※本ページ内の情報は2024年1月時点のものです。

日本の水産業界では、就業者の高齢化と担い手不足が深刻だ。漁業就業者のうち65歳以上が4割を占め、個人経営体のうち後継者がいるのは全体の2割以下となっている。

そんな中、兵庫県にある姫路市中央卸売市場で水産物の卸売会社を運営しているのが、丸魚水産株式会社だ。同社は国内をはじめアラスカ、ロシア、北米、北欧など、世界の海で集荷された多種多様な水産物を取り扱っている。

経営状態が悪化していた義父の会社を引き継ぎ、経営の立て直しや販路拡大に貢献してきた鎌谷社長の思いを聞いた。

予想外の社長就任から会社の立て直しに奔走した日々

ーー以前は銀行に勤めていらっしゃったそうですが、丸魚水産に入社されたきっかけは何だったのですか。

鎌谷一磨:
私が勤めていた銀行では当時海外へ一度赴任すると、次の転勤先が他の国となる場合が多く、このままだと自分の子どもが日本を知らないまま大きくなってしまうかと思っていました。

そのときに義父の会社で総務関係の人材が足らないので、仕事を手伝ってほしいと声がかかり、子どもの教育環境のことも考えて銀行を辞め、丸魚水産に入社しました。

ーー社長に就任されることが決まったときはどのような心境でしたか。

鎌谷一磨:
総務や財務関係をすべて見ていたので、会社の経営状態が良くないのもわかっていました。

また、魚介類の消費量は2001年をピークに減少傾向が続き、2011年には魚介類よりも肉類の方が消費量が上回り、水産物業界がこれから先細りしていくだろうと予測されていたので、正直に言うと会社を引き継ぐことにはかなり悩みました。

さらにバブルが崩壊した後でしたので、会社の過剰債務の処理もしなければいけませんでした。

ーーそれからどのように会社を立て直したのでしょうか。

鎌谷一磨:
バブルのときに先代が購入した1万坪の土地があったのですが、何に使うかは決まっておらず、放置したままでした。

そんなときに大手スーパーが大型ショッピングセンターを出店するのに合わせて、配送センターを建設する用地として貸し出すことになり、一定の収益を得られるようになったのです。

そこから得られる収益を元手になんとか過剰な債務を処理できましたが、これまでを振り返ると一番大変な時期でしたね。

ーー社長就任当初が特に苦しい時期だったと思いますが、新型コロナウイルスの蔓延による業績へのダメージはありましたか。

鎌谷一磨:
飲食店やホテルが休業せざるをえない状況でしたので、その方面の販売先が途絶えてしまったうえ、国からの給付金などの支給の対象外だったのでとても苦しかったですね。

スーパー業界全体の売上は増加していましたが、加工食品や簡単に調理できる食材の需要が増える一方、魚の料理を作ることが減少したため、弊社の売上は減少していました。このような状況をどのように挽回すればよいのか、当時は手探り状態でした。

個人の力量が試される市場での仕事について

ーー貴社の仕事の特徴についてお聞かせいただけますか。

鎌谷一磨:
市場の場合は「魚の目利きができる○○さんのところから買う」といったように、個人にお客様がつくことが多いのです。そのため毎日同じ場所で同じ人と会って、ものを売ったり買ったりするという、ある意味特殊な環境です。

そのため、弊社の社員は組織の歯車のひとつというよりも、自分で商売の基本を覚えて自分で取引を増やしていくといったように、能動的に動くことが求められます。当然自然相手の商売なので昨年獲れたものが今年も獲れるわけではないため、ノルマはありません。

しかし、「この人に獲ってきた魚を売ってほしい」「この人からすすめてもらった魚を買いたい」といったように、人に対して商品やお客様がつくので、ここに楽しさを感じられる人はどんどん成長していきますね。

ーー商品そのものよりも人に対してお客様がつくということは、それぞれが感覚的に行ってきた部分も大きいと思いますので、教育をするとなると難しそうですね。

鎌谷一磨:
おっしゃる通り新人教育は難しいところです。会社を継続していくには担当者の引き継ぎが必要なのですが、20年、30年担当していた業務を別の社員に引き継ぐとなると、一筋縄ではいきませんね。

個人の感覚でやってきたところがあるのでなかなか言語化できるものではないですが、普段の社内の雰囲気から見ても、先輩後輩の垣根を感じることが少ないため、チームとしてフォローする体制が自然と整っています。

