
金属やセラミックスなどの基材に防食性や耐摩耗性などの機能被膜を形成する溶射加工。滋賀県にある株式会社シンコーメタリコンは、溶射専門メーカーとして国内で最も長い歴史を持つ企業だ。同社は「人を大切にする経営」をモットーとし、7日間連続の有給を取得できる制度や、男性育児休暇取得制度を設けており、その取り組みが認められ、2019年には第5回ホワイト企業大賞特別賞「人間愛経営賞」を受賞している。また「未来にツナグNEXT50プロジェクト」として新工場を設立し、新本社ビルの建設も進めている。
次の50年を見据え、働きやすい職場環境の整備に力を入れる立石社長の思いについてうかがった。
組織を再構築するところからのスタート
ーー社長に就任されたときの思いについてお聞かせください。
立石豊:
社長に就任したのが約30年前、私が33歳のときで、先代である父が存命のうちに会社を引き継ぎました。
当時は社員が高齢化していて、私が幼い頃から顔見知りだった方々が次々と定年を迎え、社員がどんどん減っていた時期でした。
溶射の仕事は、作業環境が厳しく、典型的な3K(きつい・汚い・危険)業務ということもあり、当時の離職率は40%と非常に高く、なんとか採用にこぎつけてもなかなか人が定着につながらなかったのです。
また、当時の社内の雰囲気は、製造部門と営業部門の社員同士が取っ組み合いの喧嘩をしていたり、お客様から電話がかかってきても「そんな納期でできるか」と暴言を吐いて電話を切ってしまったりと、目も当てられないような状況でしたね。
面接に来られた方はこんなところでは働けないと思ったのか、工場案内をしている途中にそのまま帰られてしまったり、入社されたばかりの方がお昼休みの間にいなくなってしまったりといったことが続きました。
私はこのままではいけないと思い、職場環境を改善するため工場の整理整頓や清掃から始め、研究部門を作ったりISOを取得するために検査部門を作ったりと、組織を少しずつ構築していきました。
ーーその他これまでに立石社長が行った社内改革はありますか。
立石豊:
社員が気軽に休みを取れるような環境を提供するため、「ドリームセブン」と名付けた7日間連続の有給を取得できる制度を2015年から導入しています。これは全社員の取得を義務付けているので、取得率は100%です。
また、2017年からは7日間連続で男性育児休暇を取得できる制度も開始しました。大企業では男性の育児休暇の取得が進んでいるものの、私たちのような中小企業は人手が足りないという理由でなかなか取れないという企業が多いですよね。そこで弊社では男性の育児休暇の取得を義務付け、お子さんが産まれてから都合の良いタイミングで対象社員全員に7日間は必ず休んでもらうようにしています。
その他にも、人事評価では社員が自分自身の評価をする人材育成シートを採用しています。このシートは、上期・下期、年に2回社員全員から提出してもらっているもので、年度目標を可能な限り具体的に書いてもらいます。設定した目標に対してどの程度達成できたかを自己評価してもらい、シートを参考にしながら上期・下期、年に2回、私が個人面談「1on1」を行っています。
一人ひとりとじっくり話す機会を設け、社員たちから直接意見を聞くように心がけています。
次の50年を見据えた新工場・新本社ビルの設立

ーー2023年5月には「未来にツナグNEXT50プロジェクト」のシーズン1として新工場を設立されましたね。
立石豊:
2代目だった父が創業から50年後に本社工場を滋賀県に移転したのですが、その頃と比べ現在は社員数が3倍ほどに増え、新たに事務スペースや新しい装置・溶射ブースも必要になりました。
そこで、次の50年に向けて社員が能力を120%発揮できる工場とオフィスを作ろうと「未来にツナグNEXT50プロジェクト」を立ち上げたのです。
このプロジェクトの第一弾として新工場を設立し、第二弾は同じ敷地内に新本社ビルを建設しました。
新工場は社員たちが快適に作業でき、最高のパフォーマンスが出せるよう工夫しました。
また、これまでの他社の工場は閉鎖的で立ち入り禁止のところも多かったと思いますが、弊社はオープンファクトリーなので、一般の方々も見学できます。
当工場の見学を通じて、地元の小学生たちにモノづくりの魅力をしっかりと伝えていきたいと考えています。
新工場の建設に伴い新しく開発した溶射皮膜を多くのお客様に採用いただいており、売り上げは建設前と比べ120%と大幅にアップしました。
現在は新工場をフル稼働できているため、稼働率も順調に推移しています。
新たな発想を取り入れた新社屋の構想
ーー新社屋の構想について詳しくお聞かせください。
立石豊:
新社屋は4階建てで、2025年4月に着工し、2026年3月に完成予定です。1階はすべての部署を集約したワンフロアのオフィスを設ける予定です。2階には、ロッカールームやシャワー室を完備したフィットネスジムを開設し、社員だけではなく、お客様にもご利用いただけるよう検討しています。
3階には、仕事の合間にリフレッシュできる環境としてダイニングホールを設置します。社員だけではなく、お客様にも心地よく過ごしていただける空間づくりを目指し、現在は社内のプロジェクトチームを中心に、建築デザイナーとともに詳細を詰めている段階です。
さらに4階には、シアター形式110席を備えた多目的ホール「TATEISHI座」を開設する予定です。大人数を収容できるこのホールを活かし、さまざまな業界団体の方々の前で自社のプレゼンテーションを行う「大規模・集客営業」や、社内で映画の上映会を開催したり、新たな楽しい取り組みにも力をいれていきます。
なお、新社屋の建設に伴い、女性社員の制服もリニューアル予定です。この1年間は働く環境を改善するための準備を進め、今後の成長につなげていきたいですね。
ーー貴社の特徴についてお教えいただけますか。
立石豊:
新しい溶射技術・装置が出ればいち早く導入し、より優れた溶射皮膜をお客様に提供しているのが弊社の強みです。
また、社員たちには仕事だけでなく社内イベントにおいても、120%の力で取り組むように常に伝えています。
常に120%の力で取り組むのは大変なことですが、自分の実力をすべて出し切れば必ず結果がついてくるので、成功体験を積み重ねていって成長してくれています。
このように自分自身の人間力を高めるために努力し続ける習慣が根付いているといえるでしょう。
失敗を恐れずチャレンジをする大切さ

