※本ページ内の情報は2024年3月時点のものです。

バルブ・ポンプ・ガス発生装置の設計開発や製造販売をメインに、幅広い製造業務を展開する株式会社IBS。彼らがつくり出す多様な部品はあらゆる産業界の装置・設備・工場で使用され、社会インフラを支えている。

「常に社会課題を考え、顧客の困っていることを解決しようと動いていたら仕事につながっていった」と語るのは、同社代表取締役の早川剛一氏だ。

ガスや半導体装置などの産業機器に限らず、医療機器、航空宇宙、アグリカルチャーや光ファイバー製造ラインなど、あえてニッチな分野をとことんまで追求している理由は何なのか。社長就任までの経緯やニッチ産業への展開について話を聞いた。

海外製品に負けない。仲間と共に立ち上げた日本のものづくり企業

ーー早川社長は貴社に入社するまで他企業に勤めていたとうかがいました。入社までの経緯をお聞かせください。

早川剛一:
大学で経営学を専攻していたのですが、システム工学論の授業で「今後インターネットが普及し、システムを経営に活かす時代が来る」と習い、それを仕事にしたいと思いました。

大学卒業後、大阪の中山製鋼所に入社し、経営企画部に配属されました。社内の設備改善として、これまで人員を割いて処理していた業務のオートマチック化を図るべく20人程のチームで取り組んだところ、年間約3億円の削減に成功し、入社1年で社長賞をいただきました。

3〜4年勤務しシステム工程管理を学んだ後、石油化学工場に輸入する分析器の商社に転職し、羽田沖やフィリピンに建設していた日本最先端の石油施設の測定を担当しました。そこで取引先として出会ったのが、現在のIBSを設立した先輩たちです。

当時、どんな部品も海外製品が優れていた時代でしたので、海外の仕様に合わせた狭い範囲の提案しかできず、お客様に満足していただけない現状がありました。そこを変革すべく、「僕らで日本の製品をつくっていこう」と話し合い、先輩が社長となって1997年にIBSを立ち上げました。

ーーその後社長に就任されていますが、自ら志願されたのでしょうか?

早川剛一:
もともと社長になりたいという考えはなく、むしろ向いていないと思っていました。設立から2〜3年後に先代社長が急逝し、誰が会社を引き継ぐのかと話し合った時、「もちろん僕がやります」と見栄を切ってしまったことから就任に至ります。30歳になったばかりの頃でした。

先代社長の意思を継いでグローバル展開に着手

ーー社長就任後はどのようなことに着手されましたか?

早川剛一:
先代社長と交わした「大阪の小さな会社に留まるのではなく、グローバル展開できる会社にしよう」という約束を果たすべく、海外進出に着手しました。

今後はアジア圏の時代が来るという読みから、中国に狙いを定めて大阪市に相談を持ちかけたのです。そこで担当していただいた弁護士の方が中国人で、「私も日本にお世話になった。家賃は取らないから、今後は君が日本と中国の懸け橋になってくれ」と中国での住居などをサポートしてくれました。その方には20年経つ今でもお世話になり、上海支店の責任者の紹介をお願いしています。その後のベトナム進出も同様に、サポートしてくれる人のおかげで成功を収めることができました。

ーー現在は産業機器、医療機器、航空宇宙やアグリカルチャーなど、幅広く展開されていますが、どのような流れで業務を広げていったのですか?

早川剛一:
設立当初は小さな会社でしたから、海外進出することは難しいという状況でした。そこを打破するために、「新分野のニッチな産業を極めよう」と方針を定めたのです。

たとえば、原子力発電所のモニタリングポストやトリチウム発電所の輸送用ポンプ、水素ステーションの水素発生器、アンモニアの回収装置、海水養殖魚の生育設備など、大手では対応できないようなニッチな部分を強化しました。すると、自然とホームページを見たり噂を聞きつけたりして、向こうから「こういう部品をつくってくれないか」と話を持ちかけてくれるようになりました。

特に医療機器に関しては、先代社長の念願でもありました。高度管理医療機器に分類されるトップレベルのクラスⅢの商品を生み出すことに成功し、防災分野へ展開しています。

ーーニッチ産業を展開していくにあたって、社内で工夫された点はありますか?

早川剛一:
新分野を開拓していくにあたって、DXは必須でした。コロナ渦で業績の落ち込みもピークの時期でしたが、プロジェクトチームを立ち上げる際に「会社が生まれ変わるなら」と各部長がそれぞれの部署のリーダー格である優秀なメンバーを選出してくれて、無事に取り組むことができました。

会社の規模に囚われず、業界全体でより良い商品を生み出すことが先決

ーー採用や人事制度について教えてください。

早川剛一:
転職も多い時代ですが、僕はその人が成長できたら良いという考えで、たとえその人が出て行っても他の会社で活躍してくれたら世の中が上手く回ります。「IBSにいたおかげで次の会社で褒められました」という状況をつくれたらベストです。自分の会社の規模を大きくしていくよりも、常にほかの企業と助け合って、最先端の分野を極めていければ良いと考えています。

ーー最後に、会社を経営する上で大切にされていることは何ですか?

早川剛一:
弊社はなるべくオープンな環境を目指しています。自分たちの業界では当たり前のことでも、外部の目を通すと非効率なことも往々にしてあります。物の置き場所ひとつ取っても、「ここにあると通りにくいですね」と指摘してもらうことで気づきをもらえて効率化につながります。

全く異なる文化の人間同士がコミュニケーションをとり、同じ物事を見て会話することで新しい発見が生まれるのです。

編集後記

年功序列の業界の中で、若くして活躍してきた早川社長。

「たとえ苦言を呈されても、それを受けてどう表現していくかが大事です。やり方を見直すチャンスと捉え、業務を改善することで良い循環にしていきます」とにこやかに語った。早川社長の前向きな人柄こそが、ニッチ産業で多くの興味を引く現状につながっているのだろう。

早川剛一(はやかわ・こういち)/1971年生まれ。大学卒業後、株式会社中山製鋼所に入社し経営企画部に配属。その後分析計輸入商社に入社し技術営業担当などを経て、1997年、株式会社アイビーエスジャパン(現:株式会社IBS)に入社。営業担当として東京営業所開設などに携わる。2005年、専務取締役に就任。2007年、代表取締役に就任。