
お土産に「どうぞ」と旅先の珍しいお菓子をいただくと心がはずむ。日本国内でも、所変われば全く知らなかったお菓子に巡り合う機会がたくさんある。正氣屋製菓(まさきやせいか)株式会社は、そんなお菓子を扱う会社だ。地域限定で、宣伝もしていないけれど地元で愛されているお菓子を「愛菓子」(まながし)と呼び、全国に紹介している。有名メーカーのお菓子の取り扱いを辞めたのが、同社をけん引する代表取締役の安井栄一氏だ。大胆な舵を切った同氏に、詳細をうかがった。
海外志向の青年が 食品メーカーの修業を経て家業へ
ーー社会人としてのキャリアは、どのようにスタートされたのでしょうか。
安井栄一:
当初は海外で働くことに憧れを持っていましたが、最終的にはご縁があり、食品メーカーであるF社に入社。そこで約3年間の修業期間を過ごすことになります。そこで、食品マーケティングの基礎や営業としての在り方をたくさん教えていただきました。
また、当時の同期とは今でも深い親交が続いており、彼らからは会うたびに多大な刺激を受ける日々です。そうした業界の第一線で活躍する仲間とのネットワークや経験は、現在の私にも良き影響力を与えてくれています。
人が行かない道を歩んで、起死回生を図る
ーーナショナルブランドを扱わない戦略にはどのようなお考えがあるのでしょうか。
安井栄一:
F社での修業を終え、26歳で正氣屋製菓に入社しました。現場で研鑽を積み、しばらくして、専務として経営の一翼を担うようになりました。当時はまだ有名メーカーの商品も取り扱っていましたが、私が社長に就任した際に、そのすべてを辞める決断をしました。理由は、有名メーカーは値引き競争が激化し、レッドオーシャンとなり菓子問屋同士が疲弊し合うだけだからです。
「雑魚は磯辺でクジラは沖で」という言葉の通り、中小企業は大手企業が参入しづらい独自の領域で勝負しなければなりません。私は有名メーカーとの取引を解消し、代わりに地方のメーカーの商品を積極的に仕入れることにしました。その結果、売上はかなり落ちましたが、利益率は格段に向上しました。
地方メーカーの商品を積極的に仕入れる方針をさらに強化していき、今では地域限定の菓子メーカーの商品のみで約1000社、3万アイテム取り扱っています。私たちはこの地域限定のお菓子を、愛娘や愛弟子のごとく愛情を込めて「愛菓子(まながし)」という造語で呼んでいます。日本各地のスーパーさんから、たとえば「北海道フェアを開催したい」とのご相談を受けたら、北海道で選りすぐりの愛菓子たちを多数ご用意することができます。
このような事例は、日本全国であります。たとえば①◯◯の日フェア、②駄菓子系、③1000円〜2000円のギフト、④賞味期限が60日までの商品、⑤アミューズメントや介護老人保健施設などのさまざまなニーズにも細かく応えられます。
ーー同業他社と、どのような差別化を行っているのでしょうか。
安井栄一:
たとえば、私は毎月沖縄に営業に行っており、レンタカーを借りて4泊5日で30軒弱の得意先様を訪問しますが、他社は経費節減のため、見本送付やメール送付のみで対応している所もあります。弊社の営業マンも、全国47都道府県の得意先を毎月必ず訪問して、取引先との信頼関係を築き、対面でコミュニケーションをとることの重要性をかみしめております。現在、弊社の立ち位置は自社工場を持たずにメーカー様から愛菓子達を仕入れて、それをお客様に紹介する「ファブレスメーカー」であり、情報を価値に変える情報産業だと自負しています。だからこそ、経営者自らが現場に立つ言行一致の姿勢を示すことが何より重要だと考えています。
展示会出展で掴んだ成功
ーー社長就任後に取り組まれた施策をお聞かせください。
安井栄一:
地方メーカーに切り替えた時に、焦燥感と危機感を強く持って始めたのが外部展示会への参加です。日本全国の展示会に、毎年10回以上、10年以上出展し続けています。展示会への出展費用は、ブース代が1回あたり約40万円です。年間10回出展すると、ブース代だけで約400万円になります。加えて往復の交通費や宿泊費もかかりますので、年間につき何百万円もの費用を必要とします。しかし、弊社では比較的高い成約率があるので、多くの新規のお客様を獲得することができています。
