新型コロナウイルス感染拡大による影響で減少していた海外との往来だが、規制緩和によりインバウンドは回復し、むしろ昨今は勢いを増してきている。日本企業の製品やサービスも海外からの顧客が増え、今後一層グローバル化の強化が必要となってくるだろう。
海外拠点展開で得た知見を活かし、グローバル向けのWEB広告やSEO対策サービスをおこなっているのが、今回紹介するアウンコンサルティング株式会社だ。
1998年に創業した同社は、まだSEOという概念がなかった時代に、いち早く事業をスタートした先駆者である。たった1人で起業し、現在まで会社を牽引してきた代表取締役CEOの信太(しだ)氏に、起業のいきさつとSEOに目を付けたきっかけ、今後の展開などを聞いた。
全く仕事が取れず、東京を離れざるを得なくなった。起業スタートからへし折られた自信
ーー起業に至るまでの経緯をお聞かせください。
信太明:
大学2年の頃から株式会社リクルートにて、営業職を通算4年間経験しました。その後、株式会社日本ネットワーク研究所(現株式会社ジェーエヌエル)にて戦略コンサルタントに携わった後、ABCマートに参画し店舗展開に貢献しました。
これらの経験を活かして、街づくりや村おこしのコンサルティング事業をしようと決意し、1998年、千葉県松戸市に1人でアウンコンサルティングを立ち上げました。
ーー起業されてから苦労したエピソードがありましたらお聞かせください。
信太明:
これまでの経験から営業や運営に関しては自信があったのですが、当時はコンサルティングという事業も世間に浸透しておらず、自分が何屋なのかも説明できませんでした。
設立したばかりの会社に発注する企業もなく、全く仕事が取れない状況が続いてしまい、実家である材木屋の部屋を借り、事務所を移さざるを得ませんでした。
まずはお金を稼がなくてはいけないと思い、こだわりを捨てて周囲に声をかけ続けたところ、ある方から「ホームページはつくれないの?」というお話をいただいたのです。「できます!」と即答し、デザイナーとプログラマーをつかまえて、作成に取りかかりました。
1ヶ月半会社に寝泊まりして見出したSEOという希望の光
ーー現在の主力事業であるSEOに取り組み始めたきっかけは何でしたか?
信太明:
ホームページの作成を進めていき30本ほど納品したところで、「せっかくホームページをつくったが誰にも見てもらえない」と声をいただきました。
当時、主な検索エンジンがGoogleではなくgooやYahooだったのですが、「ここで検索結果の上位に上がってくれば見てもらえるのでは」という仮説を立てました。夏の暑い時期に1ヶ月半ほど会社に寝泊まりし、試行錯誤の末、検索上位に表示させる方法を見つけ出すことができました。
その方法を顧客である人材派遣会社に適用してみたところ、「人材派遣」で検索すると見事1位の検索結果が出ました。地方の会社でしたが、日本中から登録者が集まり、SEOの効果を実感した瞬間でした。
ーーどのようにしてSEOを広めていったのですか?
信太明:
まだSEOという概念がなかった時代ですので、「詐欺だ」と言われることもありました。最初は「検索エンジン対策」といった文言で売り出したのですが、アメリカでは「Search Engine Optimization」という言葉があると知り、「このサービスをSEOと呼ぼう」と決めました。
最初は電話営業をおこなっていました。しかし、この新サービスの担当部署を特定することが難しく、非効率的でした。そこで私たちは2つの改善策を考案しました。
まずは大学生のインターンを雇用し、業種別に検索上位企業のランキングをエクセルにまとめて、「あなたの会社は現在検索13位です。弊社のサービスを使って10位以内に上げませんか?」といった内容を記載して連絡したところ、すぐに問い合わせがあり契約を取り付けることができました。
ビジネスとして確立してきたSEOサービスを、今度はWEB構築会社に代理店として販売してほしいと話をしました。この2つの施策の成功がターニングポイントとなり、約2年間かけて事業を軌道に乗せることができたのです。
ーー2005年に上場されていますが、そこに至るまでの経緯と、その後の変化があれば教えてください。
信太明:
業界内で先行してSEOサービスを提供し、Google Adwords(現Google広告)という広告サービスも1番最初に取り扱ったことで売上も徐々についてきました。そこで大事になってくるのが会社としての信用力です。
東京に事務所を移してから3年後の2002年に株式上場の準備を始め、2005年に東証マザーズ(現東証グロース)に上場を果たしました。上場したことで得た資金をもとに、事業領域を広げるためM&Aを開始し、13億円を投資して4社ほど取得しましたが、これらは全て失敗に終わりました。
その次に考えたのが海外進出です。海外拠点を7つまで増やしたので、結果は五分五分でした。
SEO✕多言語対応で企業の国際化をサポートする
ーー貴社の強みと、今後注力したい点は何でしょうか?
