※本ページ内の情報は2024年3月時点のものです。

株式会社エスティックは、ねじ締めや圧入に関わる製品はもちろん、今注目されるロボットや自動組立装置なども取り扱う、組立の総合ソリューションメーカーだ。

振動が加わっても緩まない、精度の高い締めつけができるナットランナの分野では、自動車メーカー向けに圧倒的なシェアを誇っている。また、ねじ締め時の反力を低減する特許を取得するなど、作業者に配慮した技術も特徴のひとつである。

同社をけん引する代表取締役社長の鈴木弘英氏は、もともと体育の教師で16年間教鞭を取っていた。現相談役の鈴木弘氏も「世襲はしない」と公言していたという。

それにもかかわらず社長を継ぐに至った経緯と、今後の展開について話を聞いた。

父の道と、息子の夢。そして、かけられた期待

――創業者はお父様ですが、創業時から継ぐつもりでしたか?

鈴木弘英:
実のところ、継ぐつもりはありませんでした。まず、弊社の創業の経緯をお話しすると、父は、太陽鉄工株式会社(現:株式会社TAIYO)で油圧シリンダーを用いた設備のエンジニアを務めていました。

そこで、ナットランナを開発し、それがヒット商品となりました。ところが、父がリーダーに任命され、順調に事業が拡大していた矢先、バブル経済の崩壊とともに会社は倒産しました。

その時、お客様から「ナットランナは良い商品だから使いたい」と声をかけられました。父は、自ら開発した商品が「会社の倒産とともに消えてしまうのは忍びない」と感じ、退職金や関係者からのバックアップを得て独立しました。

創業以降、周囲には「世襲はしない」と公言しており、私自身もすでに就職して自分の人生を歩んでいたので、そんなつもりは全くありませんでした。

父が創業した当時、私はハウスメーカーに勤務し、退職後、高校の体育教師になりました。

――ハウスメーカーから体育教師を経て社長に。キャリアの変遷を教えてください。

鈴木弘英:
私は中学、高校、大学とハンドボールに打ち込み、就職はスポーツ用品メーカーを希望しましたが、ご縁があって、ハウスメーカーに就職しました。

入社後、上司から「いくら努力しても結果がなければ認められない。正しいアプローチで結果を出せ」と、社会人の基礎を徹底的に叩き込まれました。順調に成果を上げ、給与も上がりました。しかし、3年ほど経つと、「数字や利益に追われず自分の好きなことで働きたい」と思うようになりました。

私が大学を卒業した当時は、教員は憧れの職業で非常に倍率が高く、トライする勇気がなかったのですが、「やはり好きなことで仕事をしたい」と思い、保健体育の教員になりました。

商業高校に赴任し、「部活動で人材育成をしよう」とハンドボール部を設立し、10年間指導しました。その結果、大阪府女子ハンドボール大会でベスト8に進出できました。

その後私が42歳の時、父から「一緒に会社をやらないか」と打診されました。おそらく父なりに色々悩んだ結果、一番身近な血縁に頼る、という決断だったのではないかと思います。

専門外の会社を継ぐことに不安はありましたが、父から認められたいという強い気持ちから、挑戦を決意しました。16年間の教員生活の最後は2年生の担任でしたが、生徒の卒業を見届けることなく3月末で退職しました。

覚悟を決めたら、道が拓けた

ーー入社後、半年ほどで単身渡米していますね。

鈴木弘英:
父から「後継者として、自分で手柄を立てなければ周囲からは認められない。誰もしたことのないことをしろ」と言われました。

当時、弊社の海外取引先は主にアジアで、父の強い人脈もありました。しかし、北米市場は、まだ未開拓で売上金額も大きくなく、父の助言もあり私は市場開拓のために渡米することになりました。

まずはこの業界を知るために4ヶ月間、商社で研修勤務をした後、8月から弊社に出社し、翌年の5月に渡米しました。

当時の私は、「弊社の商品を買ったことのある日本人駐在員にアプローチして1年ぐらいで帰ろう」と楽観的な気持ちでした。しかし、現実は厳しく、成果は得られませんでした。

当時は、代理店契約を結んでいた米国の中堅設備メーカーに机を置いて営業をしていましたが全く上手くいかず、成果が出なかったこともあり、欧米流のやり方ではなく弊社独自のやり方でお客様をサポートするためにも、現地法人(ESTIC America)を設立することを決断しました。

――いまや貴社を支える子会社に成長しましたね。どのような苦労がありましたか?

