【ナレーター】
貸会議室や宿泊施設など、企業向けの空間シェアリングサービスを展開する株式会社ティーケーピー。
主力事業である貸会議室は、国内231拠点、総室数1900室以上と、業界シェアトップを誇り、2017年には東証マザーズ市場(現:東証グロース)へと上場を果たす。
近年では、公園や不動産の再生事業にも積極的に取り組んでおり、その事業領域を拡大させている。
革新的ビジネスモデル誕生の軌跡と、躍進の裏側に迫る。
【ナレーター】
自社の強みについて、河野は次のように語る。
【河野】
当社の強みとなる部分が“持たざる経営”です。これにより、事業への投下資本やイニシャルコスト(初期費用)を非常に低く抑えています。その結果、事業の立ち上がりがやはり早くなります。
逆に資産の保有に重点をおいた経営を行うと、やはり、支出がとても大きくなってしまいます。また、(資産が現金以外の形で動かせないまま長期間保有されているという)いわゆる「お金が寝ている」あるいは「お金が塩漬けになっている」状態にもなってしまいます。
常にスピード感を持って成長するための“持たざる経営”(アセットライト経営)が我々の特長だと考えています。
【ナレーター】
河野の原点は幼少期にある。海の家や祖父が経営するスポーツ用品店などを手伝い、その経験から自分も経営者になりたいと思うようになったという。
大学卒業後は大手商社に就職するも思いは消えず、ビジネスを模索していたときに偶然見たあるものが、後の貸会議室事業の着想につながったと振り返る。
【河野】
当時は六本木にある「東京ミッドタウン」が開発されている最中で、そこには、すでに取り壊しが決まったビルがたくさんありました。
そのうちの1棟に3階建てのビルがあって、1階ではイタリアンレストランが営業を続けていましたが、2階と3階はもう立ち退きが終わった状態でした。とはいえ、1階のレストランが立ち退くまでは、このビルを取り壊すことはできないわけです。
このビルを見て、私は「もったいない」と思いました。2階と3階はすでに立ち退いているため明かりはついていませんでしたが、営業中の1階には電灯がともっているんです。
そこで「電気自体はこのビルまで来ているのだから、取り壊されるまでの期間、2階と3階のスペースを貸し会議室にしたらよいのではないだろうか」と思いついたことが、現在の貸会議室事業を始めるきっかけになりました。
そして、3階のワンフロアは近隣の工事現場の事務所として貸しましたが、2階フロアは時間貸し会議室(タイムオフィス)というものを試しにつくってみたんです。
利用料金は1時間1人100円とし、インターネットのみで集客してみたところ、大きな反響がありました。2~3時間の利用が最も多く、収益は大きくて、まさに直感通り、手ごたえ十分でした。
【ナレーター】
2005年に株式会社ティーケーピーを創業し、わずか2年で年商20億円を突破するなど、順調なスタートを切った。その理由について、河野は次のように語る。
【河野】
この貸会議室事業の成功の秘訣は「利は元にあり(利益は上手な仕入れから生まれてくる)」ということだと思います。
(先程お話しした六本木のビルのように)諸事情を抱えた物件を低コストで仕入れ、それを“時間貸し”という形でリーズナブルに提供することで、利用者の皆様に喜んでいただきました。
当社が事業を行う上で大切にしているのは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」の“三方よし”の精神です。
そのままでは1円も利益を生まないような空きスペースを、コストをかけずに当社が仕入れて貸し出すという「売り手よし」。利用者の皆様も1時間単位で時間借りができ、借りた分だけお金を払えばよいという「買い手よし」。
その結果、当社に利益が生まれ、その中から支払った税金が社会に還元される「世間よし」ということです。
【ナレーター】
しかし2020年、コロナショックが発生。一転して窮地に陥ることとなる。
【河野】
「緊急事態宣言」の話を聞いた時には、「もう、どうしよう」という思いでした。
貸し会議室のキャンセルが嵐のように相次ぎましたが、家賃と人件費にかかる毎月30億円の支払いは減免されないわけです。
当時、当社には現金で60億円の資産がありましたが、仮に1ヶ月30億円の赤字が出れば、2ヶ月でそのお金は尽きてしまいます。「倒産」の2文字が脳裏にはっきりと浮かびました。
「2005年に会社を設立し、リーマン・ショックや東日本大震災もどうにか乗り越えて上場まで果たしたのに、ここに来て、この人生はもう終わってしまうのか」という思いでいっぱいでした。
【ナレーター】
このまま倒産するわけにはいかないと、河野は資金の確保に奔走し、何とか窮地を脱することに成功。しかし、2021年も依然として新型コロナウイルスは猛威をふるっており、このままでは会社がもたない。そこで河野は、前代未聞の行動に出る。
【河野】
「総理大臣に会おう」と思いつきました。そして、当時の菅(義偉)総理に直談判をしに行ったわけです。
これが何とか功を奏して、「(新型コロナワクチンの)職域接種」を、全国にある当社の貸会議室を会場にして行うことが決まりました。
この期間中には、当社の会場で約150万人の方にワクチンを打つことができました。その結果、お客様との関係性はより深く、強いものとなりました。
そして、翌年の春の新入社員研修から、再び元のように、当社の貸会議室をご利用いただけるようになったのです。
またコロナ禍以前より当社の経営も筋肉質なものに変わっていましたので、売上が上がった際の利益率が高まりました。そして事業をさらに拡大していった結果、過去最高利益を出せるまでに業績を回復することができました。
コロナ禍の辛さを武器に、ピンチをチャンスに変えて、何とかまた、コロナ前の状態まで業績が戻ってきているという現状です。