ーー立石社長は「当たって砕けろ」の精神を大切にされているとお聞きしましたが、この考えが活かされたエピソードはございますか。
立石豊:
私はこれまであらゆることにチャレンジしてきました。
そのひとつが、経済産業省がさまざまな産業を支援する「戦略的基盤技術高度化支援事業」いわゆる「サポイン事業」の審査を通過し、開発資金を支給していただくことです。
はじめは提案書をどのように記載すればいいかわからなかったので、中小企業基盤機構のアドバイザーの方に教えていただきながら作成しました。
初回は不採択でしたが、何度も指導を受けて提案書を作り直したところ、見事審査を通過し、翌年は総額1億円弱の開発資金を支給していただくことができたのです。
この後も数回の採択を頂き、これにより何事も挑戦することの大切さを痛感しました。
ーー溶射メーカーとして今後の取り組みについてお聞かせください。
立石豊:
極めて苛酷な環境や条件にも耐えうるよう、基材の表面改質を行う溶射は、とても重要な技術でありながら、あまり知られていないのが現状です。そこでみなさんに溶射の知識を深めてもらうため、新社屋の4階には溶射技術の変遷を展示する「溶射ミュージアム」を開設する予定です。
弊社は日本で最も古い溶射メーカーですので、これまでの歴史を物語る展示品を公開し、溶射技術の素晴らしさを多くの方に知っていただきたいと考えています。
ーー今後の注力テーマについて教えていただけますか。
立石豊:
業務の効率化を促進するため、DXの推進に力を入れています。まずはこれまで営業マンが各自で管理していた顧客情報を一元管理するため、顧客管理ツールを導入しました。弊社にはおよそ3,600社のお客様と取引があり、これまで蓄積されたノウハウも豊富にあります。こうしたデータをAIで管理することで、営業効率の向上を図っています。
顧客管理ツールの導入に至っては、私が自分の勘を頼りに判断するタイプということもあり、名古屋のDX展示会でその場で契約を決めました。Salesforceなど他のツールについても同様にスピード感を持って導入を進めています。
現在はデータの蓄積段階で、効果を実感できるのはこれからですが、引き続き営業の効率化により営業部門の体制を強化していく予定です。
溶射業界を盛り上げるための取り組み
ーー最後に今後のビジョンについてお聞かせください。
立石豊:
新社屋の溶射ミュージアムをはじめ、溶射の優れた技術を発信し、業界全体の認知度向上に貢献していきたいと思っています。2026年には日本溶射工業会が主催する、溶射技能五輪を弊社の新社屋で開催する予定です。
実際に溶射に携わる職人たちにスポットライトを当て、業界全体のモチベーション向上につなげたいと考えています。彼らの技術力の素晴らしさを多くの人に知ってもらい、弊社だけでなく、溶射業界全体の発展に尽力していきます。
編集後記
立石社長が先代から会社を引き継いだときは、社内で喧嘩が頻発し離職率は40%と、散々な状況だったという。そこから組織を一から立て直して社内環境を改善し「ホワイト企業大賞」を受賞するまでになった。新工場の稼働により製造体制を強化し、高度な溶射技術を提供する株式会社シンコーメタリコンのさらなる成長が楽しみだ。

立石豊(たていし・ゆたか)/1961年生まれ京都出身。1983年大阪芸術大学 映像計画学科卒業後、1985年に祖父が創業した溶射のパイオニア的存在であるシンコーメタリコンに入社。1994年に代表取締役に就任。「人を大切にする経営」をモットーに社員の女性活躍と男性の育児休暇取得など、働きやすい環境作りの取り組みが評価され「ホワイト企業大賞」を受賞。新プロジェクト「未来にツナグNEXT50」のファーストステップとして、2023年5月に新工場を設立。