エステティックサロンを全国で展開し、人々の美をサポートし続けているTBCグループ株式会社。

『エステティックTBC』や『MEN’S TBC』のエステティックサロンの運営からコスメ、サプリメント、美容機器の開発・提供まで、人々の外見、内面から健康的な美しさを提案している。

同社をけん引する手塚圭子氏は、東京大学医学部保健学科在学中にミス日本コンテストでグランプリを受賞。1986年にTBCグループ株式会社に入社し、2010年に代表取締役に就任した。

エステティックの黎明期から健康的な美しさを追求し続ける手塚代表だが、大学生の頃はいわゆる“ぽっちゃり体型”でオシャレにも無頓着であり、今の自分とは正反対の姿だったという。

そんな中、同級生の“ある一言”を機に運命の歯車は大きく回り出す。

※本ページ内の情報は2021年7月時点のものです。

“むっちゃん”と呼ばれていた大学時代

静岡県で生まれ育った手塚代表は、地方の国立大学医学部への進学を目指していたが、高校3年生の夏に東京大学医学部の保健学科を目指し、東京大学理科Ⅱ類へと進路変更を決断。

「病気を治すのではなくて、予防医学や病気にならないために健康を追求する世の中になるのではないか。」と健康の重要度が高まってくると予期した上での進路変更だった。

東京大学進学に伴い上京し、初めての一人暮らしをスタートするも、それが影響して食生活はだんだんと乱れていった。

それまでは祖父母と過ごす時間が多く和食中心の生活だったが、一人暮らしは好きなものを好きなだけ食べることができる。

もともと細いほうだと思っていた体型が、徐々にふっくらとしていった。自身もその変化を感じていた。

「醜い自分が見えちゃうから」と次第に体型を隠すような洋服を着て、家にいるのが一番楽だと思うようになり、同時に、周りに見られたくないという気持ちも芽生えていた。

オシャレをしようという感覚もなくなった頃、同級生の男子に“むっちゃん”と呼ばれ始めた。

そのときは、なぜそう呼ばれているのかわからなかった。なぜだろうと疑問に思いながらも、気さくに呼んでもらえるならいいやと気にしなかった。

1年ほど“むっちゃん”と呼ばれる日々が続き、仲のよかった同級生にその意味を思い切って聞いてみると、予想外の答えが返ってきた。

「むちむちしているから、むっちゃんだよ。」

周りからはそう見られていたんだと、驚きと同時にショックを受けた。

-10kgの減量に成功し、ミス日本グランプリを受賞

“むっちゃん”という愛称の本当の意味を知り、恥ずかしさと同時に「一生このままでいいのか」と自問自答し始めた手塚代表。

「ずるずるこんな人生を歩むのはつまらない、人生を変えたい。痩せたい。」

その気持ちを支えたのは日本の美容体操の第一人者である、和田静朗氏の著書だった。

その本には、太っていた人が痩せてミス日本になった写真が載ったページがあり、「こんなに人は変われるんだ。これしかない」と思った。

そしてまずは、ごはんやパンの量を半分にするところから、食生活の見直しを始めた。

“むちむちしているからむっちゃん”。当時の自身の体型を揶揄する心ない呼び方だが、

「感謝ですね。今の自分ではだめだということに気づかせてくれ、人生を変えることができたのだから。」と手塚代表は振り返る。

この“むっちゃん”と呼ばれたことをきっかけに、「変わろう」という強い気持ちを持って臨んだ結果、見事-10㎏ダイエットに成功した。

痩せてからはオシャレが楽しくなった。家にいることが一番楽だと思っていたが、いつしか人に見てもらいたい、友達と会って出かけたいと行動的になり、体型だけでなく、気持ちの面でも変化があった。

その後、姉の後押しもあり、ミス日本コンテストに出場した手塚代表。見事グランプリを受賞した。

ミス日本グランプリを受賞した手塚代表(1977年度・提供:一般社団法人ミス日本協会)

「ミス日本に応募するという大胆な行動ができたのも、痩せて人前に出ても大丈夫な自分になれたからです。」

痩せて身体が軽くなっただけでなく、心も軽くなったことを実感した手塚代表。

ミス日本グランプリを受賞後、1年間で数々の著名政治家や芸能人の方々にお会いする機会にも恵まれた。

東京大学での勉強と華やかな表舞台とを同時進行で体験し、これまでの生活とは全くの別世界を垣間見ることができた1年間は、まるで宝のような経験だったと振り返る。

大学卒業後はテレビ局、そして国際協力に関する仕事に就いた手塚代表。エステティックの業界に飛び込んだのはその後のことである。

当時認知度の低かったエステティックの道を志した理由

1986年、TBCグループ株式会社へ入社した手塚代表。

当時は世間でのエステティックの社会的認知度は低く、大学の先生にエステティック業界への就職を報告するとこう言われた。

「エステティック?それは何なんだ?そんなところに就職して大丈夫か。」

大学の先生もエステティックのことをよく知らないほど、当時のエステティックは贅沢な美容というイメージが強く、一般の人々にとって身近なものではなかった。


そんなエステティックを自身で体験してみようと思えたのは、「脱毛って何だろう」と大学の図書館で文献を調べたのがきっかけだった。

調べた結果、医学論文に発表された内容を美容用に改良された方法であることを知り、その後、知人を通じて、TBCで脱毛を体験することに。回数を重ねるうちに毛がどんどん少なくなり、最後には無くなった

