【ナレーター】
国産檜にこだわった注文住宅建設を中心に、リフォーム・マンション事業、また、グループではホテルや会員制リゾートクラブの運営などを手掛ける「株式会社日本ハウスホールディングス・グループ」。
全国の住宅販売実績は10万戸を超え、充実したアフターサービスにより、顧客紹介での受注件数は業界トップクラスを誇る。
近年では、「環境にやさしい、脱炭素社会の住宅」の達成に向け、「檜品質」「ゼロエネ品質」「快適品質」を追求し、次世代省エネルギー基準を超える最高レベルの住宅を提供している。
現会長の成田和幸氏は、新卒入社2年目にして営業成績全国1位を獲得。その後、トップ営業マンとして住宅を販売し、30代で役員昇進を果たした後(のち)、2001年に48歳で社長に就任した辣腕経営者だ。しかし、就任当時の同社は倒産寸前だったという。
苦難を乗り越え、檜住宅のパイオニアとしての地位を確立させた経営者の軌跡と、見据えている未来像に迫る。
【ナレーター】
2021年9月、日本ハウスホールディングスは、暮らしのエネルギー使用量を抑え、自ら生み出す家づくりに注力するという新たな方針を発表。その真意とは。
【成田】
檜品質、ゼロエネ品質、快適品質。3つの品質で脱炭素社会を目指しています。特に重要なのはエネルギーです。
以前は自分で使うエネルギーは、自分の家で生産しようというのがテーマでしたが、今は「限りなくエネルギーを使わない家をつくろう」に変えました。
一段階ステージに上がろうということで、従来の家に比べて2分の1のエネルギーで済む家をつくったんです。
これからのCO2発生量を考慮すると、もっとエネルギーのことを考えなければ駄目だと。そこで当社は国土交通省より先に、同省が決めた最高レベルの基準値をクリアする技術を開発し、消費エネルギー2分の1を基準にした家づくりを行いました。
エネルギーを10使うから10生産するんじゃない。10使っていたものを5にしようと。5にして5の生産で済むような家をつくった方がCO2発生を少なくできるだろうという発想なんです。
【ナレーター】
日本ハウスホールディングス・グループを牽引する成田は、建築学科を卒業後、1976年に入社。設計職を志望していたが、人員不足から営業職を打診される。
そこで成田は、ある条件を提示したという。
【成田】
担当するお客様の家を自分で設計させてほしい、それでよければ営業をやってもいいと言いました。今でいうとエンジニアリング営業ですよね。
それがきっかけで、設計を勉強していない営業にもパースを書かせるなど、ある一定のレベルまで引き上げてから営業をさせるというシステムに変わりました。
自身も学校を出て2年目ぐらいで2級建築士の資格を取得、不動産を扱うようになってから宅建の免許も取得しました。そういった行動がお客様の信用・信頼につながり、お客様から紹介してもらう紹介営業を身につけられました。
また、当社には半年ごとに一定金額の売上を達成した社員を表彰する金バッジという制度があるのですが、14年半の営業職のうち、29回の金バッジすべて取り、29回の表彰のうち15回全国1位を取りました。だから我が社では、営業の神様なんて言われていますよね。
【ナレーター】
その後、函館支店の支店長に就任。当時、年間で16億円ほどだった支店業績を約3倍にするなど、経営者としても大きな成果を残す。
それが実現できた理由について、当時の業界の風習を引き合いにこう振り返る。
【成田】
その当時、住宅産業というのはだらしない産業として悪名を馳せていました。
注文の取りっぱなし、やりっぱなしは当たり前。注文を受けたらお客様のところにあまり顔を出すんじゃない。なぜかといったら苦情が増えるだろう、などと言われていました。
ですから、それと逆のことをやったんですよ。
職人に教えを請い、営業活動をしながらお客様のアフターフォローまで行いました。工具箱を持ってお客様のところに訪問し、自分で直したり、対応できないものは職人に依頼したりしていました。
そういったことをこつこつやり続けて約2年。お客様からの紹介だけで30件、40件の注文が取れるようになり、生活できるぐらいになりました。
だから、当社の社員には「引き渡してからが勝負なんだぞ」とよく言っています。
お客様とは長い付き合いをし、その間でお客様とのご縁を大切にして、お客様のお子さんの家、親戚の家、友人知人の家を任せてもらえるような信用される会社をつくることが一番大事というのがやはり基本的な考えですよね。
【ナレーター】
信頼を積み重ねていった成田は2001年に代表取締役社長へ就任。しかし当時は、多角化経営が軌道に乗らず、倒産の危機に瀕していたという。なぜ成田は社長を引き受けたのか。
【成田】
こんな会社になってしまったのは、創業者や2代目社長が原因かもしれないけれど、自分たちも原因だと思ったのです。
ですから、当時の専務や役員に、こうなるまで言えなかった自分たちにも責任がある。一緒に立て直ししようと言ったんです。それで、専務と役員は残り、手伝ってくれました。
やはり人に恵まれたんだと思います。もちろん、立て直しのためにいろいろやりましたけどね。
【ナレーター】
立て直しを図る中で、成田が課題を感じていたのが、従業員の意識改革だった。苦慮の末、成田が取った行動とは。
【成田】
現在、箱根芦ノ湖の「四季の館」というホテルに変わっていますが、以前はそこが社員の保養所兼研修所だったんです。
そこで3年間、1月~4月までを教育月間として、ひと月20名ずつ週2回、1,800名いた従業員の研修を実施しました。
さらに、全国の支店を飛びまわり、従業員へ会社の現状認識と、「人生いかに生きるべきか考えよう。働く目標や夢を持ちましょう」と伝えたんです。
またその当時、会社は潰れそうでも半年に一度の社員の表彰式は欠かしませんでした。従業員の家族も呼び、自社のホテルや、帝国ホテルなどの超一流ホテルで、お金はないんだけれども、盛大に行いました。
こうして従業員の意識改革を進めたことで、従業員から「自分の決めた目標をクリアできた」という報告がどんどん増えていったんです。増えていくというのは、つまり研修で伝えたことが浸透しているということ。
それもあって、「何とかなるのではないか」と思い始めたのが、社長に就任して3年、4年過ぎたあたりでした。10年目には負の遺産も全部整理でき、まだ金銭面では厳しいけれど、順風満帆という雰囲気になりました。