※本ページ内の情報は2023年9月時点のものです。

日本国内では人口減少やライフスタイルの変化、若者の酒離れなどにより酒類の消費量は年々低下しており、酒類業界が窮地に立たされている。

さらに、アルコール飲料の多様化を受け、日本酒の国内出荷量は大きく減少した。

そのような現状を打破しようと、日本酒を若い世代や世界に広げていこうと奮闘しているのが、創業300年の老舗酒造メーカーである沢の鶴株式会社だ。

酒米の新たな品種を作るため、農業機械などの産業機械メーカーであるヤンマーと「酒米プロジェクト」を発足、2018年に発売した『沢の鶴X01(エックスゼロワン)』は即完売し、大きな話題となった。

同社の代表取締役社長である西村隆氏は、「狭い世界だけを見てネガティブになっていてはいけない」と語る。

異業種とのコラボや海外への販路拡大、SNSの活用など、潮流の変化に合わせて新たな挑戦を続ける15代目、西村社長の想いについて伺った。

現場を経験して気付いた社員たちの想い

--33年ぶりの社長交代で、バトンを引き継いだ当時の思いをお聞かせいただけますでしょうか。

西村隆:
創業300周年という節目で社長に就任して今年で6年経ちますが、本当にあっという間でしたね。

代表になるまで10年ほど沢の鶴で働いてきたのですが、入社してからは管理部門、総務、経理、マーケティング部門、業務部門、製造部門、営業など全部署を経験してきました。

立場の違いはあるものの現場社員と一緒に仕事をして、彼らの想いを直接聞くことでとても刺激を受けましたね。

私が入社した頃は業績が伸び悩んでいたこともあり、多くの社員が「これからどうなってしまうのか」という不安を抱えていて、未来に向けて前向きにやっていこうとは言えない状況でした。

そのなかでも、社員と一緒に働いて仕事に対しての取り組み方がすごいな、自分より優れているなと感じる部分がたくさんありました。

私は大学を卒業してから別の会社で4年ほど社会人経験を積んでいたため、入社前はある程度会社に貢献できるという自信がありました。

しかし、彼らの仕事に対する姿勢を見て、「自分には覚悟が足りていない」と目が覚める思いでした。そこで、少なくとも情熱で社員に負けてはいけないと、自分の中でスイッチが入りました。

こんなに彼らが頑張っているのに会社は伸び悩んでいるという状況を踏まえて、この会社を絶対変えないといけない、やるべきことをすぐに始めなければいけない、という思いがありました。

具体的に何をするべきかを問い続け、会社を一歩でも前進させるのが私の使命だと考えていましたね。

会社のトップになった今も活きている現場での貴重な経験

--入社されてから経営に携わられるまでのご経験について教えて下さい。

西村隆:
まずは会社のことを知るために入社してから1年はさまざまな現場を体験し、次に東京支店で3年間営業を学びました。

製造部門の現場にいるときはノートを持ち込めないので、小さな手帳に毎日メモをしていました。

自分の中で感じた職場のいい部分やそうでない部分を書き留め、いずれ会社を引き継いだときにやりたいことや改善したいことをリスト化していったんです。

今でも時々このメモを読み返すのですが、生意気なことを書いているなと思いながらも、その頃の自分はこんな風に思っていたんだと再発見することもあります。

当時は「いずれ役に立てば」くらいの気持ちで現場に出ていたのですが、今になって振り返ると、いきなり管理職や役員になるのではなく、現場の仕事を経験できたというのは貴重な財産だと思いますね。

社内にはいろいろな方がいて、私に直接厳しい意見を言ってくる人もいました。ストレートに意見を言ってくれる人はものすごく貴重です。会社のことを大切に思っていて、眼の前の状況を何とか良い方向に変えたいと望んでいる人ほどきっちり指摘してくれますから。

