※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

電気通信工事を核に、エコ関連事業でも成長を続ける株式会社新日通。同社の強みは、全国を網羅するパートナー企業とのネットワークと、いかなる現場でも期待に応える丁寧な仕事ぶりにある。この組織を率いるのが、代表取締役の小林二三雄氏だ。公務員への道を絶たれ、創業メンバーとして尽力した会社からは理不尽な解雇を経験。しかし、その誠実な人柄を慕う仲間と共に独立を果たし、幾多の困難を乗り越えてきた。「人を大切にする経営」を貫く小林氏に、その波乱の道のりと事業の未来像を尋ねる。

予期せぬ挫折から始まったキャリアの道筋

ーーまずは、小林社長の社会人としての第一歩についてお聞かせください。

小林二三雄:
当初は公務員を目指し、市役所に臨時職員として勤務していました。ところが、正職員になるための試験が、市長の一言でその年だけ急遽中止になったのです。役所内の野球部でピッチャーとして活躍していた矢先の出来事でした。周囲からも「残念だったな」と言われ、別の道を探さざるを得ませんでした。

ーー公務員の道を断たれた後、どのようにキャリアを歩まれたのでしょうか。

小林二三雄:
次に就職したのが、21歳になる前に籍を置いた映写機の販売店です。技術部に所属し、一般家庭で故障した映写機の修理を担当しました。そこには半年ほど在籍しましたね。

その後、在籍していた会社のトップセールスが独立する話が持ち上がりました。彼は営業の同僚に声をかけていましたが、技術部だった私に当初声はかかりませんでした。独立話に乗ったのは結局1人だけで、その方も不安げでした。そこで「僕がいます」と自ら売り込んだのです。営業経験がないことを指摘されましたが、「営業も見てきたので若いですし、可能性があるかもしれません。ぜひ連れていってください」と熱意を伝え、創業メンバーに加えてもらいました。

社員のための進言が招いた理不尽な結末

ーー創業メンバーとして加わった会社は、その後順調に成長したのでしょうか。

小林二三雄:
3人で立ち上げた「新日本通信機」という会社は、約5年で30人から40人規模にまで急成長しました。私は技術部門をまとめていました。そんな中、問題だったのは、営業部門を統括していた創業メンバーが、部下を全く育てられなかったことです。指導を受けられない社員から不満が噴出し、役員である私の元へ「状況を改善してほしい」と相談が寄せられるようになったのです。

ーーその状況を改善するために、どのような行動をとられたのですか。

小林二三雄:
社員の退職話まで浮上したため、意を決して社長に「営業の責任者を変えてほしい」と直談判しました。しかし、「技術のお前が営業に口を出すな」と一蹴されました。これ以上は無理だと感じ、社長に「私か、彼か」と選択を迫りました。返ってきたのは「君が辞めてくれ」という短い言葉でした。その一言で退職を決意しました。

仲間と起こした新事業 苦難の末に掴んだ光

ーーご自身の退職後、会社はどうなったのでしょうか。

小林二三雄:
私が辞めると伝えると、「小林さんが辞めるなら」と、共に働いていた技術者3人がついてきてくれました。その一人が、現在の副社長です。それが現在の新日通につながるのですが、独立当初は全く順調には進みませんでした。前の会社の社長に“引き抜き”と見なされ、主要な商社との取引を止められてしまいました。手元資金は退職金のみ。3カ月ほどで『これは潰れる』と覚悟しましたね。

ーーその絶望的な状況を、どのように乗り越えたのでしょうか。

小林二三雄:
声をかけていた友人が商社内で動いてくれ、独立から4カ月後、ようやく取引の道が開けました。それでなんとか息を吹き返すことができたのです。独立から1年後、前の社長から連絡がありました。「顧客から私たちを望む声が多い」と協力を求められたのです。彼への恩義もあり、協力会社として仕事を受けることにして、そこから事業が安定していきました。

反面教師から学ぶ 人を大切にする経営の神髄

ーー経営者として、社員の方々と接する際に大切にしていることは何ですか。

小林二三雄:
第一に「工事の安全」です。その安全な環境を守るためにも、無駄な会議は一切行いません。定例の集まりはなく、本当に重要なときだけ会議を開くことで、社員が本業に集中できる時間を確保しています。そして、社員には「下請け根性」ではなく、「自分たちが仕事を創る」という誇りを持ってほしいと伝えています。言われたことだけを行う仕事はするな、と。また、利益を社員に還元するという意識は、前の会社の社長が反面教師になっています。彼は自己の利益を優先する人でした。私はその逆を目指し、人を大切にして利益は社員へ最大限還元しています。生活が安定しなければ、仕事への気力も湧きませんから。

未来を創る工事とは 3年で売上倍増への挑戦

ーー改めて、貴社の現在の事業内容と強みについて教えてください。

小林二三雄:
電気通信建設業のうち、電気と通信の工事を専門としています。商社などのお客様からのご依頼が中心で、民間工事が全体の9割を占めます。最近特に力を入れているのが、LED化や太陽光といったエコ関連の電気工事と、学校や官公庁なども含むネットワーク系の通信工事です。

私たちの強みは、大手の工事会社経由ではなく、直接お客様のもとへうかがい、丁寧に話を聞いて最適な形で納める点にあると考えています。この姿勢がお客様から評価されているのだと思います。また、全国に約150社のパートナー企業がおり、そのネットワークを活かして日本全国の案件に対応できる体制も強みの一つです。

ーー採用を中途採用のみに絞っているのには、何か理由があるのでしょうか。

小林二三雄:
この仕事は一人前になるのに少なくとも3年を要します。過去に新卒採用も行いましたが、残念ながら3年以内に離職してしまうケースが続きました。そのため、現在は即戦力となる経験者の方を中途で採用しています。

ただ、経験者であっても私たちのやり方に慣れるまでには2年ほどかかるかもしれません。弊社は、個人の実力を評価しつつも「一人でやる仕事ではない」という考えのもと、チームで協力し合う風土を大切にしています。そのため、技術力だけでなく、私たちの会社のやり方や価値観に共感していただけるかどうかを重視しています。

ーー今後の事業展望について、具体的な目標をお聞かせください。

小林二三雄:
3年後をめどに、売上を倍の50億円にすることを目指します。そのための構想はすでに動き出しています。IT系のベンチャー企業との協業に大きな可能性を感じています。彼らの新規事業には、私たちの通信・電気工事が不可欠です。私たちは、工事部門を担うパートナーとして、共に成長することを目指しており、その中できっとお役に立てることがあると考えております。

編集後記

公務員の道を絶たれ、創業メンバーとして尽力した会社から理不尽な形で解雇される。小林社長の経歴は、まさに波乱万丈という言葉がふさわしい。しかし、どの局面においても氏の周りには人が集まってくる。それは、逆境でも筋を通し、仲間を大切にする誠実な人柄のなせる業だろう。反面教師から学んだ「人を大切にする経営」を貫く同社が、新たなパートナーと共にどのような未来を築くのか。その挑戦から目が離せない。

小林二三雄/1958年大阪府生まれ。箕面自由学園高校卒。1980年株式会社新日本通信機に入社。1985年株式会社新日通代表取締役に就任。ライオンズクラブ(335B地区1Z)・情報通信設備協会の活動にも注力している。