※本ページ内の情報は2025年3月時点のものです。

測量設計のプロフェッショナル集団として、農業土木分野で確かな実績を持つ株式会社ユニオン。地域のインフラ整備に欠かせない存在として、半世紀にわたり岐阜県の発展を支えてきた。働き方改革と人材育成に本格的に取り組み、社員一人ひとりの技術力向上を後押ししている。近年は、岐阜大学との共同研究や海外大学との技術交流など、新たな挑戦を続ける同社の代表取締役社長の村橋塁氏に話をうかがった。

理想を追求した農業部門での学び

ーー貴社に入社されてからどのような経験をしましたか?

村橋塁:
1994年に入社して測量部に所属後、2年後に営業部に異動しましたが、1999年に一度退職しています。世界を見てみたいという思いがあり、姉がいるアメリカを拠点に2年半ほど、バックパッカーとして世界各国を巡りました。アメリカはもちろん、ヨーロッパや南米、アフリカなどさまざまな場所を訪れる機会を得ました。

帰国してから看板を扱う企業に入社して働いていました。そのころ有機農業に関心を持つようになったのです。偶然同じタイミングで、父から「農業部門をつくるから会社に戻ってこないか」という話をもらい、せっかくならやりたいことをやってみようと、2009年に弊社に再入社することを決めました。

ーー農業部門の立ち上げはどのような取り組みだったのでしょうか?

村橋塁:
当時は耕作放棄地の問題が顕在化しつつあり、山間部の過疎化も進んでいました。そうした状況を何とかしたいという思いから、岐阜県の山間部で約2ヘクタールの土地を借りて、農業を始めました。

地元の方々とコミュニケーションをとりながら進めていきましたが、野生動物に荒らされてしまうなど、多くの課題がありました。特に収穫間近のとうもろこしが、一晩で猿の群れに食べられてしまったときは頭を抱えましたね。

会社として利益を出す必要がある中で、理想と現実のギャップに直面し、最終的には事業を断念することになりました。ただ、この経験は非常に貴重な学びとなっています。理想を追い求めるだけではなく、現実をしっかりと見据えることの重要性を痛感した出来事でした。

農業土木を強みに、大学との共同研究も展開

ーー貴社の事業について教えてください。

村橋塁:
弊社は総合建設コンサルタントとして、測量調査から設計、補償コンサルタントまで幅広く手がけています。特に農業土木の分野では岐阜県内でも数少ない専門性を持っており、農地、水路、農業用ため池などの計画立案や整備を行っています。私の父が農林水産省出身ということもあり、早くからこの分野に注力してきました。

一般の公共事業と農業土木の大きな違いは、事業の進め方にあります。道路などのインフラ整備は行政主導で進められることが多いのですが、農業土木は国や県に加えて農業従事者の方々との密接な連携が不可欠です。予算面でも農水省だけではなく、農業者の方々からの支援もいただきながら事業を進めていく。そういった意味で非常にやりがいのある仕事ですね。

ーー近年、力を入れている分野についてお聞かせください。

村橋塁:
DX推進の一環として若手社員中心のグループを結成し、新技術の導入を進めています。また、岐阜大学に研究室を設置して共同研究を行っているほか、ベトナムの大学との技術交流を始め、国際的な視野での技術発展にも挑戦しています。こうした取り組みを通じて、会社の魅力をさらに高めていきたいですね。新しいことへの挑戦を続けることで、社員の成長にもつながっていると感じています。

社員一人ひとりが輝ける環境づくり

ーー組織づくりについては、どのような工夫をされていますか?

村橋塁:
社長就任後、組織体制を大きく見直しました。以前は一人の上司の下に20人以上の部下がいるような体制でしたが、その状況では一人ひとりに目が行き届かず、適切な管理や指導が困難でした。一人の管理者が5〜6人ほどの少人数グループを担当する形に再編したことにより、現在はきめ細やかな指導ができるようになりました。

その結果、風通しが良くなり、組織としての強みが増したと感じています。働き方改革と併せて業務の効率化を進め、残業時間も大幅に削減できました。

ーー今後の展望についてお聞かせください。

村橋塁:
何より、世の中に必要とされる会社であり続けたいと考えています。近年、地震や水害などの自然災害が増加傾向にある中、人命を守るためのインフラ整備の重要性は一層高まっています。インフラの維持管理や更新など、地域の安全・安心を支える存在として、しっかりと役割を果たしていきたいですね。

また、従来の公共事業の枠組みにとどまらず、私たちの技術やノウハウを活かせる新しい分野への展開も模索しています。これからも社員一人ひとりが持つ可能性を大切にしながら、会社全体で成長を続けていきたいと思います。

編集後記

村橋社長の「必要とされる会社であり続けたい」という言葉には、地域に根差した企業としての強い決意が感じられた。過去の経験から学び、現場の声に耳を傾けながら、未来に向けて前進を続ける。創業55年の節目を越えて、さらなる進化を遂げようとする同社は、これからも地域になくてはならない存在として発展していくことだろう。

村橋塁/1972年生まれ、東海工業専門学校卒。1994年に株式会社ユニオンへ入社。1999年同社退社。2年半の海外生活、看板を扱う企業を経て2009年に再入社。2018年に代表取締役社長へ就任し、現在に至る。