飲食店には不向きな立地に積極的に出店し、人気店を作り出す株式会社バルニバービ。年商100億円 に迫る勢いで成長を続ける同社代表取締役社長の佐藤裕久氏は、数々のメディアでも特集されている。その佐藤氏の右腕とも言える存在で、ともにバルニバービを支える人物が、常務取締役COO営業本部長の安藤文豪氏だ。25歳で起業した会社の成功と挫折、そして佐藤社長との出会いを経て、現在の地位に上り詰めた軌跡を辿る。

“25歳の起業”に向け営業スキルを磨いた日々

―幼少期や学生時代はどのようにお過ごしになられたのでしょうか?

安藤 文豪:
私は世田谷で生まれ、小学校と中学校は地元の公立校に通い、高校は日本体育大学の付属高校に入学し、スポーツに明け暮れていました。大学に進学したものの、友人の多くは既に就職していて、自立して生計を立てていました。学生だった自分は、友人たちより後れを取っているような気がして、大学時代に「25歳になったら、起業をしよう」と心に決めました。


―学生時代に既に起業を意識していらっしゃったとのことですが、卒業後はどのような道に進まれたのでしょうか?

安藤 文豪:
まず、25歳で起業するために、自分に一番必要なスキルは何かと考えたとき、営業力だと思い至りました。そこで、営業職のみに絞って就職活動を行い、最終的には飛び込み営業を行うリフォーム会社に入社を決めました。

1日300件の飛び込み営業

―新卒で入られた会社では、どのような営業活動を行っていたのでしょうか?

安藤 文豪:
入社してからは、毎日300件ほどの飛び込み営業を続けました。時には犬に吠えられたり、ビールをかけられたりすることもありましたが、当時はとにかく「起業に向けて必要なスキルを得るんだ」という一心でしたね。その甲斐あって、かなり営業成績を伸ばすことができました。


―その後、起業されるまでの経緯をお教えいただけますか?

安藤 文豪:
1年ほど経ったころ、アイスクリームや自動販売機の事業を行っていた商社からヘッドハンティングを受けました。「百貨店への展開を目指し、営業スキルの高い人材を集めている」ということでした。

その企業では、営業はもちろんのこと、商品開発にも携わりました。まだ商品が出来上がっていない段階から営業を始め、とにかく名刺だけでも配ろうと、百貨店の担当部長や課長に飛び込みで営業をかけていきました。その場では相手にされなかったとしても、ヒット商品を出せば必ず振り向いてくれるだろうと確信していたんです。実際、開発した商品が当たるようになると、名刺を配った方々から自ずと連絡が入るようになりました。その後、それまで培った人脈やノウハウをもとに、25歳のときに食物販の製造会社を立ち上げたのです。

督促状の束を前にして

―当初の予定通り、25歳での起業に踏み切ったということですが、事業のスタートは順調だったのでしょうか?

安藤 文豪:
ハワイのスイーツを取り扱ったり、チーズケーキを製造販売したりするなどして、事業を拡大していきました。起業して2年半くらいは、非常に好調でしたね。収益も高く、企画したものすべてが予想通りにヒットするような状態でした。しかし、現実はそう甘くはありませんでした。正直、「この状態はずっと続くだろう」と高をくくっていたのだと思います。新規店のオープンに非常にコストをかけてしまったり、採算の取れない店舗を買ってしまったりといったように、少しずつ歯車が狂っていきました。返済が滞っていたのにも関わらず、当時の私は「次の店、次の企画を成功させれば、こんな状態はすぐに吹き飛ばせる」と考えていました。そんなことを続けているうちに、体調も崩し、とうとう資金が回らなくなってしまったのです。


―撤退しようと決めたきっかけは何だったのでしょうか?

安藤 文豪:
リース会社などから、裁判所を通して督促状がいくつも届くようになりました。それが並んだ机の向こう側で、家族が寝ているのを見たとき、「このままではいけない。家族のためにも、もう一度やり直そう」と決めたのです。その後の展開は速かったですね。関係各所に連絡をし、頭を下げ、月々の返済額を減らしてもらい、不採算店舗の整理をしました。原状回復の工事業者を頼む資金さえなかったので、残ってくれた社員たちとともに、自分たちで壁をはがし、什器を運びだし、看板を下ろしました。

そのときは周囲の人たちに本当に助けられました。店舗を閉めるときも、デベロッパーさんから「違約金はいりません。安藤さんなら、いつか復活してくれますから」と言っていただきました。また、とあるメーカーの社長さんは、かなり残っていた掛売りの代金の返済を延ばしてくださり、「今は一部でいい。必ずお前は復活する。大丈夫だ」と声をかけてくださいました。

“未来”が“過去”を変える

―当時は非常に苦しい時代だったかと思いますが、起業したことを後悔したときはありましたか?

安藤 文豪:
例えば、今、私が仕事や生活面で充実していなかったとしたら、「あんな創業しなければよかった」と思っていることでしょう。しかし、今の私は「あの創業があってよかった」と思っています。よく「過去があるから、今がある、未来がある」と言いますが、私は逆です。「過去は、未来が変える」と考えています。時間は常に流れていきます。1時間後の自分が笑って仲間と肩を組んでいるなら、それまでの経験は失敗ではなく成功です。過去の経験を失敗のままにするかどうかは、その後の自分次第です。

社長と出会って3時間で決めたバルニバービへの入社

―佐藤社長との出会いについてお教えください。

安藤 文豪:
完済の目処がある程度立った段階で、次に何をするかということを考え始めました。ずっと食に関する仕事をしてきたのですが、改めて「食とは何か」ということを思案するようになり、食に携わる人たちに会いに行き、この疑問をぶつけてみようと思い立ちました。


―その過程で社長に出会われたのですね?

