※本ページ内の情報は2024年2月時点のものです。

今年で創業50周年を迎えた株式会社グローバルダイニング(1973年創業、東京都港区)は、スタイリッシュな演出が魅力のダイニングレストランを展開する有力外食カンパニーだ。

現在、業績も絶好調である。2022年12月の通期決算で95億円だった売上高が、23年には約15%アップの109億円を予測するなど、大幅な増収増益を見込んでいる。

また、話題も豊富な同社は22年5月、コロナ禍の営業時間短縮命令を違法とする訴訟を起こし、東京地裁の判決で「実質的な勝訴」を勝ち取ったことは記憶に新しい。

異彩を放つ創業者の代表取締役社長、長谷川耕造氏を詳しく知るため、エピソードや経営方針についてインタビューを行った。

「一生夏休みを過ごしたい」と思って駆け抜けた50年

ーー起業までの経緯やエピソードをお聞かせください。

長谷川 耕造:
若い時は人生何をしていいか分からなかったものです。それでも大学は日本で1番いい学校に行きたいと思って受験したのですが、第1希望には合格できずに早稲田大学に入学しました。

ただ、大学を出ても自分が日本の会社に就職して務まるとは思えなかったので、卒業するつもりは最初からなかったんです。

大学生活の2年間でアルバイトをしてお金を貯めて、「世界を見たい、見るなら今だろう」と思ったんです。子供の頃からの夢でしたからね。皿洗いとヒッチハイクをしながら1年半ほどヨーロッパを放浪して、帰ってきた時には22歳でした。

実家が商売をしていて私は長男でしたから、普通なら継ぐところですけれど、非常に保守的だと感じられ、自分には向いてないと思いました。生きていく上で自活はしないといけないが、そのためだけに日本の企業に入ることは、自分にとって魂を売ることに等しい。納得いかないのに「はい」とは言えないタイプですからね。

しかし、やれることには限りがある。「金もない、ネットワークもない、ノウハウもない、チームもない」のないない尽くしから小さい喫茶店を始めたんです。それが事業のスタートでした。チャレンジは人一倍好きですし、上昇志向も最初から強く、5年以内に3店舗出そうという目標は持っていました。

それから「毎日が夏休み」を死ぬまで過ごしたいという夢を持ったまま、50年の経営人生を送ってまいりました。

コロナショック社会はスイートタイムの弊害か

ーー店舗運営面で独自の方針があれば教えてください。

長谷川 耕造:
私たちは情報公開することを徹底しています。誰しも少しずつ弱みや秘密ができるものですが、放っておくとホコリのように溜まってくる。だから定期的にはたかないといけない、それが情報公開です。

仕事の上でも自分だけが持っている秘密を「チームの武器にしよう」という働きかけを徹底します。物事を決めるときは必ず公開討論し、情報公開して理由も説明して承認をとっています。

ーーコロナ禍の対応や影響についてご意見をお聞かせください。

長谷川 耕造:
コロナショックの対応は必要以上の大騒動だったと思います。憲法が保障する基本的人権がどこかへ行ってしまって、営業時間制限は法律の裏付けもなしに半強制でしたからね。

大型換気扇を使った飲食店ほど換気に配慮しているというのに営業時間の短縮を余儀なくされ、それに対する補償も最初はゼロでした。

1900年に約16億人だった世界人口が、23年現在は約80億人に増加しました。こうした現象は人類が劣化している証拠かもしれないですね。他者の言葉を借りると、平和な“スイートタイム”が長すぎたため、その終焉を暗示しているのかもしれないと考えています。

特に日本は全体主義に偏ってしまう国だから、仕事でも何でも「納得いかないけど仕方ない」と全員が少しずつ妥協して、いつかそれが積み重なって大変なことが起こるというわけです。

苦難を押し付けられるくらいなら自分で取りに行くべき

ーー今後の経営テーマや課題についてお聞かせください。

長谷川 耕造:
自分がやってきたことをやれる人が出てこなかったから、後継者育成に苦戦してきました。店長であればルーティンを覚えれば毎日回していけますが、経営となるとその場のルーティンよりも非常事態の対応が重要になります。

何もなければ時間がたくさんでき、怠けてしまう可能性がある。そうならないためにも定例業務をしっかり文書化しながら、「経営者」を育てることを当面の課題として取り組んでいるところです。

ーー20代30代の方にアドバイスをお願いします。

長谷川 耕造:
いわゆるスイートタイムな時代ですから、“スイートベイビー”がたくさんできていると思うわけですよ。これまでは、大して競争しなくても済む世の中だったかもしれない。ですが、これから「競争しないでどうやって生きていくのか」と思います。社会に出たら競争せざるを得ないですからね。

苦難は必ずついて回って歳をとっていつか死んでいくのだから、その苦難をただ受け入れるのか、人から押し付けられるのか、それとも自分から向かっていくのか、そこが大きな分かれ目。

同じ試練でも自分で選んだ苦難は喜びになる。自分が好きで選んだ苦難はきついほど刺激的で、終わった時の喜びは格別なものです。

私たちは自分で「生まれ」を選んではいないのです。ただ、意識が芽生えれば自己が存在するといえます。いろいろ考えるけど、何を読んでも答えなどない。与えられた時間も分からないけれど、それだったら目いっぱい生きようと思うわけです。

編集後記

大木も一方から強風が吹き続ければ倒れるが、反対の風があればそうならずに済む。

社会の方向が一方に流れたり歪みが生じたとき、バランスを保つためにそれを指摘し、しかってくれる存在が必要だろう。

長谷川社長はスイートタイムが長く人類は劣化していると話したが、「おかしいと思うことをおかしい」と発信する人物が存在するという意味で、まだ世の中の健全を保っているともいえないだろうか。

長谷川耕造 (はせがわ・こうぞう)/1950年3月9日横浜市生まれ。1971年に早稲田大学を中退し、欧州を放浪。1973年に有限会社長谷川実業を設立し、高田馬場に喫茶店「北欧館」をオープン。1976年「六本木ゼスト」を皮切りに「カフェ ラ・ボエム」「ゼスト キャンティーナ」「モンスーンカフェ」「権八」と次々にエンターテインメントレストランを都内に出店。1991年には米国第一号店としてロサンゼルスに「ラ・ボエム」、1996年にはサンタモニカに「モンスーンカフェ」(2016年に「1212(twelve twelve)」に業態変更)をオープン。1997年に商号を株式会社グローバルダイニングへ変更し、1999年に東証二部に上場。2022年4月から東証スタンダード。2023年11月現在、国内外に45店舗を展開中。