関西・北陸・東海を中心に、衣料品・食料品・住居関連品などの小売業や旅行・保険・飲食・アミューズメント事業を展開し、「地域密着のライフスタイル総合(創造)企業」を目指す平和堂グループ。
大手メーカーから老舗スーパーマーケットである株式会社平和堂に転職し、事業を通じて街づくりを推進する代表取締役社長の平松正嗣氏に、転職にいたった経緯と現在の事業展開、今後のビジョンについて話を聞いた。
夏原社長との会談で明確になった、街づくりへの貢献にかける思い
ーーもともと関西のご出身ですね。
平松正嗣:
大学卒業まで関西で過ごして就職を機に上京しました。ソニー株式会社で16年間、株式会社スクウェア(現:スクウェア・エニックス・ホールディングス)で12年間、海外勤務や会長秘書などを含め、さまざまな仕事をしてきました。
ーー関西に戻ろうと思ったきっかけはなんですか。
平松正嗣:
50歳を迎えたころ、事業を通して街づくりに携わるような仕事をしたいと思いました。また、両親が健在なうちに関西に戻れればという思いもありました。
そのようなときに、当時平和堂の社長だった夏原氏とお会いする機会がありました。実はそのときまで平和堂という会社の存在を知りませんでした。
ーー当時の夏原社長とはどのようなお話をされましたか。
平松正嗣:
高齢化などの理由で店舗へのご来店が難しくなったお客様が増えてきたので、そういった方々に、なんとか恩返しをしていきたいと話されました。
お話をうかがって、平和堂は小売業の領域を超えたビジョンを持っている会社だということがわかりました。
私の中に芽生えていた「事業を通じて街づくりに貢献したい」という漠然とした思いが、夏原社長との会談で明確な形となり、入社を決意しました。
「縁を貯める」エンタメを提供する場所でありたい
ーー貴社のビジョンをお聞かせください。
平松正嗣:
弊社のビジョンは“地域密着のライフスタイル総合(創造)企業”です。
私は日頃から「うちは小売業だとは思ってないよ」と社員にいっています。もちろん、小売業は弊社の中心事業のひとつですが、その上でさまざまな方と連携しながら、地域の活性化に貢献することを大きな目的としています。
少子高齢化の時代ですが、平均寿命が80代に対して、健康寿命が70代と10歳ほどギャップがあります。健康寿命が延びることで高齢者の方の行動が活発になります。また、介護に携わっている家族や施設の人が、別の経済活動に従事でき、地域経済の活性化につながります。そして、それは平和堂の存続に重要です。
ーー地域活性化のためにどのような取り組みをされていますか。
平松正嗣:
弊社は「買い物に行く場所」と同時に「地域コミュニティの場所」だと思っています。
たとえば、ある店舗内に設置している広場は、日中は市営の子どもの遊び場になっていますが、時間外は自由に使えます。
別の店舗では上層階の塾に通う学生たちが、フードコートや各階の休憩スペースができる前は階段や踊り場で腹ごしらえをしながら待機していたのですが、フードコートや休憩スペースが広がったことで飲食や勉強だけでなく、学園祭の準備や友達同士のおしゃべりの場として店舗を利用するようになりました。更に屋上も開放したことで、ダンスの練習などにも利用され、これまでの塾に行くための来店から、学生生活の一部としての活用が進んでいます。
また、ボードゲームや囲碁将棋、足湯や卓球など地域の人が集う地域サロン「みんなの広場」を備えているところもあります。店舗がお買い物だけではなく、高齢の方も子育て世代も学生さんも集う、世代を超えたコミュニケーションの場所になっています。
ーー広場を活用したイベントも行っているそうですね。
平松正嗣:
こうした自発的な活用以外に、子育てや健康などテーマを決めて地域の活性化につながるイベントを開催しています。健康をテーマにしたイベントでは、健康測定や野菜摂取量のチェックができるような設備を設置しています。
結果として、地域住民の健康への意識が高まり、野菜の購入が増えたり、運動が活発に行われたりして生活が変化していく。ひいては、健康寿命が高まり地域の活性化につながると考えています。
弊社の店舗は広場の活用やイベント活動を通じて、お客様の集いの場、エンタメ(縁を貯める)の場でありたいと思っています。
衣食住遊のサービスをワンストップで提案できる強み
ーー貴社の事業の強みをお聞かせください。
平松正嗣:
