※本ページ内の情報は2025年12月時点のものです。

大阪で創業以来、昆布の佃煮をはじめとする伝統の味を守り続ける株式会社神宗(かんそう)。同社は、天然昆布への徹底したこだわりを持つ一方、時代や顧客の変化に対応した革新的な商品開発で新たなファン層を獲得している。しかしその裏には、主原料である天然真昆布の枯渇という、会社の存続を揺るがすほどの危機があった。その困難を乗り越え、日本の食文化の根幹である「だし」の魅力を未来へ伝えることに情熱を注ぐ、代表取締役社長の小山鐘平氏に話をうかがった。

好きを仕事に選んだ新卒時代 ものづくりへの情熱の原点

ーー社会人としての最初のキャリアについて詳しくお聞かせください。

小山鐘平:
新卒でメルシャン株式会社に入社しました。もともとお酒、特にワインが大好きで、学生時代には一人でフランスへ行くほどでした。内定をいただいた会社の中でも、食という身近な世界で働けることに魅力を感じて入社を決めました。

ーーメルシャンではどのような経験をされたのでしょうか。

小山鐘平:
営業として、商品を世に届けるための戦略の重要性を学びました。特に鮮烈だったのが、競合だったサントリーの手法です。当時、年配の方向けだったウイスキーを「ハイボール」として若者向けにイメージ転換させ、大ヒットさせました。このとき、「良いものを作るだけでなく、それを届けるためのストーリーや販売戦略まで、全てが揃って初めて商品はヒットする」のだと痛感しました。

その一方で、私自身の原点である「ものづくり」への情熱を再確認する経験もしました。山梨の工場でのインターンシップでは、念願だったワイン造りを体験し、ぶどうの収穫から醸造家との交流まで、ものづくりの楽しさを肌で感じました。年に数回あった大規模な試飲会で、数多くのワインに触れたことも貴重な経験です。結局、ビジネスには「売るための執念」と、その土台となる「作る情熱」、その両方が必要不可欠なのだと学びました。

料理と経営の学びから見出した だしの新たな可能性

ーーその後、貴社へ入社された経緯を教えていただけますか。

小山鐘平:
弊社は妻の実家が営む会社でした。結婚後、妻と休日が合わず、子どもが生まれたのを機に、家族との時間と仕事の両立を大切にしたいと考え、入社を決意しました。

同時に、会社の規模よりも、一人ひとりの力が事業の原動力となる環境で働きたいと思うようになりました。その点、神宗はまさにそういう会社でしたし、もともと料理が好きだった私にとって「食」の世界は非常に魅力的でした。

家族のこと、仕事への想い、そして好きなこと。そういったタイミングが重なり、入社を決意しました。

ーー貴社へ入社されてから、社長に就任されるまでの経緯についてお聞かせください。

小山鐘平:
入社後は鎌倉の店舗で働き、会席料理やカフェの飲食と佃煮の物販を手がけ、店舗マネジメントから接客、人材育成、調理まで経営の基本を一通り経験しました。料理が好きだったので、食品製造に欠かせない知識を得るため調理師学校に1年間通い、調理や衛生の基礎も学びました。ちょうどその頃、世の中では「だしパック」がブームになっていました。これに事業の新たな可能性を感じ、主力である佃煮に並ぶ新しい柱にできないかと、だしの研究を始めたのです。

そこからは毎晩のようにだしを引いては試作を繰り返す毎日でした。研究を進めるうち、だしについて全体を語れる人がいないことに気づきました。料理人は調理のプロフェッショナルであり、生産者は素材の専門家です。ただ、それぞれの知識や技術が深く専門分化しているため、昆布や鰹節が生産されてから料理として完成するまで、要は川上から川下までその繋がりを語れる人がいませんでした。その点、私は北海道の昆布の産地から鹿児島の鰹節の産地まで足を運び、流通のことも料理のこともわかる立場にありました。この知識や魅力を伝えたいと思い、教室を始めました。

当初はだしの話に興味を持ってもらえるか不安でしたが、多くの方が参加してくれました。北海道の昆布と九州の鰹節とが大阪で出会い、だし文化が花開いた歴史的な奇跡。その背景を伝えながら、だしの本当の美味しさを体験してもらう活動は、今では講演なども含め200回以上になります。

諦めない研究開発が生んだ奇跡 絶望の淵からの大逆転

ーー社長就任後、大変だったエピソードがあれば教えてください。

小山鐘平:
社長に就任して間もない頃から、主原料である天然の真昆布が深刻な不漁に見舞われたことです。大阪のだし文化は、函館で採れる真昆布なくしては語れません。弊社も創業以来、養殖ではなく、味も香りも圧倒的に優れた天然の真昆布だけを使い続けてきました。その天然真昆布が、年々半減するように採れなくなり、2018年にはほとんど姿を消してしまったのです。

