寧に聞くようにしています。人事制度もまだ改善の余地があります。社員が主体的に関われるよう、労働組合の体制改善も検討しています。頑張る人、リスクを恐れず前に進む人が正当に評価される会社にしたい、という思いがあります。「こうしたら良くなるのでは?」と提案する社員の声を大切にし、積極的に評価していく風土が重要です。

ーー今後の展望として、特に注力したい分野やビジョンをお聞かせください。

大出浩睦:
今後5年が勝負で、特にエネルギー問題とグローバルビジネスに注力していきます。エネルギー問題では、ゴミ焼却施設から排出される熱やCO2を農業に利用する、佐賀市の循環型エコノミーの取り組みを行っています。この事例が国内外でも展開できれば、農業は食料問題だけではなく、エネルギー問題解決にも貢献できる産業になり得ます。

グローバルビジネスについては、2025年を弊社の「海外ビジネス元年」と位置づけており、既に複数の国で実績を上げています。我々の技術が世界の食料問題の解決に貢献することで、例えばウクライナなどの戦後復興にも役立つ可能性もあります。そう考えると、非常に夢があり、ワクワクしますね。

編集後記

銀行員から農業の世界へ。大出社長の歩みは、異色ながら「人の役に立ちたい」という一貫した思いに貫かれている。「農家のために」という情熱は、自身の挑戦と葛藤の経験から生まれた「大義を思い出せ」「失敗を恐れるな」という言葉に凝縮され、社員への強いメッセージとなっている。変化を恐れず、信じる道を進む同社の挑戦は、多くの課題を抱える国際社会に実りある解決策を提示するだろう。

大出浩睦/1986年生まれ、慶應義塾大学卒。2010年に中央三井信託銀行に入行し、2016年に株式会社誠和へ入社。商品開発部、営業部、生産管理部を統括し、2020年より取締役に。2021年には代表取締役に就任。