
事業承継と人手不足という日本が抱える根深い課題の解決に挑む、株式会社unlock.ly。同社はM&A(※1)による事業承継支援と、人材紹介といったHR支援を両輪で展開し、企業の潜在能力を解き放つ(アンロックする)独自のモデルを築いている。商社、コンサル、投資ファンドと多彩なキャリアを歩んだ代表取締役社長の三島徹平氏に、創業の経緯や会社の未来像について話を聞いた。
(※1)M&A:「Mergers and Acquisitions(合併・買収)」の略で、企業が合併や買収を通じて事業の統合や経営権の取得を行うこと。
グローバルな視点と泥臭い現場から生まれた原体験
ーー幼少期は、どのように過ごされていたのでしょうか。
三島徹平:
父の仕事の都合で、幼少期は海外を転々としていました。アメリカ、シンガポール、香港、ロンドンと渡り歩いた経験があります。そのおかげで新しい文化に触れることへの抵抗がなく、むしろ歓迎する好奇心旺盛な性格が形成されたと思います。さまざまな事業に関わる今の仕事も、この経験が影響しているのかもしれません。
ーーファーストキャリアは、どのような挑戦から始まったのですか。
三島徹平:
ロンドン在住時、プロサッカー選手を目指しており、プレミアリーグのチームの下部組織で1年間練習していたのですが、契約を勝ち取れず悔しい思いをしました。この経験から「もう一度グローバルの世界で挑戦したい」と考え、伊藤忠商事に入社することを決めました。ここならグローバルな環境で多様なビジネスに携わることができると考えたからです。
入社後は金属資源部門に配属され、西オーストラリアの事業に携わりました。現地の工場に派遣されて朝晩2交代制のシフトに入る泥臭い毎日でした。現地スタッフからは「日本の若造に指図されたくない」という雰囲気を感じることもありました。そのため、コミュニケーションや人間関係の構築には特に苦労しました。しかし、この約6年間の伊藤忠での経験こそが、私のキャリアの礎となっています。
事業売却の悔しさを転機としたM&A専門家への道

ーーその後、転機となった出来事はありましたか。
三島徹平:
担当事業の売却が大きな転機となりました。その事業は、現場で泥臭く働いた末に、資源価格の上昇という追い風もあってようやく黒字化したばかりでした。そんなタイミングで、会社は売却を決定したのです。現場に強い愛着があった私は「なぜ今売るのか」と上司に訴えました。しかし、「では、持ち続けるべき理由を論理的に説明しろ」と問われ、何も答えられませんでした。
感情だけでは、会社としての大きな決断は覆せない。自身の無力さと実力不足を痛感した、非常に悔しい経験でした。この出来事を通じて、M&Aという経営判断の重要性を知ると同時に、資本の論理を理解しなければならないと痛感したのです。これを機に、「もっとこの分野で専門性を高めたい」と思うようになりました。そして、M&Aの専門知識を深めるためにデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー(以下、デロイト)へ転職しました。
ーー貴社を創業された経緯を教えていただけますでしょうか。
三島徹平:
デロイトで実務を経験した後、日本産業パートナーズという東芝TOBなどの大型案件を扱う投資ファンドに移り、資本主義のダイナミズムを肌で感じながら投資業を勉強しました。
一方で、現場主義の商社時代の経験から、よりハンズオンでの現場改善がしたいという思いや、中小企業の事業承継問題に貢献したいという思いが日に日に強くなりました。当時の中小企業向けファンドは、仕組み上どうしても「売却ありき」の投資になりがちでした。しかし、会社の歴史を守ってきたオーナー経営者は、会社が知らない先に転売されることを嫌います。
そこで私たちが目指したのは、売却を前提としない長期的な視点での会社の保有でした。さらに、不足している経営人材を送り込み、成長を本気で伴走支援する形です。この理想を実現できる会社はなかったため、「自分たちでつくるしかない」と決意。人材領域に強みを持つ武田と共同で、2021年に弊社を創業しました。
