
「君がやってきたことは何も無駄じゃなかった」。学生時代の恩師の言葉を胸に、工学から医療、そしてビジネスの世界へと越境してきた株式会社サイキンソーの代表取締役社長 CEO、原洋介氏。がんの最先端治療の研究者から一転、未病・予防の領域である「腸内環境」の可能性に魅せられ、同社へ参画した。累計20万件以上のデータを武器に、これまでの「検査」中心のビジネスモデルから、人々の生活に寄り添う「データプラットフォーマー」への変革を牽引する。原氏の組織の壁を越えるマネジメントと、次世代の健康寿命の延伸に向けた戦略に迫った。
「やってきたことは無駄じゃない」 工学から医療・研究の道へ
ーーまずは、原社長のキャリアの原点について教えてください。
原洋介:
大学時代のアメリカンフットボールの経験と、恩師の言葉が私の原点です。実は当時、競技に打ち込むあまり本来の勉学に集中しきれず、一時は大学を辞めることも考えたのですが、その際に当時の学部長が「君がやってきたことは何も無駄じゃなかった」と声をかけてくださったのです。
もともと医療分野に興味があったのですが、自分が所属している工学部と医療とのつながりが見出せず、どう関わっていけばいいのかわからずにいました。しかし、先生の言葉をきっかけに、自分が打ち込んできたスポーツでの身体の動きや、学んできた工学の知識が、すべて医療に関連しているのだと気づかされたのです。そこから「工学部だからこそできる医療分野へのアプローチがある」と確信して大学院へ進学し、物理の力を使ってがんを治療する「粒子線治療」の技術に出会い、研究の道へ進むことになりました。
ーー最先端の医療研究から、なぜビジネスの世界へ進んだのですか。
原洋介:
素晴らしい技術を、より多くの人に普及させたいと考えたからです。私が研究していた粒子線治療は、副作用が少なく治療効果も高い技術で、当時の日本は世界をリードしていました。しかし、そもそも粒子線治療という選択肢が知られていないため、実際に放射線治療を受けるがん患者さんのうち、粒子線治療を受けられる方はほぼいない状態でした。「良いものなのに普及しない状況はどうにかしなければ」という思いから、当時の上司と研究所発のベンチャーを共同創業したのです。
普及させるためには、「身近にあるNo.1」であることがとても大切です。その信念のもと、普及できる装置づくりとビジネスの立ち上げに奔走しました。その後、財務責任者として資金調達などを経験する中で、病気を診断されてから治療する手前にある「未病・予防」の領域で社会課題を解決したいと考えるようになりました。創業メンバーの目標に強く共感し、弊社に参画したのです。

組織のレジリエンスを乗り越え「技術」から「データ」の会社へ
ーー経営陣として貴社を率いる中で、どのようなターニングポイントがありましたか。
原洋介:
会社が持つ真の資産は、検査の「技術」ではなく、蓄積された「データ」だと気づいたことが大きな転換期でした。私が参画した当初、弊社は10年近く「腸内環境検査」一本で成長してきており、組織には元の状態に戻ろうとする力、いわゆるレジリエンスが強く働いていたのです。新しいことを始めようとしても、「私たちは検査の会社なのに」と、社内で反発や戸惑いが生まれることもありました。
しかし、検査の累計件数が8万件からわずか数年で20万件へと急増していく中で、全社員の意識が少しずつ変わっていきました。真の資産はデータだということに皆が気づき始めたのです。そこから、データを活かす「プラットフォーマー」へと、会社全体の方向性が明確にシフトしていきました。
ーー蓄積されたデータを活用した価値の提供についてお聞かせください。
原洋介:
各世代に合わせた形でQOLを最大化していくことが重要です。私たちの究極の目標は「健康寿命の延伸」です。しかし、世代によって健康維持に求めるものは全く異なります。何より、20代の方に80代で健康に走るために、20代の今日をどう過ごすのか、そのようなことは強要もできなければイメージさせることも困難です。各世代のありたい姿は、たとえば、20代なら美容、働き盛りの40代なら高いパフォーマンスの維持や睡眠の質改善、80代なら自分の足で歩ける生活といったようにさまざまです。
健康な人に未来のために何かを強要するのではなく、各世代に合わせた形でQOLを最大化していくことが、結果として健康寿命の延伸につながると考えています。そのための手段として、企業向けにデータの探索ツールを提供しています。集めた膨大なデータから相関関係を調べ、企業がターゲット層に合わせた最適な商品を開発できるように支援する仕組みです。
「検査が入口」からの脱却と描く未来図

ーー今後、さらに事業を広げていくための戦略を教えてください。
原洋介:
「検査が入口」という状態から脱却し、もっと気軽に日常の中で健康に触れてもらう機会を増やしていきます。これまでは「便検査」というハードルの高い行動がサービスの入り口でした。私自身、入社してから半年間は検査を受けなかったほどです。事業をさらに拡大し、20代などの世代にもアプローチしていくためには、この状態からの脱却が必要です。
その一環として、食事を記録することで腸活のアドバイスがもらえるアプリをリリースしました。まずはアプリで日常的に腸活を意識してもらい、より深く知りたいと思ったときに検査を受けていただく導線を作っています。腸内フローラ検査は主力事業ではありますが、それが全てではありません。自分に向き合ってもらうためにも、入口のハードルを下げたいと考えたのです。また、最近では外部企業と組み、「断熱と腸の健康」の関連性を調べるといった、食品にとどまらない「衣食住」すべてを通じたアプローチも始まっています。
ーー新たな領域へと橋を架けていく中で、どのような人材を求めますか。
原洋介:
過去にとらわれず、点と点を結びつけて新しい価値を創造できる方です。特定の業界の経験は問いません。それよりも、まだ何もないところに橋を架けていくような挑戦心や、弊社の理念に共感してくれることが重要です。既存の経験則はときに間違ったきれいな景色を見せることもあります。きれいな景色なのに間違っているということは非常に厄介です。そこで、これまでに囚われすぎず、それでいて過去を正しく振り返れる方が必要です。
将来的には、世の中のさまざまな商品やサービスの裏側に弊社のデータが活用されている状態を目指しています。私たちのデータが当たり前のように存在する社会を、一緒につくり上げていきたいですね。
編集後記
「やってきたことは無駄じゃない」。その言葉通り、原氏のこれまでの経験は、すべて現在の構想へとつながっている。組織が抱える“元の状態に戻ろうとする力”を否定するのではなく、データの蓄積によって社内の意識を自然と変革させていった。データ活用が進む現代において、各世代のQOLに寄り添い、「検査」というハードルを越えて日常に溶け込もうとする株式会社サイキンソーの挑戦。衣食住のあらゆる裏側にデータが存在する未来が広がっている。

原洋介/筑波大学大学院修了、博士(工学)取得。国立研究開発法人量子科学技術研究開発機構(QST、旧放射線医学研究所)にて、粒子線がん治療装置の研究開発や治療業務に従事。研究所時代に研究所発ベンチャーを共同創業し、管理部門としてファイナンスや知財、人事、IPO準備を担当。2022年12月にCFOとして株式会社サイキンソーに参画。2024年2月に取締役に就任。2026年2月より代表取締役社長 CEO就任。QST客員協力研究員。