
日本のアカデミアに眠る優れた技術を実用化し、世界へ届ける。株式会社ティムスは、東京農工大学で発見された化合物を基に、脳梗塞の画期的な新薬候補「TMS-007(JX10)」の開発に挑むバイオベンチャーだ。同社を率いる若林拓朗氏は、新卒で株式会社リクルートに入社後、ベンチャーキャピタルを自ら立ち上げた経歴を持つ。その後、資金難に陥っていた同社の社長を引き受け、国内バイオベンチャーとして極めて稀な米大手製薬企業バイオジェン社との提携や、「グローバルIPO」を実現した。その手腕の裏には、飾らない自然体で事業と向き合う姿勢と、日本の未来を見据えた確かな勝算があった。キャリアの原点から新薬開発にかける情熱、そして日本の研究分野を活気づけるための展望について話をうかがった。
社会の役に立つ事業を求めて リクルートからVC設立への軌跡
ーーまずはご自身のキャリアの出発点と、独立に至るまでの経緯を教えてください。
若林拓朗:
「社会の役に立つ事業」を志したことが、キャリアの原点です。私が就職活動をしていた頃はちょうどバブル期で、同級生も大手企業を志望する人が多い状況でした。そんな中で私は、社会から必要とされる事業を追求していたリクルートへ入社しました。
リクルートでは新規事業開発に携わり、IT系新興企業とも関わりましたが、日本発のIT企業が米国企業と世界で真っ向勝負するのは厳しいという現実も痛感しました。その中で着目したのが、大学の技術移転です。日本のディープテックの領域には、世界に通用する強い特許や技術があります。それらを事業化するサイクルをつくりたいと考え、資金供給を担うべく2001年に独立し、自らベンチャーキャピタルを設立しました。
ーーその後、貴社に参画された経緯は何だったのでしょうか。
若林拓朗:
出資先だったティムスを存続させるため、自ら代表に就任しました。2007年から同社に出資をしていましたが、2011年に前社長が退任し、会社は危機的状況に陥っていました。そんな中、TMS-007(JX10)の発明者である東京農工大学の蓮見教授が社長を引き継ぐ決断が下されたのです。
しかし、当時の大学の内規では、教員が社長を務める場合、もう一人共同代表を置かなければならないというルールがありました。ティムスには確かなポテンシャルを感じていましたし、私自身は独立系のベンチャーキャピタリストであったため、特段のしがらみもありません。そこで、ティムスを会社として存続させるために私が引き受けることとなり、まずは蓮見教授をサポートするというスタンスで共同代表に就任しました。
その後は徐々に経営への関与を深め、2014年末頃から米国のバイオジェン社と提携交渉をスタートさせています。私が交渉の窓口となって進め、2018年には大型のライセンス契約締結に至り、上場を見据えて、正式に代表取締役社長に就任いたしました。
ーー社長に就任されてから、会社としてどのような大きな挑戦がありましたか。
若林拓朗:
2022年に実現した「グローバルIPO」です。バイオジェン社との提携を機に、海外の投資家からも評価を得るべく、通常は数百億円規模の調達で行う手法を選択しました。日米の証券会社と独自の体制を構築し、着々と準備を進めていったのです。市場環境の悪化など困難な時期もあったものの、結果として世界を相手に資金調達できたことは、会社にとって大きな転機となっています。
急性期脳梗塞治療の常識を覆す新薬「TMS-007(JX10)」の計り知れないポテンシャル

ーー貴社が現在開発されている新薬には、どのような強みがありますか。
若林拓朗:
私たちが開発に挑む「TMS-007(JX10)」は、脳出血のリスクを抑えつつ血栓を溶かす新しい作用機序を持っており、薬剤による急性期脳梗塞の治療可能時間を大幅に拡大できるポテンシャルがあります。現在の急性期脳梗塞の治療薬は約30年前に承認されたときから現在に至るまで、原則発症から4.5時間以内にしか投与できないという投与期間の制限があります。そのため、全体の約9割の患者さんが薬を使えないのが実情です。
一方、TMS-007(JX10)は、治療可能時間を12時間まで拡大して国内で行った臨床試験において、その有効性が示唆されており、今後は24時間までの拡大を目指しています。現在は世界十数カ国で第2/3相のグローバル試験「ORION」を進行中です。実用化されれば、世界中で後遺症に苦しむ方や亡くなられる方の数を劇的に減らす可能性が期待でき、その社会的インパクトと救われる命の数は計り知れないと考えています。
ーー「TMS-007(JX10)」の実用化を見据えた上で、今後はどのような展開を描いていますか。
若林拓朗:
脊髄損傷や急性腎障害など、他社が開発を敬遠しがちな領域での開発を進めています。開発領域を選ぶ基準は、豊富な資金力を持つ海外の主流企業と正面衝突するのではなく、世界で戦える独自性があるかどうかです。TMS-007(JX10)のグローバル展開を成功させた先には、日本のアカデミアに眠る確かな技術の種を次々と実用化していく戦略を描いています。
物の力を信じる自然体の経営と日本のバイオ業界が描く未来
ーー組織づくりで重視されていることはありますか。
若林拓朗:
研究から開発まで、全体を見通して意思決定できる人材の育成です。大手製薬会社の研究開発は専門性を重視した分業制になりがちですが、弊社では一人が特許戦略も含めた広い範囲を担う環境があります。全体像を把握しているからこそ、リスクの伴う複雑なプロジェクトにも果敢に挑戦し、適切な判断を下すことができるのです。そうした強固な少数精鋭の集団への進化を目指しています。
また、私個人の経営のこだわりは「自然体でいること」です。気合で物質の性質は変わらないため、もともと備わっている「物の力」を信じ、ありのままのデータを見てフラットに最善の判断を下すことだけを心がけています。
ーー技術開拓を進める先に見据える、日本のバイオ業界の未来図はどのようなものですか。
若林拓朗:
大学の基礎研究から産業化への「ポジティブサイクル」を回し、日本のバイオ業界全体の底上げに貢献することです。資源の乏しい日本にとって、優秀な人材と大学での研究成果は生命線です。リスクをとりながらグローバルで戦い、外貨を稼ぐことができるバイオベンチャー産業は、日本の未来を切り拓く重要な鍵になります。弊社の実績と挑戦が、今後の日本におけるディープテックやライフサイエンスの躍進を牽引する契機になればと願っています。
編集後記
「気合で物質の性質は変わらない」。若林社長の言葉には、科学への深い敬意と合理的な経営哲学が表れている。資金難からの社長就任や世界規模での上場といった劇的な歩みとは対照的に、その語り口は終始フラットであった。大学に眠る技術を掘り起こし、世界の患者を救う壮大な挑戦。同社の歩みが、日本におけるライフサイエンス分野全体の躍進を牽引していく。そんなスケールの大きいワクワクする未来図に期待の高まりを抑えきれない。

若林拓朗/1967年、大分県生まれ。東京大学卒業。株式会社リクルートに入社し、新規事業開発やベンチャー投資などを手掛けた後、大学発のDeepTechベンチャーへ投資するVCを起業。その出資先のひとつが株式会社ティムスであり、2007年に出資した。2011年に同社の共同代表に就任。2018年に代表取締役社長に就任。日本のアカデミアの研究成果を世界のマーケットへつなげ、アカデミアの研究が活気づくサイクルをつくりあげていくことを目指す。