※本ページ内の情報は2023年11月時点のものです。

日本の製造業は少子高齢化による人材不足や、後継者がおらず事業の継承が困難になるなど、多くの課題が山積している。

そんな中、外国人人材の職環境を整備し、幅広い分野の制御機器部品を製造しているのが、三正工業株式会社だ。

同社では20年以上前から外国人技能実習生の採用を開始しており、外国人と共に働く環境を整備してきた。

また、建設機械の油圧機器を基軸に流体制御機器(油圧、空気圧、水圧、ガソリン、真空、他)の分野に幅広く事業領域の拡大を実現し、市場、顧客の偏りを解消したことで現在も安定した経営を続けている。

先代である父親から会社を引き継ぎ、2019年12月に社長業から退いた岸会長の思いについてうかがった。

入社直後に工場の責任者を任される

--先代、つまりお父様が三正工業を創業されたのですね。

岸秀世司:
そうです。戦前父は新聞記者を経験した後、ネジ工場で半年働いていました。その後、自分で工場を建てて職人を雇ったのが三正工業の始まりです。

父は製造業の経営者をしていましたが、資金調達や営業などを担当していて、モノづくりは職人さんたちに任せていたため、最後まで作業着を着たことはありませんでした。

--お父様の会社を継がれることは意識されていたのですか。

岸秀世司:
子どもの頃から兄は会社を継ぐ気がなかったので、私が会社を継ぐものだと思っていましたね。

大学卒業後は父親に社会経験を積んでくるように言われ、三興鋲螺株式会社(現サンコーインダストリー株式会社)に入社しました。

しかし、入社から8カ月経過した頃に体調を崩してしまったため、予定より早く三正工業に入社することになりました。

父のように、モノづくりはできなくても会社の経営はできると思っていたので、まずは営業の仕事から始めたのですが、福島に新しく工場を建てることが決まり、急きょ工場長に抜擢されました。

右も左もわからないまま24歳で新工場の責任者となったわけですが、3年ほどかけてなんとか軌道に乗せました。

会社が窮地に陥ったタイミングでの社長就任

--社長に就任された経緯についてお聞かせください。

岸秀世司:
先代は私が中学3年生のときに脳いっ血で倒れてからというもの、実務にはほとんど携わっておらず、他の従業員が仕事をカバーするような状況でした。
そして2001年の10月に先代が他界し、私が会社を引き継ぐことになりました。

その前月にはITバブル崩壊により取引先が1社倒産し、売掛金4000万円が不渡りとなっていて、会社の危機を迎えたタイミングでの社長就任でした。

そこからは肩書としては社長になったものの、新米経営者の自分には何ができるのだろうと悩みましたね。

そんなときに学生時代に教材販売のアルバイトの成績が良かったことを思い出し、営業ならば自分にもできると思ったのです。

トップ自らが営業をすれば会社に持ち帰らずにその場で判断ができるので、これ以上強い営業はないだろうと思い、業界でトップの営業マンになるためとにかくがむしゃらに働きました。

--その後は窮地をどのように乗り越えられてきたのですか。

岸秀世司:
先ほどのITバブルの崩壊とリーマンショックが弊社にとっても大きな危機で、まさに運転資金がショートする寸前でした。

しかし、「入るを量りて出ずるを制する」というように、入ってくるお金が少ない分支出を減らし、予算管理を徹底して危機を乗り切りました。

また会社にとって従業員は宝だと思っているので、経営が厳しいときでも人員整理は一度もしませんでした。

会社は誰のためにあるのかと言ったら、株主、従業員、顧客や仕入れ先、地域社会などのステークホルダーのためです。

この2度の危機を脱してからは1度も赤字になっていないので、すべての物事に対して原理原則を守れば失敗はしないと思っています。

事業領域を分散し市場の変動によるリスクを回避

--貴社は幅広い事業を手がけられていますね。多分野の部品製造を行うのはなぜでしょうか。

岸秀世司:
弊社は創業時から建設機械や油圧機器の部品を取り扱っていたのですが、リーマンショックのときに売り上げが8割減少したため、この先同じような経済危機が起こったときのために取引先の分野を分散しようと考えました。