新しい酒米作りのコラボレーション

--新しいチャレンジとして具体的に取り組まれたことをお伺いできますか。

西村隆:
異業種とのコラボ企画として、農業機械メーカーのヤンマーさんと新しい酒米を作る「酒米プロジェクト」を立ち上げました。

異業種と組むのは初めてのことで、しかも酒米をイチから作るというのも日本酒業界では前代未聞のプロジェクトでしたね。

ヤンマーさんとのコラボが実現した理由は、お互いに日本の農業を盛り上げていきたいという情熱を持っていたからです。

農業従事者の高齢化や後継者不足、気候変動による不作など、日本の農業が抱える課題は
取り組むべき大きなミッションです。

私たちも日本酒の原料となる良質な酒米を安定的に仕入れたいと思っているので、これはヤンマーさんと私たちの共通の課題なんですね。

そこで、ヤンマーさんにとっては農家の方ができるだけ育てやすく、収益をしっかり得られるもの、私たちにとっては美味しいお酒ができてなおかつリーズナブルなものを追究した結果、新しい酒米を一緒に作ろうと、タッグを組むことになりました。

発売まで6年かかりましたが、新しく開発した酒米で日本酒の量産化に成功したのが『NADA88』です。

これまでお米の品種というのは国や自治体の試験場でしか開発されていなかったのですが、民間で初めて開発に成功した事例ということでメディアでも取り上げられました。両社の社員の力を結集させて商品化し、大きな反響をいただけたときは感動しましたね。

リソースの限界はあるので、自社だけでできないことはたくさんあります。そこで他社や異業種と組んでチャレンジしてみることで、新たな道が開けると思えた大切な経験ですね。

経営者になってから、先頭に立ってさまざまなプロジェクトを推進してきましたが、どれも私一人では完成できないため、担当部署や現場の皆で形にしていく作業が必要なんですね。

酒米プロジェクトも必要性に共感してくれた社員がチームとして支えてくれ、ヤンマーさんのスタッフの方々にもご協力いただけたからこそ成し遂げられたことです。
これほどまでの達成感を得られた経験は本当に貴重だと思っています。

新ブランドの立ち上げ

--『八継(はっけい)』という新ブランドの立ち上げもチャレンジのひとつですね。

西村隆:
これも大きなチャレンジとなりますが、50年の熟成酒の販売を開始しました。

当時の先輩方がお酒を貯蔵して熟成するという選択をとり、50年経った今、私たちが受け継いでいるところに価値を感じています。

その価値をお客様に伝えることが私たちにできることであり、新たなチャレンジでもあります。今年始めたばかりのブランドなので、これから少しずつ育てていきたいと思っています。

この熟成酒はマーケティング部門から企画の提案を受けたのですが、このアイディアを聞いたときに私自身もワクワクして、「ぜひやろう!」と伝えました。

常日頃から「失敗を恐れずにチャレンジしよう」と社員たちには言っているので、彼らが提案してきたアイディアをできる限り否定しないようにしています。

海外での販売経験で感じた日本酒の未来への可能性

--これからの注力テーマとして挙げられていた海外展開についてお聞かせいただけますか。

西村隆:
私が営業部門で海外の輸出に携わっていたときに、日本酒は海外ですごく需要があることに気付きました。

海外の得意先は私たちの商品を積極的に興味を持ってくれて、こちらから売り込みをしなければならない日本とは全く違うなと大きなギャップを感じました。

そこで日本酒が持つポテンシャルを実感したのですが、当時私が知っていたのはニューヨークやロンドンなど一部の街だけだったんです。

世界にはもっと多くの国や街があるのにまだまだチャレンジできていないじゃないか、日本という狭い世界だけを見て悲観していたらダメだなと。

需要のある海外に販路を拡大し、世界中のお客様にアプローチしていくことで日本酒の未来が開けていくと思っています。

また、以前の私のように海外の人は日本酒を飲まないだろうと思っている同業者の方に向けて、世界でも人気があることをもっとオープンにしていきたいですね。

時代に合わせた販売戦略

--ECや商品開発など今後の取り組みについて、お聞かせいただけますでしょうか。

西村隆:
時代の変化に合わせてSNSを使ったマーケティングやECサイトの強化は必須だと思っています。

特にSNSは消費者とコミュニケーションを取る手段としてさらに有効活用していくつもりです。

私たちは日本酒業界の中ではSNSのフォロワー数がトップクラス(※X(旧Twitter)12.8万人、Instagram1.4万人、Facebook4.5万人)で、ECサイトにも力を入れていますが、他の業界ではもっと成果を上げている企業もあります。

