本格的な天ぷら職人を育成しながら、「天ぷら新宿つな八」の看板を広め続ける株式会社綱八。天ぷら専門店としては稀有な多店舗企業の3代目として、代表取締役を務める志村久弥氏に、これまでの歩みや創業家としての想いをうかがった。
企業であり家業である「綱八」に生まれて
ーーまずは社長のご経歴をおうかがいしたいと思います。
志村久弥:
私は物心ついた頃から父の仕事を見ていました。社長というより「天ぷら屋の親父」という印象が強く、魚河岸へついていったり、天ぷらを食べさせてもらったりしていました。
初めてのアルバイト先を「綱八」に決めた際にも、接客は自分の性分に合っていると実感したものです。いずれは家業を継ぐつもりで大学へ進み、就職先を考えたときに「経営面で役立つ社会勉強をしておきたい」と思いました。
しかし、銀行から内定をいただいたあとで、父から突然「頭取になる気はあるのか」と突然言われたのです。外で勉強するという私の気持ちを「中途半端」だと言うので口論にもなりましたが、最終的に私が納得して「綱八」へ入社しました。
ーー1983年のご入社後、どのようなご経験をされたのでしょうか。
志村久弥:
私は茨城県・土浦の支店を任されました。毎日2時間かけて現場へ通い、小さい店舗なので1人の仕事量が膨大だったことを覚えています。
このまま店舗で経験を積んでいこうと思っていた矢先、入社して半年後に父が脳梗塞で倒れたことで状況が一変しました。今思えば就職先の件も、「なるべく早く手元において仕事を教えたい」という父の意思や予感があったのかもしれません。
一命は取り留めたものの父には後遺症が残りましたので、私は専務の肩書きをもらい、ほぼ社長代理の形で働きました。古株の番頭や魚河岸の人たちなど、多くの人に助けていただき、その頃の経験が私の土台となっています。
リーダーシップ形成の旅「カリスマ的先代からのバトンタッチ」
ーー1999年に社長にご就任されました。困難に感じたことはございますか。
志村久弥:
父の代から「つな八」の多店舗化を始めたのですが、2代目・志村圭輔のカリスマ性と高度経済成長期という時代のもとに成り立っていたと考えます。極端に言えばワンマン経営であり、父が倒れて一大事に陥ったことは企業として健康的ではありません。
「綱八」を企業と家業の中間に感じていた私は、創業家の想いやイズムの重要性を改めて見直しました。現場に目を向ける組織運営をするため、2000年頃にクレドを作成したのです。現場スタッフと企業理念を共有できるようになり、「つな八」のブランド力を保ちながら多店舗経営を続ける上で、大きな武器となっています。
「職人が天ぷらを揚げるチェーン店」という独自性
ーー貴社の強みについてお聞かせください。
志村久弥:
東京天ぷら料理会「東天会」という友好団体がありまして、約40の加盟店舗のうち9割は個人店主のお店となっています。その中で「つな八」が他と差別化する特色は、天ぷら職人を擁しながらも多店舗化を行っている、という点です。
海老や季節の食材を使った江戸前天ぷらに加えて、「アイスクリーム」「蛤の姿揚げ」「かきピーマン」といった独自メニューを作っているのも特徴です。
そして、お値打ち感も「つな八」の大きなコンセプトだと思っています。個人経営のお店では夜の1人当たりの価格が1万〜2万円であるのに対し、当店「つな八」では夜の1人当たりの価格を3000〜6000円に設定しています。もちろん品質が半分以下ということはありません。
ーーユニークな商品開発はどなたが始められたのでしょうか。
志村久弥:
アイスクリームの天ぷらは父の代に開発されたもので、「発想力や独自性を持つ」という綱八のDNAは私にも受け継がれています。
商品開発は良質な素材との巡り合わせが重要で、必ず一手間をかけるのが「綱八流」です。牡蠣とピーマンを合わせた天ぷらも弊社のイマジネーションであり、完成品を想像しながら個人や社内チームがメニューを作り上げています。
サービス業における採用活動を探る
ーー貴社が求める人材・人物像についてお教えください。
志村久弥:
「食べるのが好きな人」や「人と接することが好きな人」を歓迎しています。喋り上手でなくても、コミュニケーションを通してお客様が求めているものを理解する、こだわりや気質があることが大切です。
日本は技術大国であり、繊細なものづくりをする国民性がありますので、「天ぷら調理職人」というジャンルには誇りや共感を持っていただきたいと思います。人手不足の飲食業界において、我々の思いを採用や組織形成に結びつける方法を考えています。
飲食は永遠の技術を習得できる分野です。将来的には、弊社で技術を学んだ人の独立を支援するような、のれん分けのような制度を作れたらと思います。職人の技術を継承して生業とすることに興味がある人は、ぜひ弊社にお越しください。
グローバルな展開がもたらす日本の食文化伝承
ーー今後の展望をおうかがいしたいと思います。
志村久弥:
「綱八」の信念は、あらゆる地域に天ぷらファンを増やすことで「天ぷら文化の伝承」をしていくことです。新店舗をオープンしていくには既存店の人手に余裕を持たせる必要があるため、採用や育成にも繋がる課題となっています。
海外展開においては、ビジネスパートナーに基盤を作ってもらい、弊社は職人や天ぷらのノウハウを提供する方法も考えています。店作りのコストを下げつつ、出店スピードをアップできるほか、現地の方に日本で修行してもらうなど、国際交流も可能です。グローバルな人材交流が実現すれば、日本の人手不足が解消し、食文化もより広がることでしょう。
おかげさまで、弊社は2024年に100周年を迎えます。皆様に感謝の気持ちをお伝えしていくと共に、さらに未来の外食市場に対して貢献できることを模索しています。「伝統は革新の連続なり」を座右の銘として、時代に合わせた企業戦略や事業継承を行っていく予定です。
編集後記
「綱八」が手掛ける店舗は、リーズナブルな価格帯と職人がカウンター越しに天ぷらを揚げてくれる特別感が魅力だ。
料理やサービス、スタッフの質を保つ苦労を伴いながらも多店舗展開を続ける背景には、「日本の食文化を広め、職人の技術も守りたい」という老舗企業の想いがあふれていた。
志村久弥(しむら・ひさや)/1960年1月31日生まれ。株式会社綱八2代目店主・志村圭輔の長男として東京・新宿に生まれる。1983年に慶応義塾大学商学部を卒業。同年4月、株式会社綱八へ入社。同年10月、取締役に就任。1999年11月、代表取締役社長に就任。