日本で初めて天然多糖類「アルギン酸」の工業化に成功した株式会社キミカ。創業80年を超えた専業メーカーであり、「ベスト・イン・ザ・ワールド」を目指し、そのアピールを世界に向けて行っている。
代表取締役社長の笠原文善氏に、戦後を乗り越えた企業のこれまでの歩みや今後の展開をうかがった。
キミカが専門とする「アルギン酸」とは?
ーー読者の方に向けて、アルギン酸のご解説をいただければと思います。
笠原文善:
アルギン酸は、昆布やわかめなどの海藻に含まれている成分です。海藻を水でふやかすと断面が半透明のゼリー状物質で満たされていますが、まさにそれがアルギン酸であり、なめらかな水溶液と硬いゲル構造を行き来できる性質があります。
麺の喉越しをつるっとさせたり、パンをふんわりと弾力があるものにしたり、食品に加えて食感を良くする用途が主で、他にも練り歯磨きや化粧品、医薬用など、いろいろなものに使われています。国際機関で保証されている安全なものですし、アルギン酸は何らかの形でほぼ毎日皆さんのお口に入っていると言えるでしょう。
ーーアルギン酸の原料はどのように調達されてきたのでしょうか。
笠原文善:
ライフサイクルを終えた海藻類を海外から輸入しています。昔は日本でも千葉の房総半島でたくさん海藻が採れまして、食用に向かないものを利用しないともったいないということから、私の父が事業をスタートしました。
創業した1941年は日米開戦の年で、日本は連合国側から経済封鎖されていました。石油や化学工業の原料となる鉱物資源を輸入できなくなり、「国内にあるもので作れないか」と政府からお達しがあったのです。海藻に含まれるカリウムは火薬の原料、ヨードは医薬品の原料になると注目され、学童まで動員して房総半島で海藻集めが行われました。
複数の工場がアルギン酸の工業化を試みる中、初めて工業化に成功したのが父の会社でした。アルギン酸はエマルション塗料の安定剤に適していて、潜水艦などの塗装に使われた他、ぬめり成分は鉱山を掘削する時の潤滑油になりました。
軍事工場としての働き――終戦後の困難
ーー軍需から食品利用に転換されたきっかけを教えてください。
笠原文善:
戦争が終わり物資がちゃんと入ってくるようになれば、海藻のぬめりよりも油を使った方がいいわけで、軍需用途はやがてなくなりました。戦後は水飴や海藻醤油の佃煮を作ったり、製塩をしたりと食糧難に立ち向かいましたが、事業としては一時しのぎです。
食料難の時代に栄養価があるデンプンを工業用にしてはいけないということで、栄養のない食物繊維であるアルギン酸が糊や繊維の加工に使用されるようになると、ようやく経営が安定しました。
ーーその後も多くの困難があったかと思われます。
笠原文善:
1984年に父が亡くなったため、私は製薬会社を退職し後継者として家業に入りました。ちょうど大規模なエルニーニョ現象が起きた頃で、商社経由で輸入していたチリの海藻がほぼ全滅してしまったのです。輸入に100%頼っていましたし、国内では海藻が少ない上に集める人もいないので大変困りました。
さらには、アルギン酸を抽出した残渣(ざんさ)が連結剤に最適ということで、大手自動車メーカーに提供していた案件も、資材が変更されることになり突然終了しました。東京湾の排水処理に総量規制がかかったのも同時期で、残渣の処理に億単位の費用がかかるようになり、事業転換を覚悟したのです。
崖っぷちから国内オンリーワン企業へ
ーーアルギン酸の事業にこだわり続けた理由もお聞かせください。
笠原文善:
実は経営危機の頃、私がまだ30代で対外的に通用しないため、親会社を経営していた父のいとこにお願いして社長になってもらいました。事業転換のアドバイスが受けられると期待していたのですが、視察時に「(父に)いい仕事を残してもらったな」と褒められたのです。
「父が自分の手で切り開いた仕事」ということは、人の真似をした仕事と異なり応用が利くということ。この時、環境ではなく私のやり方が悪いのだと気付いたのです。アルギン酸について知識もサービスもトップの会社になれば絶対に明るい未来があるはずだ、と奮起しました。
過去8年ほどは競合がほぼいない事業となり、製品数は約700品目を数え、現在は国内でオンリーワンの存在になったと自負しています。
アルギン酸の新展開――フェイクミートや医療分野で大注目
ーーアルギン酸のさらなる将来性をおうかがいできればと思います。
笠原文善:
プラントベースミート(代替肉)という植物性の肉が、海外で「フェイクミート」と呼ばれトレンドになっています。寒天などは固める前に熱で溶かしますが、アルギン酸のゲルは熱しても溶けない特性があり、フェイクミートに適しているのです。
医療の世界においても、がん細胞やポリープを綺麗に摘出する手術にアルギン酸が活用され、止血効果によって治りも良いといった点で評価されています。
将来、すり減った軟骨をアルギン酸のゲル化によって再生する新しい医療技術が市場に出てくるでしょう。再生医療は話としては面白いですが、実現するのは困難な分野です。だからこそ弊社はチャンスを狙って投資を続け、20年ほど経ちようやく光が差してきました。
ーー今後のビジョンもお聞かせください。
笠原文善:
私たちの製品のコストパフォーマンスには、自社の高い技術力と品質が反映されていると自信を持っています。工場の大きさや生産量ではなく機能性を追求していき、人の健康を守る・命を救うという点で世界中から「キミカがないと困るよ」と言われる会社を目指します。
編集後記
新医療の分野でチャンスをつかもうとしている株式会社キミカ。「背伸びをしてチャレンジする」というマインドは、「キミカスピリット 10の約束」の一つとして社内でも共有されている。
アルギン酸が持つポテンシャルをまだまだ引き出せるはず」と熱く語った笠原社長。彼が率いるオンリーワン企業に今後も注目だ。
笠原文善(かさはら・ふみよし)/1956年、千葉県富津市生まれ。早稲田大学大学院を卒業後、持田製薬株式会社に入社。退職後、1984年に君津化学工業株式会社(現、株式会社キミカ)へ入社。2001年に同社代表取締役社長に就任。その他、学校法人 東京理科大学理事、公益財団法人 日本発明振興協会 常任理事、一般社団法人 千葉県発明協会 会長、東京商工会議所 中小企業委員会 委員を務める。学位は博士(薬学)(高崎健康福祉大学・2021年)。