異業種コラボを経験して広い視野を持ってビジネスをするべきだと感じているため、他業界の取り組みも参考にしていきたいですね。

また、今年から始めた取り組みに、当社で初となるオランダから輸入したノンアルコールビールの販売があります。

日本酒以外にも視野を広げていこうと思ったときに、私たちの事業領域と商流・物流が一致しているノンアルコールビール「Bavaria(ババリア)0.0%」の販売に着手しました。

ノンアルコールビール「Bavaria0.0%」

これまでさまざまな企業とコラボしてきましたが、パートナーとなる会社の背景を知ったうえで理念に共感でき、お互いにタッグを組む意義や必然性があるかどうかも重視しています。

今回提携したオランダの醸造所は、私たちと同じく300年以上の歴史を持つファミリー企業ということもあり、企業風土や理念が非常に近かったため、パートナーとして組むことにしました。

また、日本の消費者に本物のノンアルコールビールを飲んでいただきたいという想いもありました。日本で製造されているノンアルコールビールの多くは、添加物を混ぜ合わせてビールに似た味を作ったいわゆるビールテイスト飲料なんです。

しかし、我々が販売するノンアルコールビール「Bavaria0.0%」は麦芽とホップでビールを作り、そこから真空蒸留という特殊な技術を使ってアルコールだけを抜いて製造しているんですね。

ビールテイスト飲料とは違う、本物のノンアルコールビールの味を楽しんでいただければと思っています。

若い方々に今経験しておいてほしいこと

--最後に若い方々に向けてメッセージをお願いいたします。

西村隆:
できれば20代のうちからお酒の場に顔を出して、いろいろな人と交流をしてほしいなと思います。

お酒を酌み交わしながらコミュニケーションをとる機会が減ってきていて、敬遠する人も多いと聞きますが、人が集まるところに何度も通えば素敵な人に出会う確率も上がるはずです。

私自身も若い頃にいろいろな人から話を聞いて、刺激をもらったり勉強になったりしたことがたくさんありました。

仕事は1人で完結することなんてほとんどなく、周りの人に助けてもらってようやく形になるものなので、やはり人と人との縁は大切だと思っています。

もちろんすべてが良いご縁につながるわけではないのですが、お酒を飲みながらじっくり会話をするというのも大切なことだと感じています。

それと厳しいことを言うようですが、この世の中は競争社会なので、周りがしていないことをあえて経験することでその分抜きん出た存在になれるでしょう。

お酒をたくさん飲む必要はないですが、体力があって頭もやわらかい時期に酒席で得た情報も、将来きっと財産になるはずです。

編集後記

入社後すぐに役職には就かず、一社員として会社を見てきた西村社長。「社員と一緒に現場で働いた経験があるからこそ、会社のリーダーとなった今、皆をハッピーにしたいという想いが強いですね」と語る。

お酒を飲みながらコミュニケーションをとる機会が徐々に減少し、趣向の多様化によって酒類業界は少ないパイの取り合いとなっている。しかし、固定観念を覆すチャレンジに果敢に取り組み、海外進出による日本酒のビジネスチャンスの獲得にも余念がない沢の鶴株式会社から目が離せない。

西村 隆 (にしむら・たかし)/1977年3月18日生まれ。甲南大学 経営学部経営学科卒業後、雪印乳業株式会社(現:雪印メグミルク株式会社)に入社、2003年沢の鶴株式会社に入社。2010年に取締役、2012年に常務取締役、2014年に専務取締役、2017年に代表取締役社長に就任。農業機械などの産業機械メーカーであるヤンマーと「酒米プロジェクト」を発足。2018年に発売した『沢の鶴X01』がヒットし、2022年に集大成となる『NADA88』を発売し、話題をよんでいる。