さらに、展示会への参加は、既存の枠にとらわれない「全く新しいルート」の開拓にもつながっています。たとえば、3年前に沖縄で開催された展示会に出展した際、それまで弊社には全く縁のなかった「お土産屋さんルート」が開拓できました。沖縄や北海道といった観光立県ならではの大きなお土産需要を、展示会をきっかけに取り込むことができたのです。これは飛び込み営業だけでは決して開かなかった扉です。
また、展示会には「仕入れ」の場としてのメリットもあります。私たちは自社のブースでお客様を待ちながら、交代で会場内の他のブースを回ります。会場には全国各地のメーカーが集まっていますから、「これだ」と思う商品を見つけたら、その場で「ぜひ御社の商品を、弊社で取り扱わせてもらえませんか?」と商談を申し込みます。つまり、展示会は「売り」の場であり、新しい仕入先に出会う「買い(仕入れ)」の場でもあるのです。こうした地道な積み重ねが、結果として弊社の取引構造を劇的に変化させることへと繋がりました。
ーー取引先の構成も、この20年で大きく変わったとうかがいました。
安井栄一:
かつては「二次卸」の売上が9割でしたが現在は、大手食品卸・菓子卸様を帳合にさせていただいて、小売店やドラッグストア、アミューズメント施設などへの商品提案が9割を占めるまでになりました。私が20年前に予測した通り、街の小さな個人商店は姿を消し、市場はコンビニ・スーパーマーケット・ディスカウントストア・専門店などへと集約されました。そこで私たちは展示会への出展を地道に続け、直接の販路を切り拓いてきました。
合気道師範と起業家との意外な共通点
ーー「盛和塾」の活動に25年間注力なさっていたとのことですが、きっかけは何ですか?
安井栄一:
社会人になってからは、「なにわあきんど塾」の第4期生として経営者について学びました。卒業後、知人から「盛和塾」に誘われましたが、当時私は「盛和塾とは何か」「稲盛和夫氏とは誰なのか」全く知りませんでした。しかし、参加してみると、すぐに魅了されました。盛和塾に参加していなかったら、会社を存続させるのは難しかったかもしれません。私は稲盛氏の全国各地で行われる講演やセミナーを追いかけました。同時に講演会先のお客様や仕入れ先様も回れたので、一石三鳥でした。
佐々木將人(まさんど)先生と稲盛和夫氏、この2大師範と出会ったことが私のターニングポイントです。弊社の経営計画書には盛和塾や佐々木先生からの学びが多く反映されています。佐々木先生は、大学時代の合気道師範です。厳しい指導をしていただき、そのおかげで鍛えられました。厳しい練習を乗り越えた経験があったからこそ、社長になった当初、ひたむきに働いて乗り越えることができたのだと思います。
私が稲盛氏に共鳴する理由は「佐々木先生と稲盛氏が、偶然にも中村天風(てんぷう)師という人物の薫陶を受けていたからだ」と、後にわかりました。佐々木先生は、中村天風師の愛弟子としてカバン持ちを務めていました。また、稲盛氏はJALを再生させた際に、中村天風師の言葉を掲げていました。稲盛氏は、中村天風師を心から尊敬していたのです。
稲盛氏と佐々木先生、2人は私のお手本です。
こうした師匠たちの教えを実践する中で、私は経営で最も大切なのは、何よりも「体力」であるという確信を持つようになりました。「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」の諺通り、体力のない者に本当の精神力は宿らない。その信念を自ら体現するために始めたのが、新たな体力への挑戦でした。
65才でフルマラソン完走 経営において「体力=精神力」

ーー経営者として「体力」を重視される中で、始められた新たな挑戦とは何でしょうか。
安井栄一:
実は、2024年の12月に65歳で初めて那覇マラソンに出場し、制限時間内で無事に完走することができました。以前からランニングは趣味で続けていたものの、フルマラソンは敬遠していたのです。しかし、知人から「月に100キロ走らなければフルマラソンを完走するための足腰は作れない」と発破をかけられ、一念発起して半年間、毎月100キロ以上を走り込みました。今年もそのペースを維持し、2日に1回の頻度で長居公園を8キロ走っています。初めてフルマラソンに挑戦した際には、社員たちが自腹で沖縄まで応援に駆けつけてくれました。その姿勢に感銘を受けた社員が、翌年にはランナーとして参加するなど、社内にも良い影響をもたらしています。
ーー月間100キロもの長距離を走り続けるモチベーションはどこにあるのでしょうか。
安井栄一:
走ること自体が日々のモチベーションになっていますし、何より体力が全ての基盤だと考えているからです。私は体力こそが精神力だと確信しています。体力がなければ強い精神力を維持することはできず、会社の経営も日々の業務も全うできません。体力と精神力の両輪が揃ってこそ、長きにわたって戦い抜くことができるのです。
目標は徳川幕府 300年続く企業を目指し走り続ける
ーー新卒採用や新規事業などについて、社長のお考えをお聞かせください。
安井栄一:
私の息子は34歳で、次期社長候補です。ECの強化や採用などは、息子に任せています。弊社は採用強化を考えていますが、私はあまり口を出しません。私は自分の片腕となるような営業マンを育ててきました。息子も頼りになる人材を選んで、右腕、左腕となって活躍できるような優秀な営業マンと内勤の方々を育ててほしいと願っています。
しかし、優秀な営業マンを育てるには、最低でも10年はかかるでしょう。弊社は今年で101年目を迎えましたがまだまだこれからで、徳川幕府のように300年続く企業にしたいのです。私自身は新規開拓や展示会などを、身体が許す限り続けていこうと思っています。
レジリエンス・運・言霊。成功への3つの鍵
ーー若手に向けたメッセージをお願いします。
安井栄一:
私は今年の弊社のスローガンに「レジリエンス」(逆境における回復力)を掲げました。雪の重みで木の枝は折れますが、竹はしなった後に戻ります。このような「レジリエンス」を備えるべきだと思います。嫌なことや辛いことがあったとしても、それは自分に何かを気づかせてくれる神様のような存在からのメッセージだと考えます。たとえば、「なぜ私はこのような境遇にいるんだろう?」と解釈力を鍛えなければならない、と考えます。
そして、私は「運がいい」というより「運が強い」と考えています。運が強いと信じれば、実際に運が強くなります。不運だと嘆いたり、他人の成功をうらやんだり、自分はダメだと卑下する考えを捨てることが大切です。たとえ今は悪いことが起きていたとしても、スーパーポジティブに考えてスーパーポジティブに行動しています。
私は言霊(ことだま)を信じています。「忙しい」はリッシンベンに亡ぶ(ほろぶ)と書きます。忙しいと言っていると本当に心が滅びるので、私は「充実している」と言い換えます。社員さんには、ネガティブ思考を呼ぶ「3D(どうせ・でも・だって)」を使わず、「3S(すごい・さすが・素晴らしい)」を使いましょう、と話しています。
編集後記
商売の基本は対面だと語り、外部の展示会には必ず立ち合っている安井氏。ポジティブかつ熱意ある接客で商談をまとめ、全国各地にファンを増やしていったのだろうと想像できた。3Dを封印し3Sを使い、レジリエンスで不遇を跳ね返すと笑う安井氏が率いる正氣屋製菓の、さらなる成長に期待したい。

安井栄一/1959年大阪府生まれ。和歌山大学卒業後、F社に入社し、3年間の修業を経て1985年に正氣屋製菓株式会社へ入社。広島営業所(現在は廃止)への2年間の赴任後、大阪本社へ配属。営業畑一筋で歩み、2001年に3代目代表取締役社長に就任した。専務時代から約25年間にわたり、故・稲盛和夫氏主宰の盛和塾で経営の基本を学び、現在の社長業や経営方針書に生かしている。同社は今年で創業101年目を迎え、2017年に4代目候補として入社した長男とともに東奔西走する毎日を送る。