和にこだわった温泉旅館『界』や、ラグジュアリーホテル『星のや』などのブランドを持ち、国内外のリゾート地に数多くの宿泊施設を展開する星野リゾート。洗練されたデザインと様々なアクティビティプログラムが特徴的な同社が手掛ける新たなブランドが、都市観光ホテル『OMO(おも)』だ。2018年春に北海道『OMO7 旭川』と同時にオープンする『OMO5 東京大塚』の総支配人に就任した磯川涼子氏は、プライベートでは3人の子どもをもつワーキングマザーでもある。女性のキャリア形成にとって1つの大きなイベントである出産・育児を経てもなお第一線で活躍する磯川氏に、仕事と育児を両立し、キャリアを重ね続ける方法について話を伺った。
社長自ら語るビジョンに共感して入社を決意
―就職活動では最初からホテル業界を志望されていらっしゃいましたか?
磯川 涼子:
友人たちの多くは広告代理店や金融関係などを希望していたのですが、私自身は1対1の関わりの中で人を喜ばせたり楽しませたりするということに、自分自身も喜びを見出せるタイプでしたので、サービス業に従事したいと思い、ホテル業界に絞って就職活動をしていました。
―数多くのホテルがある中で、御社を選ばれたきっかけをお教えください。
磯川 涼子:
最初は手当たり次第に色々なホテルを見て回っていました。業界セミナーにも参加したりしたのですが、当時は就職超氷河期時代で、セミナーに参加していたホテルの多くが採用自体をしていなかったんです。その頃星野リゾートはブライダル事業をメインとしており、まだ拠点も軽井沢にしかない状態で、正直、私も星野リゾートについてよく知らないままエントリーをしました。会社説明会に行くと、狭い会議室のような場所で、代表の星野が自ら採用活動をしていたんです。「ホテルオペレーターにとって何が大事なのか」「なぜ、顧客満足度を重視すべきなのか」ということを明確に、かつロジカルに説明をする星野の話を聞き、そのビジョンにすごく共感するとともに「この人の話をもっと聞いてみたい」と思ったのがきっかけです。
仕事の面白さを知り、芽生えたキャリアアップへの意欲
―実際にご入社されてからは、まずどのようなお仕事に就かれたのでしょうか?
磯川 涼子:
OJTで1年目は色々な部署を回りました。教会の介添えをやったり、または、星野温泉ホテルという古い温泉ホテルがあったのですが、そこのフロントや食事サービスの係を担当したりしました。その中で経験した広告部門の業務に興味を抱き、配属希望願いを出し、そこからブライダル広告のチームに入りました。2年ほど在籍した後、社内立候補制度を利用して、衣装美容部門のユニットディレクターに就任しました。
―社内立候補制度とはどういったものですか?
磯川 涼子:
支配人やユニットディレクターといった部門のリーダーに立候補できる制度です。戦略などをプレゼンテーションして認められれば就任することができます。当時はその制度が始まった頃でしたので、ぜひ挑戦したいと上司に相談しました。
―入社直後から、キャリアアップを目指されていたんでしょうか?
磯川 涼子:
入社当時は全然そんなことは考えていませんでした。むしろ、「3年くらいとりあえず働こうかな」という軽い考えを持っていたくらいです。ただ、当時の上司に広告部門で非常に鍛えられて、徐々に仕事の楽しさを感じるようになりました。もともと「人と違うことをしたい」という思いを持っていたのも要因かもしれませんが、立候補してみたら新しい道が拓けるかもしれないという期待感もあって、チャレンジしてみようと決意したんです。入社してまだ数年しか経っていない中での立候補だったので、同期からは驚かれましたね(笑)
フラットな組織文化がもたらす効果
―入社されて感じた御社の魅力についてお聞かせください。
磯川 涼子:
やはり、一番はフラットな組織文化です。言いたいことを言いたい時に、言いたい人に言って、建設的な議論を交わした上で、決まったことは一致団結してやり遂げるというような組織文化が、私の体質に合っていると感じます。代表の星野が家業を継ぐときにその部分に一番力を入れたということを聞いています。やはり接客業というのは最前線に立つスタッフが最もお客様の情報に多く触れていて、問題点を見つけやすいと星野は考えています。ですので、そこの人たちが口を閉ざしてしまうと、本当に経営陣が判断しなければいけない重要な情報が上がってこない、もしくは上がってくるのにすごく時間がかかってしまいます。そうなると変化に対応できなくなってしまう。そう考えて、星野もフラットな組織文化をつくりあげることにずっと注力してきたのではないかと思います。
結婚・出産を意識した出来事
―女性は30歳前後で今後のキャリアについて、自身のライフイベントのタイミングとの間で悩むことも多いかと思います。磯川様には、3人のお子様がいらっしゃると伺っておりますが、当時、その後のキャリアプランについてどのようにお考えになられていたのでしょうか?
磯川 涼子:
20代の頃は仕事も非常に楽しかったですし、結婚に対する憧れもそれほど強くありませんでした。ただ、30歳を過ぎた頃、私の祖父の米寿のお祝いがありまして、その時にふと「このままだと、祖父にひ孫を見せられないのではないか」と思ったんです。そこで、少しでも早く子どもが欲しいと考え、当時のパートナーと話し合ってその数ヶ月後に入籍し、結婚式を挙げました。それから「来年には子どもを産もう」と決めて、実際に1年後に1人目を出産することができました。
休暇復帰後もキャリアを保つ秘訣とは
―ご出産を機に退職を考えたり、会社内のポジションなどは変わったりしましたか?