信太明:
SEO対策としては希少な「言語別サービス」を取り扱っているところが弊社の強みです。日本は人口減少時代にあってGDPの減少は避けられないため、今後は海外に進出するか、海外から人を呼び込むしか生き残る術はありません。多言語に対応することで企業へ貢献していきたいと考えています。
弊社の業務の半分は海外の人を呼び込むインバウンド業務のため、コロナ禍の影響で航空・鉄道・レンタカー・テーマパーク・ホテルなどの仕事が軒並みストップしたことでかなりの打撃を受けました。今後は業績回復を最優先課題とし、強みである多言語分野を活かして、日本経済に影響力の大きい大企業のアウトバウンド業務(海外進出・海外市場向けプロモーションなど)への支援を強化してまいります。
ーー貴社のサービスが実際にどのように活用されているのか、事例を教えていただけますか?
信太明:
海外から人が多く集まるテーマパークなどでは、Webプロモーションを駆使しホームページ上で相当の多言語を使用して集客を図っています。海外に店舗を多く展開している服飾関連企業の現地広告なども弊社が対応しています。
新幹線のサービスとして、ドア近くの有料荷物置場がありますが、実はそこを使用するには予約が必要で、ほとんど海外からの旅行者の方が使っています。荷物置場の存在とその便利さを世界中の旅行者にアピールすることも弊社の仕事です。
フレキシブルオフィスにフルフレックスで働きやすい職場へ
ーー採用についてお考えをお聞かせください。
信太明:
企業を大きくしていく上で人材不足には頭を悩ませており、営業の採用を強化しています。営業と言っても技術的な要素が強く、いかに短期間で戦力化できるかが重要なため、約3ヶ月でお客様の前に立たせられる自動教育マニュアルをAIで作成しています。
弊社はオフィスがなく、地方在住など場所を問わず働くことができます。出社義務もなく、リモートとフルフレックスタイム制を組み合わせているため、仕事の中抜けも可能で、小さなお子さんを育てている方でも働きやすい環境です。
ーーこの記事を見ている方へメッセージをいただけますか。
信太明:
日本は今後ますますグローバル化が必要になっていきます。インフレになり物価が上がっている状況で、円だけの所持では生活が困難になっていくかもしれません。
会社も個人も海外に目を向けて、株や投資などの行動を起こしていかなければならない時代です。株というものは一定の比率で成長する企業よりも、ある程度変化率が大きい企業の底値で買って、天井値で売るのが1番良いのです。
弊社は意図したわけではないのですが、安定成長ではなく紆余曲折の連続があり、今後は大きく上げられると考えています。こうした分野にも興味を持っていただき、自らの生活を豊かにしていってほしいと願っています。
編集後記
SEOの先駆け的な存在として走り続けてきた信太社長。社名の由来は“阿吽の呼吸”だという。顧客の声に真摯に対応してきた信太氏らしい発想だ。
「お客様と阿吽の呼吸でサービスを提供し、お客様ファーストで物事を考えていきたい」と語る。今後のアウンコンサルティングの成長を応援していきたい。
信太明(しだ・あきら)/1968年福島県生まれ。早稲田大学在学中から株式会社リクルートの企画営業に従事。大学卒業とともに株式会社リクルートに入社。その後、株式会社日本ネットワーク研究所(現株式会社ジェーエヌエル)、株式会社ABCマートを経て、1998年6月アウンコンサルティング株式会社を設立。日本でいち早く検索エンジンマーケティング(SEM)に取り組み、事業化。2008年には海外進出を開始。グローバルマーケティングを軸に、現在は市場拡大を目指す企業の国際化支援に注力している。