安藤 文豪:
そうです。給食センターの社長や、食品工場の工場長、海の家のオーナーなど、食品に関するさまざまな人に会いに行きました。その中で、紹介を受けて訪ねたのが、バルニバービの佐藤社長です。当初は1時間の約束だったのが、気づいたら3時間、語り合っていました。

佐藤社長は、私が考えていた「食とは何か」を追い求めている人だと思ったんです。3時間後には、「安藤君、一緒にやろうよ」と言われ、「わかりました」と返事をしていました。その時は、「自社の整理を終えるまで、1ヶ月待ってほしい」ということを伝えて、握手をして別れました。しかし、結局、その1ヶ月間に2回ほど佐藤社長が私に会いに来てくれたんです。後から「こいつとは絶対、一緒に仕事をしなければならない」と思ったからだと、聞きました。

“本能のまま”に飲食に向き合う

―安藤様から見て、佐藤社長はどのような方だと思われますか?

安藤 文豪:
非常に真っ直ぐで純粋な人だと思います。佐藤社長は、阪神淡路大震災のとき、1杯100円でおかゆを売り、被災者の方からの感謝の言葉に涙を流した経験から、飲食業を始めました。佐藤社長が食に関わることになったこのきっかけは、“飲食業”の“業”が付かない、純粋な“飲食”だったのです。飲食とは、人間の“本能”です。生まれたばかりの赤子が、母親の母乳を飲むのと同じです。佐藤社長とともに仕事をしていく中で、私は「“飲食”というのは、“本能”の仕事なんだ」ということに気付かされました。

もちろん、企業ですから利益を出さなくてはならないし、投資家の方へ還元しなくてはなりません。ただ、こうした“業”だけを追い求めていたら、今のバルニバービはありませんでした。佐藤社長は、“飲食”という最も“ビジネスっぽくなりそうなもの”を、ビジネスではなく“本能のまま”にやっているような気がします。そういう社長の考え方が、私は何よりも好きですね。

“自分のもの”だと思い、仕事に臨む

―安藤様は、スイーツ事業を行う子会社の営業本部長としてご入社後、複数の子会社の代表取締役となり、御社の取締役も兼務されるなど、短期間のうちに重役を歴任されています。このようなキャリアを築くことができた要因は、何だとお考えでしょうか?

安藤 文豪:
全ての事業に対して、“自分のもの”だと思って取り組んできたということに尽きると思います。“自分のモノのようなもの”でいるのと、“自分のモノ”と思うのとでは、全く違います。例えば、食事の席で小さい子どもがふざけてコップをひっくり返し、水がこぼれたとします。それが他人の子どもでしたら、「そういうこともあるよね」と慰めて終わりますが、自分の子どもだったら、ふざけたことを叱りますし、「自分できちんと拭きなさい」と躾けるはずです。私はスイーツ事業もバルニバービのレストランを束ねる事業も、“自分のモノ”だと思ってきました。そう思うことで、当然、リスクヘッジの仕方も、スピード感も変わります。単に“会社の中の1人”だと考えて仕事に臨んでいたら、パフォーマンスにも差が出てしまったでしょう。


―現在、積極的に取り組んでいらっしゃることは何でしょうか?

安藤 文豪:
異業種の人たちと関わり、さまざまな情報や刺激を受けるよう心がけています。外からの情報というのは、その業界にとっては常識であっても、外食産業を行う我々からすると非常に新鮮に感じるものもあります。今後も自身のライフワークの1つとして、続けていきたいと思います。

成長の機会を提供できる企業を目指して

―5年後、10年後の会社の姿はどうあるべきだとお考えでしょうか?

安藤 文豪:
弊社のフィロソフィーとして、“なりたい自分になる”というのがあります。個人の成長なくして会社の成長はあり得ません。ですので、そうした社員1人1人に向けた成長の機会や取り組みを、社員と共に作っていきたいと思っています。

同時に、私は、バルニバービという会社は、飲食店の新たな価値を創造していく企業だと思っています。そのためにも異業種との連携や、海外の文化を日本人に紹介できるような事業展開も進めていきたいと考えています。


―最後に、特に若手のビジネスパーソンに向けて、メッセージを頂けますでしょうか?

安藤 文豪:
過去がいいものになるか悪いものになるかは、未来の自分次第です。迷ったとしても、迷った結果がどうなるかは、未来が決めてくれます。私の座右の銘は「賢者は未来を見て、凡人は今を悩み、愚者は過去を悔やむ」という言葉です。周囲がどんな判断をしようが、最終的には、笑っていられるよう、前を向いていてほしいですね。

編集後記

辛い時期を乗り越え、進み続けてきた安藤氏。「未来が過去を変える」という言葉が非常に印象的だった。既存の枠組みにとらわれることなく、人間の最も根源的な欲求である“飲食”が持つ新たな可能性を、今後も開拓し続けていくに違いない。

安藤 文豪(あんどう ふみひで)/1979年7月生まれ。東京都世田谷区出身。
清和大学卒。2002年、株式会社オンテックスに入社。03年、株式会社吉田商会に入社し、商品開発や百貨店への営業に尽力。06年、株式会社ラヴィールを設立し、代表取締役に就任。09年、バルニバービのスイーツ事業を手掛ける子会社、株式会社パティスリードパラディに入社した。2012年、株式会社バルニバービの執行役員に就任。株式会社パティスリードパラディやバルニバービスピリッツ&カンパニー株式会社の代表取締役など、いくつもの役職を歴任し、2016年、株式会社バルニバービ常務取締役COO営業本部長に就任した。

※本ページの情報は、2017年11月時点のものです。

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株式会社バルニバービ 代表取締役 佐藤 裕久