法律に関するトラブルに見舞われた人々のうち、わずか2割しか司法サービスにアクセスできていない。法曹界ではこれを「二割司法」と呼び、大きな課題となっている。
離婚や交通事故などトラブルの渦中にいても、弁護士へ相談するのはハードルが高いという思いや、相談料が高額になることがネックとなり、8割は泣き寝入りしている状況にあるという。
その問題を解決すべく、弁護士と法律に関するトラブルに見舞われた人をマッチングするリーガルメディアを運営しているのが、株式会社アシロだ。
同社は離婚に関する法律相談サイト「ベンナビ離婚」や、遺産相続に関する法律相談サイト「ベンナビ相続」、交通事故に関する法律相談サイト「ベンナビ交通事故」をはじめとした8つのリーガルメディアを運営している。
創業者である中山博登氏から、会社を創業するまでのエピソードや、創業後に起きたトラブル、従業員への思いなどをうかがった。
会社員になった後のことを意識し、学生時代から営業のアルバイトを経験
ーー学生時代のエピソードについてお話しいただけますか。
中山博登:
社会人になったら絶対スーツを着る仕事をしたいと思っていたため、スーツを着るアルバイトしかしないと自分の中で決めていました。
その中でも、ストレス耐性をつけるため、断られるケースがほとんどであるネット回線の飛び込み営業といった仕事を主に経験しました。
ーー就職活動はどのように進めていかれたのですか。
中山博登:
就職活動を始めるときに「どんな会社に入ったらいいかな」と年上の知り合いに相談してみたところ、「リクルートが合うと思うよ」と言われたのですが、当時の私はリクルートという会社を知りませんでした。
とりあえず会社説明会に行ってみたのですが、会場にいる人の多さに驚き、こんなに大勢の人の中で働く自分をイメージできないと思い、早々にリクルート以外の就職先を模索しました。
そこで、月刊BOSSに掲載されていたリクルート出身の経営者全員に会いに行こうと思い、100社くらいの会社へエントリーしました。
そのうち株式会社インテリジェンス(現パーソルホールディングス)さんにも行ったのですが、こちらも大勢の就職希望者が集まっていたので、インテリジェンス出身の経営者がいないか探してみたところ、新卒として入社することになる株式会社ワークポートを見つけたのです。
ワークポートは新卒を採るのは初めてで、従業員数も30人以下だと聞き、ベンチャー企業なら大きな裁量を持って取り組めるのではないかと思い、入社を決めました。
ーー実際に入社されてみていかがでしたか。
中山博登:
自由にやらせてもらえる環境はありがたかったのですが、代理店という業態自体に、いつか限界がくることを感じていました。
そこで自社のプロダクトを持っている会社を探し、株式会社幕末(現イシン株式会社)へ転職するに至ります。
ーー転職されてから印象に残っているエピソードなどはございますか。
中山博登:
数年経つと部下や後輩ができて、次第に人を指導する立場になっていきました。
今弊社で執行役員をしている河原もそのうちの一人で、入社して数ヶ月経っても成果を出せず、マネージャーから叱責されていたのですが、責めるばかりで的外れな指摘ばかりしていたのです。私自身、彼が誰よりも行動をしている姿を目にしていたので、納得できない部分がありました。
そこで私が「現場のせいじゃなくマネジメントが的外れだから売れないんだ」と啖呵を切り、「河原の教育を任せてください」と申し出ました。
それから彼に「クロージングに課題があるから、ここだけ直すように」と指示をすると、1ヶ月も経たないうちに成績が伸びました。今、彼が一緒に働いているのも、そのときの恩を感じてくれているおかげかもしれません。
メディアの営業代理業を始めるも運営会社がサイトを売却
ーー会社員として働いているときに、ご自身で会社を立ち上げられたきっかけは何だったのでしょうか。
中山博登:
前職では粗利で毎月200万円の売り上げを作るように言われていたのですが、それだけの売り上げを出しても自分が給料としてもらえるのはごく一部です。
そこで「独立したら200万円が丸々自分の手元に来る」という短絡的な発想で、独立すると宣言しました。どんな事業をするのか、何を売るのかも決まっていないのに、絶対売り上げを作れるという過信だけで突き進みました。
ーー創業されてから事業は順調だったのでしょうか。
中山博登:
企業向けの営業代行サービスを展開し、安定した利益をもたらしていましたが、従業員たちに安定した給料を払い続けるために、インターネットを通じた代理販売事業を新たに開始しました。
それから相続に関する相談と弁護士をマッチングする「お助け相続ナビ」の営業代行をスタートしたのですが、創業から3年ほど経った頃に、運営会社がサイトの売却を決定すると共に、新しい運営会社は営業代行を利用しない方針であり、あっさりと仕事がなくなってしまったのです。
こうなれば自分たちのプロダクトを作るしかないと思い、売却先の会社に了承を得た上で、弁護士に特化したメディアを作ろうと「離婚弁護士ナビ」をローンチしました。
その後ユーザー数を増やすために、検索でヒットするための施策をSEO会社に外注したのですが、その会社の社長が突然失踪してしまいました。
それ以降は寝食を忘れてサイト設計などを猛勉強。PV数やお問合せ件数を伸ばすために検証を繰り返しました。半年経った頃には、広告宣伝費を半分にまで削減することができ、売り上げのうち半分を利益として確保できるようになりました。
ーー2016年には旧アシロの吸収合併をされていますが、この経緯についてお教えいただけますか。
中山博登:
その後「交通事故弁護士ナビ」や「相続弁護士ナビ」もローンチし、2年ほど順調に売り上げを伸ばし続けていました。
当時は従業員5人で1億円の利益を出せていたので、その現状にあぐらをかいてしまい、怠惰な生活に陥ってしまったのですが、このままでは良くないと思い、会社もいったん売りに出して、新たな目標に向けて再スタートしようと決めたのがきっかけです。そこでJ-STARというファンドと出会い、ご投資をいただき、一緒に株式上場を目指しました。おかげさまで2021年、東証マザーズ(現グロース)市場への上場に至ります。
自社オフィスへのこだわり・アシロが求める人物像
ーーオフィスにお伺いしてエントランスや会議室のデザインの独創性に驚いたのですが、これらにも中山社長の思いが込められているのでしょうか。
中山博登:
私は弊社の従業員がどこに行っても通用する人材に育ってほしいと思い、その考えを社内のデザインにも反映させています。
たとえば、この会議室を「燃え盛れ」という名前にしたのも「次の会議は「燃え盛れ」でやります」と無意識に会話に溶け込ませることで、従業員にこのマインドが少しずつなじむことを狙ったものです。
ちなみに、会議室の名前はプロのコピーライターの方に依頼して、相談しつつ決めました。会議室の名前を付けるためにお金を払う会社はなかなかないですよね。
また、私は従業員の行動が不足していたり成果を出せていない理由は個々のやる気不足ではなく、会社の評価制度が不十分なせいだと考えています。
そこで、弊社では従業員それぞれの課題を見つけ、どうすれば克服できるか仮説を立て、一つひとつクリアしていくための評価制度を設けています。
社内文化や風土に合わせた評価制度を作るのではなくて、評価制度で社内文化を作るということを意識しています。
ーー貴社には多種多様な経歴を持つ方々がいらっしゃいますが、どのような方と一緒に働きたいと思いますか。
中山博登:
失敗を恐れず果敢にチャレンジし続けられる人に弊社に来てほしいです。
どこに行っても通用するビジネスパーソンは、課題を自分で見つけ、課題に対して自分なりに導いた仮説と、改善の検証を繰り返し、目的にコミットできる人だと思います。そのための失敗を重ねながらでも、くじけずに自分を成長させられる人材を求めています。
編集後記
学生時代のアルバイトの話や前職で後輩を指導したときのエピソード、業績が伸びて有頂天になっていたときのお話など、面白おかしく語ってくださった中山社長。その一方で、サイト設計を独学で学んだり、社員の方々が成長できる環境を整えたりと、会社をけん引する立場として役割をしっかりと果たしてきたことも伝わってきた。株式会社アシロはユーザーとお客様を幸せにすることをモットーに、今後も社会に貢献し続けることだろう。
中山博登(なかやま・ひろと)/1983年生まれ、京都出身。日本大学法学部卒業後、株式会社ワークポート、イシン株式会社(旧:株式会社幕末)を経て、27歳で株式会社アシロを設立。設立当時は企業向けの営業代行や販売代理などを行っていたが、代理販売をしていたメディアが売却されたことをきっかけに、Webマーケティングを学び、ゼロから弁護士ナビ(現在のベンナビ)を創設。事業を順調に成長させ続け、2021年7月、東証グロース市場へ株式上場。