そこで景況に左右されにくい農業分野に進出しようと思った矢先に、クボタさんが油圧機器の製作を始めたことを知ったのです。

それから知り合いに掛け合い、クボタさんの担当者との商談をセッティングしてもらった結果、無事取引につなげることができました。

こうした実績が評価され、ナブテスコさんやダイキンさんにも弊社で製造した部品を使っていただけるようになったので、クボタさんとの取引は大きなターニングポイントでしたね。

人手不足の危機を救った外国人スタッフの採用

--貴社では多くの外国人スタッフを採用されていますが、そもそものきっかけは何だったのでしょうか。

岸秀世司:
金属部品を製造するには、組立現場で必要な部品を集めるピッキング作業や、倉庫から工場への輸送、注文書の作成作業などが発生するため、多くの人材が必要です。

しかし、私が社長に就任した当時は新入社員を採用してもなかなか定着せず、人材不足に悩まされていました。

そこで外国人技能実習生として、ベトナム人2人を採用したことをきっかけに、外国人人材に目を向け、彼らの働く環境を整備してきました。

今では50人の技能実習生と特定技能実習生が10名弱、その他エンジニアなども採用し、計60名以上の外国人スタッフに働いてもらっています。

--今後も外国人スタッフを増やしていく予定なのでしょうか。

岸秀世司:
そうですね。
今はSNSなどで会社の情報をチェックできるので、労働条件や待遇が悪い会社は選ばれなくなっています。

台湾や韓国、中国へ出稼ぎに行く人たちも増えているので、彼らにとって働きやすい環境を整える努力をしています。

また、今年から新卒採用も積極的に行っており、大卒1人と高卒3人を採用しました。

新卒採用をするにあたって私自ら学校を訪問したのですが、会社のトップが出向くことでこちらの本気度が伝わり、採用に至ったと思いますね。

後継者育成と今後の課題について

--早い段階で社長職を退かれたのには何か理由があるのでしょうか。

岸秀世司:
経営者が亡くなった後にきちんと継承されず、会社の運営が上手く行かなくなった企業はこれまでたくさんありました。

私自身もこの先何があるかわかりませんし、健康なうちに後継者教育へ力を入れようと思い、代表の座を退きました。

そこで私が後継者として選んだ飯島には、社長職を引き継ぐ10年前から「お前が次の社長だぞ」と伝えていました。私の仕事にも同行させ、経営者にとって必要な知識を教えてきましたし、これからも私がいるうちは彼をサポートしようと思っています。

--貴社の今後の課題についてお聞かせください。

岸秀世司:
今のビジネスモデルで行けば2030年には年商30億円に届くと予想していますが、年商40億円を超えることは私たち中小企業にとっては大きな壁だと思います。

この壁を突破するため、先ほどもお話しした通り組織を支えるマンパワーを増強していこうと採用を進めています。

また、技術者のスキルは大手と取引できる水準にあるため、他社との差別化を図るために、管理者層の強化に力を入れています。

ITも駆使しながら職場全体を管理する仕組みを構築することが、品質の向上やコストの削減、短納期の実現のキーポイントだと思っています。

さらにマニュアルを整備していて、さまざまな国籍の人が働きやすく、製造の仕事に初めて携わる人でも現場に入ってすぐに業務に取り組める環境を整えていきたいと思っています。

編集後記

会社が4000万円の不渡りを抱えたタイミングで会社を引き継ぐことになった岸会長。ITバブル崩壊により世界経済が混乱に陥る中、会社を立て直すのは相当な苦労があったことがうかがえる。日本の製造業が人材不足に悩む中、外国人スタッフを積極的に採用し、誰もが働きやすい環境を目指す三正工業株式会社の挑戦は続く。

岸 秀世司(きし・ひでよし)/1963年4月13日東京生まれ、1986年3月国際商科大学(現東京国際大学)卒業後、1986年4月三興鋲螺株式会社(現サンコーインダストリー株式会社)に入社。1986年12月三正工業株式会社に入社、1989年に矢吹工場長、1996年に常務取締役、2001年に代表取締役社長、2018年12月代表取締役会長に就任し、現在に至る。