※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

先代の時代から多くの著名人が通った名店久兵衛。老舗寿司店と聞くと気軽には行きづらいようにも感じるが、久兵衛では「明朗会計」や「顧客平等」の推進など、昔からある業界に新しい風を吹かせている。2代目主人の今田洋介に寿司職人を志したきっかけや店舗運営で大切にしていること、今後の店舗戦略などをうかがった。

父の背中を見て寿司職人の道へ

ーーどうして寿司職人になろうと思ったのですか?

今田洋介:
小学生の時、日曜には洋食屋さんなど人気のお店に連れて行ってもらいました。そこで、食事をしながら、お客さまがあってこそ自分たちの生活が成り立っているんだと実感したんです。平日も小学校から帰ってきて店の中を通ると、父や若い衆、板前さんが一生懸命仕事していました。そのような姿をいつも見て育ちました。

当時は男の子が家業を継ぐのが当たり前で、寿司職人の仕事を身近に感じていましたし、父がつくった暖簾を継ぐのは当然でした。この店を継いだことは私にとっても良かったですし、天職だと思っています。

ーー先代が店を持ったのは運命の出会いがきっかけだったようですね。

今田洋介:
父は昭和初期、13歳の時に秋田から上京し、知人の紹介で銀座にある寿司屋さんに勤め始めました。10年ほど勤めていると運命を変える出会いがありました。ある時「セメント王」と呼ばれた実業家の浅野総一郎さんが、大手銀行の頭取らと来店されました。

お酒も進み、その頭取が兄弟子に「歌舞伎の声色をやってくれ」と言ったんです。すると、兄弟子の次に父にも同じことを言いました。父は「冗談じゃねぇ。俺は寿司を握りに来たんだ。芸が見たけりゃ芸人を呼べ」と言い返しました。「酒ならいくらでも飲んでやる」と啖呵を切ったようです。

そして、盃を洗うために水を入れておく大きな器になみなみと注がれた酒を一気に飲みました。その姿を浅野さんが見ていて「面白いやつだから、店を持たせてやろう」と後日、秘書を通して連絡がありました。
そうして、父は店を持つことになりました。

ーー代表取締役に就いたのは40歳。不安はありませんでしたか?

今田洋介:
実は、社長としての実質的なバトンは、父親が60歳くらいの時に渡されていました。丸投げのような感じでした。73歳くらいで父が亡くなった時は、既に店のことは全部私がしていましたので大きな不安はありませんでしたね。父は晩年、深夜に徘徊してしまうこともありましたが、それでも尊敬していましたし、一目も二目も置いていました。なにしろ、創業者ですから父の存在は大きかったのです。

ーー今田社長はどのように職人の道をスタートさせましたか?

今田洋介:
1964年のオリンピック年に、父がホテルオークラとホテルニューオータニに出店しました。その時、私は神戸に修業に行ってました。一度修業に行ったら3〜5年は帰れないと思っていたのですが、同じ年に2店開店してしまい「帰って来い」と連絡がありました。私は2年ほどしか修業していませんでしたが、「居ないよりは居たほうが良いだろう」と思われていたのだと思います。ただ、途中で切り上げる形になり、修業先には本当に申し訳なかったので、お礼奉公の気持ちで何時間か戻って、無休で働きました。

伝統にとらわれない新しい風を寿司業界に


ーー社員教育にも力を入れていますね。

今田洋介:
私は今でも白衣を着て現場を全て回ってます。実際に握らせてみたり、私が握るところを見せたりして教育をしています。小さい布の洗い方でもその人の精神状態が表れます。ボールに新しい水を入れて、両手でゴシゴシ洗うのが正しいやり方ですが、このような細かいこと一つ一つを現場を回って指導していきます。そうすることで、お店のレベルが保たれていきます。小言幸兵衛ならぬ、小言久兵衛です。

ーー現在7店舗ありますが、今後増やしていく予定はありますか?

今田洋介:
基本的には、出店してほしいと声がかかった時に現場を見に行きます。こちらから探すことはあまりありません。こちらから出店したいと言ってしまうと高い賃料などで交渉されてしまいますし、そのような状況では良い条件を引き出せません。あとは、現場では直感も大事にします。その場所に行けば、直感的に最低どのくらい売れるかが分かります。最近はインバウンド(外国人観光客)の利用も多いですし、地方のケータリングサービスでは千人前の寿司を握ることもあります。店舗を増やしていくことよりも、今いるお客様を大切にして、レベルアップすることが重要だと考えています。

ーー久兵衛で食事をする際におすすめの食べ方はありますか?

今田洋介:
うちはもう、好きなように頼んで、好きなように食べていただいて、なおかつ、楽しく美味しく召し上がっていただければ大丈夫です。もちろん、食べ方が分からなければアドバイスもいたします。値段が不安であればコースで頼んでいただくのが良いと思いますし、コースの中に苦手なネタがあれば別のネタに変えることもできますので、お客様のお好みで食べていただきたいと思っています。

編集後記

銀座の寿司屋と聞くと少し身構えてしまいそうだが、今田社長の話を聞くとそんなことは杞憂だった。

明朗会計の導入や細かな注文や食べ方を気にせず、「お客様が喜んでくれればいい」との今田社長の言葉から、寿司業界と一般消費者との距離がぐっと近づいた感じがした。
また、「一人でもお客様が不満に感じることがあれば直して、難しくはあるが完璧を目指したい」と技術力、接客力と全てにおいてこだわりを持って店に立つ今田社長の次の一手に注目したい。

今田洋介(いまだ・ようすけ)/銀座久兵衛2代目主人。1945年疎開先の秋田で生まれ、銀座で育ち、商業高校卒業後、神戸で修業を積む。65年に銀座久兵衛に入店。以来、父親である初代の今田壽治氏と共に同店の経営に参画する。85年壽治氏の逝去に伴い、2代目となる。
海外での仕事も多く、近年では2020年東京五輪招致のためにロンドンや、安倍晋三首相に同行しモスクワ・ワルシャワのほか、パリで開催された北大路魯山人展などに数多く出向く。2012年には厚生労働省が選ぶ卓越した技術者(「現代の名工」)として表彰された。