磯川 涼子:
パートナーが私の仕事に対して応援してくれていたので、退職しようとは考えませんでした。子どもには兄弟をつくってあげたかったので、1人目を産んで復帰する時には、「2年後にはもう1度休むと思います」と職場には伝えました。ただ、年俸が下がることは避けたかったので、「リーダーで復帰させてほしい」と交渉したんです。ちょうど『界』というブランドを立ち上げる時でもあったので、会社としてもブランド立ち上げに関わるポジションをつくりたいということもあり、リーダーとして復帰することとなりました。そして、2年後にまた休職すべく、新ブランドの確立と並行して後任の育成にも力を入れました。
―復帰時のポジションに対して希望を出したり、ご家庭のことなどで会社に理解を得たりするためには、やはりそれまで築いてきた信頼や実績が必要になるかと思うのですが、その辺りについてはいかがお考えでしょうか?
磯川 涼子:
おそらく、早く結婚して子どもを産んで、ある程度子どもが大きくなってから仕事に力を入れるパターンと、先にキャリアを積み、自分の“土台”をつくっておいて、それが維持できる状態で子育てをするというパターンと、大きく分けてこの2つになるのではないかと思います。どちらが向いているかはその人それぞれですが、個人的には、先にキャリアをつくっておいた方が、柔軟に対応してもらいやすい気がします。また、管理職の方が、自分の仕事の時間をコントロールしやすいという利点もあります。「今日は早く帰らないといけないから、この仕事は明日に回そう」というふうに、ある程度自分で優先順位の調整をつけられる環境も必要かなと思います。
“すきま時間”の有効活用が仕事の効率を上げる
―子育てと仕事を両立することを可能にするポイントはありますか?
磯川 涼子:
やはりサポートが受けやすいように住む場所を決めたり、条件にあった保育園を選んだり、働き方について主人と話し合うなど、事前の環境づくりを心掛けていました。仕事の仕方も、例えば移動時間にメールのチェックや要返信のものを振り分けるなどして、集中して作業ができる時にすぐに仕事に取り掛かれるよう、少しの時間も有効活用するようにしています。普段は、子どもを寝かしつける時に一緒に寝てしまうため、9時くらいには布団に入ってしまうのですが、その分、翌朝は4時に起きて家のことや夕食の下ごしらえなどを済ませるようにしています。
新ブランド『OMO(おも)』の魅力
―磯川様が『OMO5 東京大塚』の総支配人に就任された経緯や、新ブランド『OMO』の魅力についてお話をお聞かせください。
磯川 涼子:
2018年、星野リゾートの第4のブランドとして、『OMO』という都市観光の宿泊特化型ホテルを展開することになりました。3人の出産を経て、今後は継続的に会社に恩返しをしようと思っていたタイミングでこのプロジェクトの話がありましたので、社内立候補制度を経て総支配人に就任することとなりました。
今まで星野リゾートはほぼリゾート地に拠点を構えて展開し、地域の魅力についても、施設の中でいかに表現するかということに焦点を合わせてきました。豊富な体験メニューや伝統工芸をしつらえたお部屋もその1つです。しかし『OMO』は、都市観光にいらしたお客様に、いかに「まち」そのものを楽しんでいただくかということに注力したホテルとなっております。
―今まで色々な御社の施設に宿泊されたお客様も、そうでないお客様も楽しめる新しいコンセプトの施設ですね。
磯川 涼子:
今回、価格的にもとてもカジュアルなラインで展開します。コンセプトは「寝るだけでは終わらせない、旅のテンションをあげる都市観光ホテル」ですので、ただ寝るだけではなく、ほんの1時間でも「まち」に出ていただければ特別な体験ができる提案をしていきたいと思っています。今、大塚でも色々な店を訪問したりして研究を始めていますが、街の方もすごく歓迎してくださっています。
―最後に、今後のご自身の展望についてお聞かせください。
磯川 涼子:
まずは、『OMO』という新しいビジネスモデルを確立させたいと思います。例えば、オーナーの方が「今、空いているこの施設を『OMO』にすれば、収益がたくさん入る」「『OMO』にすれば稼働率90%は見込める」というように、生産性も高く利益を上げられると認知していただけるような、顧客とオーナー双方に受け入れられるブランドとして育てたいと考えています。会社としても今後、最も展開しやすいブランドになると思いますので、日本の各地方都市に『OMO』を展開できればいいなと思っていて、それに貢献していきたいと考えています。
編集後記
子育てとキャリアの両立は、子どもを持つ働く女性にとって大きな、そして解決が難しい問題の1つだ。磯川氏の場合、星野リゾートの社風やご家族の協力体制など、周辺環境が整っていることもプラス要素としてあるが、それだけではなく、磯川氏自らが能動的に行動し、キャリアを諦めることなく仕事を続けていけるよう奮闘したことも、両立を成し遂げた大きな要因なのだと感じた。
磯川 涼子(いそかわ・りょうこ)/慶応義塾大学卒。2000年、新卒で株式会社星野リゾートに入社。ブライダル広告事業に携わった後、ホテルブレストンコート衣裳美容ユニットディレクター、星野リゾート広報、星のや軽井沢スパユニットディレクター、界マーケティングユニットディレクタ―等、幅広い業務に携わる。プライベートでは3児の母として、 3回の産休・育休を取得。その後、社内立候補制度を経て2017年12月『星野リゾート OMO5 東京大塚』総支配人に就任。自身が考えたブランド名の由来は「おもいがけない仕掛けとサービスで、おもてなしの心にあふれた、おもわず笑顔になる、おもしろい都市観光ホテル」。