当然、エステティック業界への挑戦は周りにも心配されたが、手塚代表には、痩せて人生が変わったという経験がある。

脱毛だけでなくフェイシャル・ボディシェイプも行なう会社だとわかった時、まさに自分の体験してきたことだと感動したという。

「『自分が進むべき道はこれだ!これしかない!』というくらいに、気持ちが固まったんですよね。」

エステティックは、自身のコンプレックスを取り除くことができ、それによって幸せな人生を歩むことへつながる。

より多くの人にその体験を提供し幸せな人生を歩んでもらいたいと、入社を決断した。

入社後は、エステティシャン養成校の教育部長に、その後2つの大学との共同研究に没頭。

手塚代表は心身ともに、どっぷりと研究に浸かる日々を送った。

「私が研究していたのは病気の治療ではなく、脱毛やボディシェイプなどのエステティックの中のもの。エステティックにはいろいろな研究のテーマが転がっています。そのテーマが豊富にあったからこそ、エステティックに魅力を感じ続け、さらに追求したいと思えたのかもしれません。」

そして2010年にTBCグループの代表取締役に就任。

人の美しさと健康を継続可能なものにするべく、TBCグループのサービスの在り方を追求し続けている。

※TBCの脱毛法『TBCスーパー脱毛』を一定期間、継続的に受けた場合の効果です。コース効果及び脱毛が終了するまでの回数等は個人差があります。

エステティシャンがより働きやすい環境をつくる

「エステティックはエステティシャンが常に寄り添い、ご希望を叶えるからこそお客様に満足いただけるものだと思います。」と語る手塚代表。

近年では、新型コロナウイルスの感染拡大によってデジタル化が加速し、人の温もりを感じる機会が減り、“心の健康”の維持に影響を及ぼしている。

そのため、エステティシャンがお客様の肌に直接触れて施術することの価値は上がっているのだという。

「お客様にご満足いただくために、エステティシャンにはお客様と接する時間に集中して欲しいのです。」

ロボットやAIにはできない、エステティックならではの良さがそこにはあると手塚代表は考える。

TBCのエステティック事業は、エステティシャンなしでは成り立たない。

カウンセリングやメニューの組み立て、施術などお客様とのやりとりはエステティシャンが行なうが、事務的な負荷を軽くするためのシステム化は積極的に進めている。

顧客が情報を入力するタブレット端末の導入などがひとつの例である。

全国各地でエステティックサロンを展開している以上、デジタルで補える部分は補い、エステティシャンには自身にしかできない業務に集中して取り組んでもらいたいという意向だ。

また、TBCグループのエステティシャンは女性社員が多く、女性が長く働きやすい環境づくりにも力を入れている。

30年以上前から導入している結婚・出産を機に退職したエステティシャンの再雇用制度を始め、勤務間インターバル制度の導入や有期雇用から無期雇用への転換なども、法律に先駆けて取り組んでいる。

また、ストレスチェックの実施やネット医療サービスが全社員に使用できるようにする等、社員の健康管理にも注力している。

「社員にも長く働いてもらえるし、長期的にみても会社にとってプラスになる」と手塚代表を中心に前向きに取り組んできた結果、経済産業省および日本健康会議が選定する「健康経営優良法人」に2年連続で認定を受けた。

“すべてのエステティシャンが働きやすいように”というスタンスを念頭に、現場の意見をなるべく吸い上げ、日々改善を心がけている。

全ての人々の美と健康の悩みを解消するために

1976年の設立以降、美と健康を目指す多くの女性に寄り添ってきたTBCグループ。

近年では女性だけでなく、男性専用のエステティックサロン『MEN’S TBC』も48店舗まで拡大。

手塚代表がエステティック業界に飛び込んだ当初には、とても考えられなかったような層のニーズが増えているという。

「男性の美容の意識が変わってきて、どんどんおしゃれになってきていると感じます。その影響からか『MEN’S TBC』は人気が出てきていますね。」

「ヒゲの脱毛ひとつをとっても、全部脱毛したいというご希望もあれば首やほおだけなど自分の施術好みのデザインに脱毛したいというご希望もあります。お客様のあらゆるご希望に対応できたらと思っています。」

また、古くから通っている「リピーター」から、自分の子どもも脱毛させたいという要望が出始めたことを受け、2011年より姉妹ブランドである『エピレ』にて子ども向けの『キッズ脱毛』の提供を開始した。

7歳から脱毛の施術を受けることができ、TBCで脱毛するメリットを知ったリピーターから子や孫へ、という新たな流れができつつある。

全ての人々の美と健康のコンプレックスを解消し、幸せな人生を歩むための第一歩となれるよう、飽くなき挑戦はこれからも続く。

手塚 圭子(てづか・けいこ)/静岡県出身。東京大学医学部保健学科在学中、同級生の言葉をきっかけに一念発起し、-10kgのダイエットに成功。その後、ミス日本コンテストに出場し、第9代グランプリを受賞した。1986年にTBCグループ株式会社に入社し、美容研究やエステティシャンの教育に携わる。2010年、TBCグループ株式会社の代表取締役に就任。