ーー貴社の仕事の魅力について教えていただけますか。

鎌谷一磨:
弊社のような卸売会社は、年始に豊洲市場のマグロの初競りの様子がニュースにとりあげられるくらいで消費者の方の目に触れる機会がほとんどないので、何をしている会社なのか一般の人はわからないですよね。

しかし、農林水産省の認可を受けた荷受機関として、私たちの仕事は人々の生活には無くてはならない重要なものです。

また、本人が頑張れば頑張るだけ評価されるので、自主的に動いてどんどん仕事を獲得していくやり方が好きな方にはとても魅力的な仕事だと思います。

ーー今後企業規模を拡大をしていくために、海外への販路拡大も目指されているそうですね。

鎌谷一磨:
国が、日本の水産物はクオリティが高いので海外へジャパニーズブランドとして売り出そうと活動していまして、日本食のユネスコ認定も追い風となっていることから、これから海外への出荷を増やしていきたいと考えています。

また2023年6月には幅広い海外のニーズにもお応えすべく、海外事業部を新設し現在では海外のお客様からのニーズを貿易商社からうかがい日本の水産物を海外へ輸出しております。
2023年10月にはシンガポールの展示会に出展し、海外輸出拡大に向け大きな動きになっています。

実は牡蠣のむき身を扱っている子会社で4年ほど前から冷凍した殻付き牡蠣の輸出を開始し、シンガポールで行われたジャパン・フード・フェスティバルに姫路市の酒蔵さんと共同で出展したり、その他にも台湾やベトナムなどにも輸出を行っています。

兵庫県のたつの市や相生市、赤穂市の辺りは牡蠣の品質がとても良く、高い評価を得ています。昨年頃から本格的に殻付きの牡蠣が輸出できるようになったので、地元の漁業者の方と協力して牡蠣の養殖を一段と普及するべく活動を始めているところです。

これからさらに兵庫県産の牡蠣をはじめとする国内水産物の輸出を大々的に行い、漁業界を盛り上げていきたいと思っています。

新しい人材の採用・読者の方へのメッセージ

ーー採用についてはどのような状況でしょうか。

鎌谷一磨:
学歴にはあまりこだわらず、大卒の方も高卒の方も受け入れています。今の状況であれば定期的に1人あるいは2人くらいを採用していけば、社員の年齢層が均等に保てますし、仕事の引き継ぎも円滑になると考えています。

同業者の場合は社員の平均年齢が50代前半のところが多いなか、弊社は平均年齢が40代前半で業界では比較的若いので、人員不足は喫緊の課題ではありません。

しかし、労働人口は減少傾向にあるので、将来を見据えて今のうちから人材を確保しておこうと採用に力を入れています。また、大学と連携でふるさと納税に関する事業や新製品開発を行っており、今までなかった学生や教授、職員との関わりもできてきました。

弊社では新入社員に2ヶ月の研修期間を設け、営業の4部署を2週間ずつ回ってもらい、それぞれの部署の雰囲気を掴んでもらったうえで、本人の希望を優先して配属しています。こうして自分に合っていると感じる部署でかつ移転してまもない新市場で、のびのびと働ける体制を整えています。

ーーこれから就職活動をされる10代・20代の方々にメッセージをお願いします。

鎌谷一磨:
就職活動をするときには、自分の特性について知ったうえで、自分がやりたいことを見つけることが大切だと思いますね。

残業が少なく福利厚生が充実している企業がいいとか、今はIT企業が伸びているからとか、世の中の風潮や流行り廃りではなく、それぞれの適正にあった仕事を選ぶといいのではないでしょうか。

それぞれの個性を生かせる職場や仕事を選び、同じ仕事を長く続けていれば、後から振り返ったときに充実感を得られるのではないかと私は考えています。自分に合うと心から思える仕事に出合えれば最高ですよね。

編集後記

当初は一社員として義父が経営する会社に入社したものの、思わぬ形で会社を引き継ぐことになった鎌谷社長。先代が抱えた負債の処理に追われ大変な社長業のスタートだったが、何とか会社を存続させてきた。海外進出にも力を入れている丸魚水産株式会社は、水産業界を盛り上げようと意気込んでいる。

鎌谷一磨(かまたに・かずま)/1961年兵庫県生まれ、京都大学卒。大学時代はアメリカンフットボール部で活躍し、4年生のときに第1回日本選手権・ライスボールにて勝利を成し遂げた。大学卒業後は住友銀行(現・三井住友銀行)に就職し、5年後に義父が社長を務める現会社に入社。2008年に同社代表取締役社長に就任。姫路商工会議所常議員、姫路南ロータリークラブ会員