鈴木弘英:
「日本に帰って来い」と言われるまで、「10年でも20年でもここにいよう」と腹を決め、法人設立の翌年には家族をアメリカに呼び寄せました。

「英語を流暢に話せずともコミュニケーションがとれれば良い」と割り切り、ときには筆談で意思疎通を図り、現地の方々に信頼されて注文をもらえるように努力しました。

現地に法人を構え、長期的なサポートが可能になったことで、お客様にタイムリーな技術サポートが供給できるようになり、価格帯も現地の慣習に合わせて再構築しました。
そして、アメリカのトヨタから大型注文を獲得したことで、事業に弾みがつき、売上が急増しました。

アメリカ市場は合理的で、品質とサービス、納期がしっかりしている商品が評価されます。当初は知名度が低く苦労しましたが、独自の反力低減技術、納期面やサポート体制の良さが口コミで広がり、多くの顧客から支持を得ることができました。

その後、本社からの支援もあり、3年間で売上が約1億円から6億円まで伸びました。今では中国や韓国地域を抜いて、海外売上のナンバーワンまで成長しています。

目標は、世界を舞台に技術を輝かせること

――今後の事業展開についてお聞かせください。

鈴木弘英:
私のミッションは、人の可能性を引き出して成長させ、事業を成長させることだと思っています。人の能力を最大限に発揮させ、メーカーとして技術を磨き、世界で勝負できる会社にしていきたいと思います。

そのために、まずは独自技術をさらに進化させるつもりです。「ESTIC PULSE」という、ねじ締め時の反力を低減する当社独自の特許技術があります。アメリカでデモンストレーションをすると「女性でも軽々とできる!」と反響を呼び、驚きと感動で人だかりができたほどです。今後もさらにハイクオリティな技術開発を継続します。

自動車分野では、エンジンやトランスミッション関連だけでなく、バッテリーや小型の電気部品関連の製品開発にも注力し、欧州など海外の大手自動車メーカーとの取引拡大を目指します。そのためにも、海外拠点にエンジニアを駐在させるつもりです。現地の声を把握し、日本で開発した製品を現地でカスタマイズし、より顧客満足度の高い製品を提供したいと思います。

また、ロボットメーカーと密接に連携することで、弊社の製品をあらゆるロボットで使用できるようにして、作業現場を自動化することも目標です。

農機・建機や鉄道、航空機業界への参入にもチャレンジしていきたいと思います。

編集後記

全く畑違いの分野に飛び込んだ鈴木弘英社長。ゼロから北米市場の販路開拓し、社内での海外売上のナンバーワンにまで成長させるなど、アメリカンドリームを実現させる姿に強いリーダーシップを見た。

国内すべての自動車メーカーに選ばれる高い品質を誇る同社が、今後は自動車業界以外(航空機、鉄道、ロボット、ドローン)へも多角展開をしかけるという。この勢いには多大なる可能性を感じた。鈴木弘英社長の挑戦に、これからも注目していきたい。

鈴木弘英(すずき・ひろひで)/大学卒業後、大手住宅メーカーで3年間、戸建て住宅の営業に従事。退職後、体育教師に転身し、16年間のキャリアを積む。2012年、株式会社エスティック入社。営業部に配属。2013年、北米市場の販売強化のミッションを与えられ渡米。2014年、現地法人ESTIC Americaを設立。同年、同社副社長に就任。北米でのビジネスを軌道に乗せ、2017年に帰国し営業本部長に就任。2020年、代表取締役社長に就任。