弊社の事業は、店舗形態により取り扱い内容が異なりますが、地域の中核店舗においては、衣食住サービス、そして遊までをワンストップで提供できることに加え、今は地域コミュニケーションの一端を担っています。
もともと、弊社は衣料品が強かったのですが「なんでも置いてあるけれど何がおいてあるかわからない。買いたいものがない」という特に若い世代からの声が多く、年々衣料品の売上が落ちていました。それを打破するために、5年ほど前から、年齢、テイストなどのターゲットに合わせた売り場づくりを進めています。
ーー具体的にどのような取り組みをしていますか。
平松正嗣:
2019年に改装オープンした「アル・プラザ富山」はその一例です。従来は平場と呼ばれる広い空間はレディース、メンズという大きな区分けをしていましたが、さらに細分化してショップのようにみえる空間に変更しました。
もう1つは、大型テナントの誘致です。10代〜20代に人気の高いLOFTや、30代〜40代に人気の無印良品を誘致することにより、もともと我々の主なお客様である50代以上にあわせて、幅広い世代の方にご来店いただくことが可能となりました。
直営店とテナントをあわせ持った店舗に、地域活性化の取り組みという要素が合わさり、弊社の強みに変わってきています。
ーー食料品についてはいかがですか。
平松正嗣:
食料品の比率と評価も上がってきています。価格は、重要要素ですが、こだわりをもった品揃えや商品開発を重視し、PB(プライベート・ブランド)、生鮮、特にデリカ(総菜惣菜)を強化しています。
2023年6月には滋賀県多賀町に新しいデリカセンターを立ち上げました。それにより、規模に関わらず品揃えが豊富になりました。また、朝にセンターからの商品が供給されることにより、店舗の開店時間から充実した品ぞろえができるようになり、昼間は店内で調理、加工した総菜を提供できるので、どの時間でも充実した総菜を提供できるようになり、お店の評価につながっています。
ーー物流に関してはいかがですか。
平松正嗣:
基幹的な物流は外部に委託しています。唯一、自前で行っているのが電話一本で自宅まで配送する“ホーム・サポートサービス”という、物流の中ではラストワンマイルのビジネスです。夏原前社長の願いでもあった「お客様への恩返し」は、私が入社した2010年からスタートし、現在は滋賀県すべての店舗と福井県、岐阜県の一部店舗で自前の配送ができる体制が整っています。
「さん」づけが育む対等な関係と、さらなるビジョンの推進に向けて
ーー平和堂は今まで勤めた会社とどんな点が大きく違いましたか。
平松正嗣:
私が平和堂に入社した当時は、相手を役職で呼ぶのが当たり前の社風でした。私は30年間、役職で呼ぶ会社にいたことがなく、ソニーであれば「大賀さん」「盛田さん」と呼ぶ文化で育ったので違和感を覚えました。役職で呼ぶこと自体を否定するわけではありませんが、案件ごとの担当者は、上司と話すときでも対等であるべきだと思っていました。
ーーどのように改革していきましたか。
平松正嗣:
弊社の創立50周年記念としてつくられた「平和堂社員の行動指針100撰」という冊子の中に「さんづけで呼ぶ」という項目が書いてあるのを見つけました。そこで私は、意識的に「さんづけ」を強調し、徐々に社内でも浸透していきました。
ーー今後の事業推進に対する考え方をお聞かせください。
平松正嗣:
よりよい商品づくりなどにおいて協力しあうためには、取引先の方とも対等な関係であることが大切です。
今後も取引先や行政、地域の人と対等な関係でコミュニケーションをとりながら、私たちの持っているデータを活用し、弊社のビジョンである「地域密着のライフスタイル総合(創造)企業」に向けて、さらに邁進していきたいと思います。
編集後記
社内外を問わず、人とのフラットな関係性を実践し、事業を通じて地域に根ざしたコミュニティの実現に邁進している平松社長。
「地域密着のライフスタイル総合(創造)企業」を目指す平和堂に今後も注目していきたい。
平松正嗣(ひらまつ・まさし)/1957年、福岡県生まれ。小学3年生から大阪府へ転居。1981年、大阪大学経済学部を卒業後、ソニー株式会社に入社。株式会社スクウェア(現:株式会社スクウェア・エニックス)を経て、2010年に平和堂に入社。経営企画本部長、店舗営業本部長、営業統括本部長などを経て、2017年に代表取締役社長兼COO兼営業統括本部長に就任。2024年に代表取締役社長執行役員CEOに就任(現職)。