【ナレーター】
災害大国、日本。地震や風水害などの自然災害に数多く見舞われ、今後も起こりうる大規模な災害に備えるべく、そのキーポイントとなる地質や地盤の安全性に対する関心や重要度はより一層高まっている。
そんな中、地質学をはじめとした地球科学に基づく技術を活用し、社会インフラの整備に貢献してきた企業がある。応用地質株式会社だ。
高度成長時代から60年以上、鉄道や道路・ダム等の社会インフラの構築に携わり、独自の地盤情報を持つ応用地質は、地質調査のエキスパートとして、インフラ・メンテナンス、防災・減災、環境、資源・エネルギーなど多岐に渡る事業を展開。
1980年代から米国や欧州を中心にM&A等を実施して海外にネットワークを広げ、さらに現在は今後経済成長が見込まれる東南アジア諸国への市場拡大も進めている。
リーマン・ショック時の赤字転落から業績回復を実現し、同社のビジネスモデルを大きく転換させた経営者の、次なる成長戦略に迫る。
【ナレーター】
1953年生まれ、秋田県出身。幼少期は高度経済成長の真っただ中であり、成田自身もそれを肌で感じていたという。当時の印象深いエピソードとは。
【成田】
私が小さい時、田舎のメインの道路は埃だらけでした。アスファルトの道路になった時にはもう一日中、工事の現場を見ていました。
こんな田舎でも近代化というのが起こるんだと感動したのを覚えていますね。そういう意味ではとても大きな変化でした。
高校生になった時にアポロ11号の月面着陸が報道されまして、あの時も本当に感動しました。月にも人が行けるようになってしまった、このまま進歩していったら世界はどうなっていくんだろうかと。
社長になってからヒューストンにグループ会社があったものですから、そこで当時のロケットを見に行ったんです。もう本当に鉄の空洞みたいな、大きな筒なんですよね(笑)。よくこんなものを飛ばせたなと思いながらも、そんなことが当時はあったんです。
【ナレーター】
地質学と出会ったきっかけは高校時代だったと語る成田。当時について次のように語る。
【成田】
流れている川の中に石があるんです。その石の大きさを上流から下流までずっと測定して、その川の成り立ちを調べてみようと高校の時のクラブ活動でやっていました。
石の流れが上流から段々小さくなるんですが、ある時また大きくなって、またある時に小さくなっていくんですよ。
なぜここに変化があるんだろうかということでやってみたところ、そこには当時言われたのは地質が違うということでした。
では地質とは何だろうということで関心を持ち、それで地質学を学ぼうと思いました。大学で専攻して大学院まで進み、その後、縁があって応用地質に入社しました。
【ナレーター】
大学院を卒業後、応用地質へ新卒で入社した成田。地質調査の仕事を肌で感じたと語った入社当時のエピソードに迫った。
【成田】
6月頃に「出張で行ってこい」と言われて行ってみるとそこは斜面が崩壊している、いわゆる地質が動いていたんですね。
その観測をしなければならないということで、計器の設置から全部自分でやり観測を始めたところ確かに動いていると。
それであれば続けて観測してくれということで、結局2ヶ月半、現場に泊まりっきりで対応しました。それでそのうちにもうこの山は崩れるとなって、山の下に通っていた国道を通行止めにして、その対岸でビデオカメラを回しながら実況中継をやったんです。
その時に山が崩れて、1ヶ月ほど通行止めをやっていたんで、関係者みんなで万歳三唱しまして。そういうことが起こったのが入社した時ですね。