※本ページ内の情報は2023年12月時点のものです。

誰もが一度は、システムのトラブルやパソコンの異常で真っ青になった経験があるだろう。こんなとき、いち早く駆けつけてくれるエンジニアがなんと心強かったことか。

株式会社SHINKO(以下SHINKO)は日本最大級の独立系IT保守企業で全国に60以上の拠点を展開し、多数のエンジニアを有している。彼らは日々の点検業務に加えて、トラブルが発生した際の修理・改修業務を行う。まさに、心強い味方である。

当初はメーカーの機器の保守サービス事業のみを行っていたSHINKOが、サイバーセキュリティや医療・福祉に関連するシステム構築とネットワーク構築において強力な実績を持つまでに成長した。

この進化は、代表取締役社長福留泰蔵氏の技術者経験から政治家としての挑戦、そしてベンチャーへの転身とその後の経歴と深く関わっているだろう。

今年上場を果たし、ますます発展していく会社の成長戦略について、福留社長に聞いた。

政治家から会社の社長へと異色の人生

ーー社長就任にいたる経緯を教えてください。

福留泰蔵: 
3つの時代に分けてお話します。まず大学卒業後、技術者としてのスタートでした。株式会社本田技術研究所の勤務時は主に自動車用のエンジンの開発に携わり、少しだけですが飛行機の開発にも参画しました。

そして周囲の推薦を受け政治家へ転身したのです。衆議院選挙に挑戦をし、残念ながら最初の選挙は落選でしたが、次の選挙、ちょうど40歳で当選しました。情報通信立国に貢献したいという気持ちで2期7年間をつとめ、最後は小渕総理にIT立国を目指すべきだと提言しました。

2000年となり、政治の世界に区切りをつけてベンチャーに挑戦しました。情報通信の分野で自分でも何かできないかとチャレンジしたのですが、まさに「武士の商法」で、不慣れなことばかりで挫折しました。

その時、知り合いから紹介され株式会社エース商事(現:株式会社エース電研)に入社しました。ここで実務や経営など、さまざまなことを学んでいた際に、会社が株式会社新興製作所を買収しました。

私は営業本部長として出向し、子会社である新興サービス株式会社(現SHINKO)の非常勤取締役も兼務していましたが、その最中、新興サービスの前社長が急病で倒れ、私が指名されて社長に就任しました。

ーー高度情報通信ネットワーク社会を目指していく、この思い自体はいつからお持ちでしたか?

福留泰蔵: 
衆議院議員時代ですね。90年代、お隣の韓国はあっという間にインターネットが普及したにも関わらず日本のIT化は非常に遅れていました。携帯電話もガラパゴスと言われたように、日本は既存の仕組みができあがっているが故に、改革が非常に遅い気がしました。どんどん競争力がなくなっていき、中国にも抜かれるのではと危機感を抱きましたが、実際にそうなってしまいました。

柔軟な事業展開で三つ巴の成功を

ーー貴社の強み、他社との差別化を教えてください。

福留泰蔵:
全国に60以上の支店や営業所を持ち、それぞれにカスタマエンジニアが配置されているところです。ネットワークを広範囲に構築しているので、どこでも一定の時間内にサポートできます。この強力なネットワークサービスは、独立系の企業としては他に類を見ないものだと自負しています。

弊社の企業理念は「高度情報通信ネットワーク社会のラストワンマイルである人と人との接点に新たな価値を創造していく」です。インターネット時代においても、顧客との対面サービスが不可欠ですので、ここにいかに付加価値を高めていくかが我々の仕事だと思っています。DXを推進し、ネットワーク技術とメカトロ技術を持つカスタマエンジニアを活用して、この分野での成果を上げることを目指しています。

また、弊社は事業セグメントとして、保守サービス事業、ソリューション事業、そして人材サービス事業の3つの事業を展開しており、すべてのセグメントにエンジニアが関与しています。

新人がカスタマエンジニアとして派遣されるまでに、約3〜5ヶ月の教育を受けて基礎的な知識を習得します。その後、経験を積みながらスキルの幅を広げていき、どんな分野でも活躍できるようになってもらいます。

エンジニアは共通の基盤で活動しているので、保守はもとよりソリューションもできる、また保守ができる者を派遣する、ということも可能です。

人材のリソースが共通しているので、3つの事業間でシナジーが生まれ、各事業を独立して運営するのではなく、共通の強みを活かして事業の効率化や人材の最適配置を行えていることも、強みのひとつだと思っています。

3%利益の壁を打ち砕くチャレンジ

ーービジネスモデルの転換を決めた理由は何ですか?

