※本ページ内の情報は2025年9月時点のものです。

70年以上にわたり日本のものづくりを支えてきた専門商社、千代田興業株式会社。同社は精密ベアリング用の部品「フェノール樹脂製リテーナー」で国内独占シェアを誇るなど、盤石な事業基盤を築いている。その安定を礎に、3代目である瀨田川哲也社長が仕掛けるのは、インドネシアでの成功体験を日本に生かす「リバースイノベーション」だ。31歳の若さで海外法人のトップに立ち、幾多の困難を乗り越えた同氏。彼が描くのは、商社とメーカーの機能を融合させた新たな企業の姿である。その挑戦を支える「人」への熱い思いに迫る。

若きリーダーの挑戦とインドネシアでの快進撃

ーーこれまでのご経歴についてお聞かせいただけますか。

瀨田川哲也:
小学校の卒業文集に「会社の役に立ちたい」と書くほど、幼い頃から家業を意識していました。そのため、大学卒業後は迷うことなく弊社に入社し、営業としてキャリアをスタートさせました。

その後、20代でインドネシアへ赴任し、2011年に現地法人の社長に就任。当時はリーマンショック後の回復期で、インドネシアへの日系企業の進出ラッシュが始まっており、これを大きなチャンスと捉えました。積極的な設備投資と人材採用で事業の急拡大を図り、従業員も70人から一気に180人規模まで増員しました。会社の成長を肌で感じる毎日でした。

ーー急成長の裏で、苦労したことはありましたか。

瀨田川哲也:
黒字倒産といえば大袈裟になりますが、資金繰りで大きな障壁がありました。注文が殺到する一方で、設備投資のための部品購入などが先行し、資金繰りが完全に行き詰まってしまったのです。銀行からも「このままでは危ない」と警告を受けるほどでした。最終的には、追加融資とお客様に前払いをお願いすることで、なんとか乗り越えることができました。この経験は、経営の厳しさを学ぶ貴重な機会となりました。

逆転の発想が生んだ「リバースイノベーション」

ーー新事業を立ち上げるきっかけは何だったのでしょうか。

瀨田川哲也:
インドネシアにいた頃、現地では、人件費の高騰という課題から自動化の需要が伸びていました。一方、日本では労働人口の減少が深刻な問題です。社会問題の背景は異なりますが、解決策はいずれも「自動化技術」にあると考えました。このインドネシアでの知見を日本に逆輸入する「リバースイノベーション」として、日本に帰国後、ロボットを活用した生産システムの構築事業を始動させたのです。

ーー事業の独自性についてお聞かせください。

瀨田川哲也:
インドネシアから優秀な技術者を日本に呼び寄せ、事業の中核を担ってもらっています。彼らが最高のパフォーマンスを発揮できるよう、工場内にイスラム教徒の従業員のための礼拝所「ムショラ」も設置しました。日本全国でも、自社内に「ムショラ」を構える工場はほとんどないでしょう。

彼らの文化や信仰を深く尊重し、安心して働ける環境を整える。それが高品質なモノづくりとお客様への価値提供に直結すると信じています。国籍や文化の壁を越えて多様な人材が活躍できるこの環境こそが、弊社の強みだと考えています。

70年の歴史が育んだ揺るぎない事業基盤

ーー貴社事業の強みについて教えてください。

瀨田川哲也:
弊社には70年以上の歴史で築き上げた、大手フィルムメーカーやベアリングメーカーとの強い信頼関係があります。その代表例が、高速回転用ベアリングに不可欠な部品「フェノール樹脂製リテーナー」です。かつて金属製が主流だったこの部品の樹脂化に成功して以来、国内で独占的なシェアを誇っています。今では弊社の経営を支える第一の柱です。

そして第二の柱が、「FWP®コア」です。こちらは主に光学フィルムの原反及び機能性フィルム、印刷フィルム、金属箔、食品包装フィルム、特殊紙の巻芯としてご使用いただいております。フィルムを巻き取る際に、シワが入らないようになっており、お客様から「千代田興業の製品でないと」と、長年にわたりご愛顧いただいています。

これら二つの強力な製品群が、安定した収益基盤をもたらしてくれています。だからこそ、弊社はロボット事業のような未来に向けた新しい挑戦に、思い切って踏み出すことができるのです。

ーー現在、課題を感じられているのはどのようなことでしょうか。

瀨田川哲也:
弊社の営業は、かつてはお客様と対等に技術を語り合う「技術営業」が主体でした。しかし、製品が確立され、液晶バブル期には黙っていても注文が殺到するようになると、いつしか納期調整などが主体の「御用聞き」のスタイルになってしまったのです。先日も大先輩の元常務から「昔の千代田興業は技術営業だった。御用聞きになったらあかんで」と発破をかけられたところです。

創業期の精神に立ち返り、お客様の新たな課題に踏み込みたい。そして、パートナー企業には「千代田興業さん、また難しいこと言ってきたな」と思われるようなテーマを投げかけていく。そうした泥臭い開発営業をもう一度復活させたいと考えています。幸い、2022年に入社した新卒をはじめ、頼もしい若手も育っていますから、彼らと共に組織をもう一度変革していきたいですね。

「人」と共に描く100年企業への展望

ーー会社を率いる上で最も大切にされていることをお聞かせください。

瀨田川哲也:
「歴史に感謝し、従業員は家族」という思いです。70年という会社の歴史は、決して一人で築けるものではありません。これまで会社を支えてくれた全ての人々に感謝するとともに、今共に働く従業員を家族のように大切にしたい。彼らに「この会社で働いて本当に良かった」と心から思ってもらいたいのです。そうした会社をつくることが、100年企業を目指す上での最大の原動力だと信じています。

ーー最後に、今後の展望について、具体的な目標はありますか。

瀨田川哲也:
70年続いた商社としての強みと、メーカーとしての新たな挑戦を掛け合わせます。そして、第三の柱であるロボットシステム事業を早期に成長させ、売上10億円を達成することが当面の目標です。そのために、業界団体でのネットワークを広げ、将来的には工場の拡張も視野に入れています。伝統と革新を両輪に、ユニークな企業として進化を続けていきたいですね。

編集後記

31歳で海外法人のトップに立ち、急成長と経営の危機を乗り越えた瀨田川氏。その類まれな経験から生まれたのが「リバースイノベーション」という着想だ。それが70年の歴史を持つ企業の新たな扉を開いた。伝統という安定基盤の上で、大胆な挑戦を続けるその姿は、多くの経営者に勇気を与えるだろう。「従業員は家族」と語る温かい人柄と、未来を見据えるシャープな視点。その両輪で、千代田興業は100年企業へと力強く進んでいくに違いない。

瀨田川哲也/1979年大阪府生まれ。大学卒業後、2004年4月に千代田興業へ入社し、本社営業部で3年営業を経験。その後、2007年4月に子会社であるPT.CHIYODA KOGYO INDONESIAへ出向。7年間インドネシアでの工場勤務を経て、2014年6月帰国と同時に常務取締役に就任。4年間、常務取締役を経験した後、2018年6月に代表取締役社長に就任。現在に至る。