2020年の秋、ついに在庫が尽きかけ、来年の生産ができないという状況に陥りました。全従業員を集めて「本店を閉店します」と伝え、取引先の百貨店様にも事情を説明しに行く直前まで追い詰められていました。

ーー廃業覚悟の状況をどのようにして乗り越えられたのでしょうか。

小山鐘平:
当時私は、以前からだしの研究で使用していた北海道の利尻昆布を使った代替品の開発を続けていました。真昆布とは特性が全く異なり開発は困難を極めましたが、閉店の説明に向かう直前に、納得のいく品質のものが完成したのです。同時に、年間使用量を確保してくれる問屋も見つかり、まさかの形で事業を継続できることになりました。全従業員に閉店を告げた直後だったので、本当に奇跡的でした。

伝統の味と革新的な商品開発 老舗の新たな挑戦

ーー改めて、貴社の事業内容とその強みについてお聞かせください。

小山鐘平:
事業の柱は、創業以来の塩昆布やちりめん山椒に代表される佃煮です。それに加え、「卵かけご飯がおいしい詰め合わせ」というふりかけの製品も新たな人気商品に育っています。この製品はもともと百貨店をメインに販売していましたが、伊丹空港や新大阪駅で取り扱っていただいたところ、お土産として大ヒットしました。パッケージも工夫し、若い方や海外からのお客様にも手に取っていただいています。2025年11月に新発売した7色のカラーバリエーション展開も非常に好調に売上を伸ばしています。

また、若い世代にもだしの魅力を伝えたいという思いから、新たな商品開発にも力を入れています。たとえば2022年新発売の即席麺「神宗のにゅうめん」は、だし屋として納得できるものを作りたくて開発しました。小豆島の製麺所で作った本格的な麺に、粉や液体ではない削り節そのものが入った香り高いだしパックを付けています。インスタントによくあるフリーズドライのネギの風味が気になり、自社の工場で低温乾燥させたネギを開発。ネギ本来の風味を楽しんで貰えるようこだわりました。品質を長期間維持するための包材もひと手間かけました。

他にも、若い女性たちに人気の薬膳鍋など7種の味が家庭で本格的に楽しめる2023年新発売の鍋つゆ「美鍋」や、だしを飲み物として楽しむ「神宗の飲むだし」など、様々な切り口で商品の可能性を広げています。「飲むだし」は大阪ステーションホテル様でルームドリンクやウェルカムドリンクとして提供して頂いており、海外のお客様からも多くの反響を得ています。

また米の消費減少と共に消費が落ちてきている塩昆布ですが、若い世代に日常使いできる簡単料理の味方として使ってほしいとの想いで2024年新発売した「おにぎり塩昆布」も販売数を伸ばしております。ご家庭用としてもプチギフトとしても佃煮系では順調に推移しており、塩昆布は「お米のお共」という概念から、「簡単料理の手助け」として需要の変化も感じています。

ーー最後に、今後の採用についてのお考えをおうかがいできますか。

小山鐘平:
弊社の商品は、大切な方への贈り物など、特別な場面で使っていただくことが多くあります。「大阪を代表する手土産だ」とお客様に選んでいただけることに、やりがいや誇りを感じられる方と一緒に働きたいです。また、YouTubeなどのコンテンツ制作も強化しているので、SNSでの発信を一緒に盛り上げてくれる若い力も求めています。国内だけでなく、海外にも弊社のものづくりや文化発信に魅力を感じてくれる方がいれば、ぜひ一度話を聞きに来ていただきたいです。

編集後記

主原料である天然真昆布の枯渇という、絶望的な危機。その淵から会社を救ったのは、日々の研究で培われた知見と、決して諦めないものづくりへの情熱だった。小山社長の言葉の端々から、伝統を守り抜くという覚悟と、それを未来へつなぐための革新的な挑戦を楽しむ遊び心が伝わってくる。単に商品を売るのではなく、その根底にある「だし文化」そのものを届けたいという強い使命感。老舗の看板を背負いながら、軽やかに新たな価値を創造し続ける同社の未来に、大きな期待を寄せたい。

小山鐘平/1983年兵庫県生まれ。関西学院大学経済学部を卒業後、メルシャン株式会社に入社。2009年株式会社神宗へ入社し、鎌倉の店舗運営などを経て、2014年より同社代表取締役社長に就任。伝統の塩昆布やちりめん山椒の技術を守りつつ、だしや鍋つゆといった新商品を開発。また、大学との共同研究なども行い、和食文化の魅力を国内外に発信している。だしの取り方や日本の食文化を伝えるセミナー・講演会の登壇はこれまで200回超。