福留泰蔵:
以前の弊社の事業は他社製品の保守がメインでしたが、これは他社製品が売れなければ利益が出ません。せいぜい利益率は3%程度で、このメーカーに依存するビジネスモデルに限界を感じていました。

「事業のやり方を変えて成長しなければならない、新しい需要を生み出すべきだ」と考え、保守会社からソリューション提供型企業への転換を図っていきました。より高い付加価値と利益を生み出す仕組みを構築するためです。

最近は、「人手不足で保守作業が難しいので協力してほしい」とお声がけをいただき、新たなサービス・事業の協業が増えています。競争力のある製品を持つ企業が、全国で販売する際に、機器の設置や設定、フォローアップのサポートを提携する協業プロジェクトです。ほかにもパートナーとして商品開発に参画するなど、事業開発のコラボレーションもあります。

ーー新規と既存の顧客、どちらに注力されていきますか?

福留泰蔵:
既存のお客さまとの取引を拡大し、同時に新しい取引先を開拓することに注力しています。私たちの事業は保守サービス事業、ソリューション事業、および人材サービス事業であり、これらは密接に関連しています。

たとえば全国にシステムを展開するプロジェクトを受注した場合に、設計、構築、展開、設置といった一連の作業を行いますが、最終的には保守業務が残っていき、事業として蓄積されます。この保守サービス事業はストックビジネスで、徐々に増えていく傾向にあります。また、ソリューション事業も大型の案件が増加しており、受注機会が増えています。

人手不足の業界で24年卒採用は2倍となったワケ

ーー人材の確保に喘ぐ同業は多いようですが、貴社の採用状況を教えてください。

福留泰蔵:
今年度23年卒の方は47名採用しました。約800名の会社なので、採用人数としては多い方です。来年度の24年卒の方は83名を予定しています。確保できる手ごたえはあります。これは弊社が上場したという点も大きいです(2023年3月東京証券取引所スタンダード市場に上場)。

上場前の22年卒の方の採用は40名ほどでした。中途採用も募集していますが、コロナ禍以降は厳しい状況が続いています。業界的には人手不足ですが、募集を続け採用を強化していきたいと思っています。

福留社長から若手プロフェッショナルへのアドバイス

ーー新卒、中途含め、貴社で活躍する秘訣はありますか?

福留泰蔵:
私は、先輩から学びつつも、常に違う方法やアイデアを模索し、自分で新しいものを作り出すことに挑戦してきました。重要なのは、現状に満足せず、常に新しい方法を考えて前向きに取り組むことや、向上心を持ち続けて問題を意識することです。

中途採用者は、他の経験があるかもしれませんが、まずは弊社をよく理解し、そのうえで自身の経験を活かす方法を見つけてほしいと思っています。自身の経験を弊社で活かし、共に成長すること、そして、このプロセスを通じて弊社も変化していくことが大切だと思います。

優秀な若手社員の採用・定着

ーー若手社員に向けての施策、また、若手へのメッセージを教えてください。

福留泰蔵:
私の入社当時は人材教育や幹部育成に取り組んでいました。具体的には「新生塾」と呼ばれるプログラムを立ち上げ、私が塾長となり年に約10人を指導しました。その当時のメンバーが今の支店長以上になっています。有能な若手が増えたので、「再開すべき時期が来たのかな」とも思っています。

若者へのメッセージは、「変化を恐れずにチャレンジしよう」です。

編集後記

福留社長の情報通信分野の発展に対する情熱やビジョンが鮮明に伝わった。SHINKOの発展の要因は、技術者リソースとシナジーを活用した業務効率化であり、これは福留社長の多様な経歴と挑戦的な姿勢が結実したものであろう。

「変化を恐れずにチャレンジしよう」とのメッセージは、若手社員に限ったことではないと感じる。福留社長のリーダーシップによる会社の飛躍が期待される。

福留泰蔵(ふくどめ・たいぞう)/1953年鹿児島県出身。1979年東京大学工学部卒業後、本田技術研究所において自動車および飛行機用エンジンの研究開発に携わった。1993年に衆議院議員に当選し、情報通信政策の立案やベンチャー企業の支援などに取り組み、2期務めた。退任後は自らベンチャーの起業・失敗を経験した後に、SHINKOの元親会社である新興製作所において常務取締役兼営業本部長などを歴任。2009年にSHINKO代表取締役社長に就任。