M&Aと人材支援の両輪で挑む社会課題の解決
ーー創業当初、特に大変だったことは何でしょうか。
三島徹平:
自己資本だけでスタートしたので、まずはお金を稼ぐ必要がありました。そこで、私はM&A、共同創業者である武田は人材という専門分野でコンサルティング事業を請け負いました。日中は会社の運転資金と生活費を稼ぎ、夜に2人で事業方針を議論する二重生活を送っていました。
あるとき、事業創造に集中するためにコンサルを辞めた期間があったのですが、会社の口座残高が日々減っていくのを見て、相当なプレッシャーを感じましたね。あの時期の厳しさは、今でも鮮明に覚えています。
ーー貴社の事業における一番の強みは何でしょうか。
三島徹平:
企業が本来持つ可能性を人的リソースの強化でアンロック(解放)することです。中小企業には弊社が投資を行って承継者となり、経営層の充実化や採用強化を行います。大企業にはワンショットでの人材紹介のみならず、ハンズオン型で採用コンサル・代行までを行います。このように中小から大企業まで幅広く長期的に伴走できることも、他社にはない強みだと考えています。
また、将来的には2つの事業を掛け合わせ、大企業で更なる活躍の場を求める経営者候補人材と、後継者や幹部がいない優良な中小企業とのミスマッチを解消していく事業を展開していきたいと考えています。
個の輝きを結集させ目指す年商100億円企業への道
ーー現在の注力テーマについてお聞かせください。
三島徹平:
主にお客様の開拓と経営幹部の育成です。お客様の開拓については、急拡大するスタートアップや採用に苦戦する企業様からご相談をいただくことが増えています。今後は採用と案件獲得を両輪で進め、成長を加速させます。
また、経営幹部の育成も急務です。投資先の経営を担うため、メンバーが成長できる環境を整えます。私自身が「経営者を育てられる経営者」になることが理想です。
ーー具体的にどのような人材を求めていらっしゃいますか。
三島徹平:
投資先に入り込み、経営幹部として事業を推進できる人材を求めています。相手の目線で話を聞き、課題解決に向けて事業を牽引できる力が求められます。経歴はさまざまですが、人当たりや愛嬌、ガッツがある人が弊社では活躍しています。個々がプロとして輝く「アベンジャーズ」のようなチームを目指しています。そういった環境に挑戦したい方は大歓迎です。
ーー最後に、今後の展望についてお聞かせください。
三島徹平:
弊社は設立から4年で、グループ年商60億円規模まで成長しました。まずは3年後を目途に、年商100億円を目指したいと考えています。その頃には、本社メンバーは50名、グループ全体では1000名を超える組織になっているでしょう。
そして、私たちが目指すのは単なる規模の拡大ではありません。事業承継や人材不足で困ったときに、誰もが最初に「unlock.ly」の名前を思い浮かべてくれるような、社会のインフラのような存在になるのが目標です。「unlock.lyグループに加わると会社が良くなる」と評価されるような質の高い経営を追求し、社会課題に挑み続けていきたいです。
編集後記
商社時代の悔しい経験を原動力に、日本の社会課題に挑む三島氏。M&Aを「売却」ではなく、企業の永続的な成長のための「手段」と捉えている。そして、人材という最も重要な要素を掛け合わせる独自のモデルは、多くの後継者不在企業にとっての光となるだろう。同社の挑戦が、日本の未来を明るく照らしていくに違いない。

三島徹平/1990年米国生まれ。早稲田大学政治経済学部を卒業後、伊藤忠商事にて金属資源案件の投資・エグジットに関与。その後デロイトFASにてM&Aのエグゼキューションを経験し、直近はPEファンドの日本産業パートナーズにて企業投資に従事。2021年9月に株式会社unlock.lyを共同創業し代表取締役に就任。報道番組「every. しずおか」にてコメンテーターを務める。静岡市商業振興審議会委員。X(旧Twitter)はこちら