※本ページ内の情報は2024年5月時点のものです。

目立たなくとも人々の暮らしを支え、欠かすことができないものはたくさんあるが、ゴム製品もその一つと言えるだろう。ゴム製の部品がないと成り立たないと言われる機械もあり、さまざまな場面でゴム製品は必要不可欠になっている。

そんな中、ゴム業界で、世界にインパクトを与える中小企業がある。創業88年の老舗で大阪府八尾市に本社工場を構える、錦城護謨株式会社だ。シリコーンゴム製の割れないグラスをニューヨーク、シンガポールで販売し、世界を驚かせた。

今回は新規事業を次々と成功に導いている代表取締役社長の太田泰造氏に、その経営戦略をうかがった。

営業担当からいきなり土木現場へ

ーー入社までの経歴を教えてください。

太田泰造:
大学卒業後、大手複合機メーカーで6年半勤務し、営業を担当していました。錦城護謨株式会社は祖父が創業者で、僕は2代目社長の長男ですが、家業を継ぐことは考えていませんでした。

幼少期に会社に行ったことはほとんどなく、父から会社を継ぐように言われたこともありません。しかし思い返すと、頭の片隅には会社のことがあったのかもしれません。父から入社するように言われたとき、単純にうれしい気持ちになって、入社を決めました。

ーー入社後はどのような仕事をしていたのでしょうか。

太田泰造:
最初は土木部門に配属されました。早朝から港に集まって船で行く現場は、コンビニエンスストアも電気もないような場所です。仕事は肉体労働で、夕方まで帰れません。スーツを着た仕事から現場での作業へという変化は、僕の人生のなかで最も大きなものでした。

ーー現場で働いて良かったことはありますか?

太田泰造:
当時現場にいた社員から、「一緒に汗をかいてくれた社長を信頼している」と言われたことがあります。同じ環境で苦労しながら働いたことで、人と人との絆を構築できたのです。

また、現場の作業から土木部長に昇進し、管理の経験を積むことによって、弊社の土木事業をより深く理解できました。その後、専務を経て、社長に就任しました。

会社という組織はピラミッド型の構造ですが、人と人との関係性はフラットだと思っています。この考えは社長になってからも変わりません。

新規事業は「隣の畑を耕して大きくする」

ーーなぜゴムの会社が土木事業を運営しているのですか?

太田泰造:
弊社はもともとはゴム材料の商社でした。祖父が戦中に軍需統制品のゴムを横浜から関西に運んだのが始まりです。戦後、ものが不足した時代にゴム素材を使ってさまざまな部品をつくるメーカーになりました。

そして、ゴム資材を納品していた取引先から、地盤改良材を強い素材にしたいという要望を受けたことが、土木事業に進出したきっかけです。ゴムを成型する技術を応用して、プラスチック製の地盤改良材を日本で初めてつくりました。その後、土木現場に関わるうちに、技術的な領域にも事業を広げました。

このように、弊社は一貫して、お客様が求めるものをつくることで価値を提供してきました。事業展開するときに共通しているのは、既存事業の延長線上にある分野に進出していることです。隣の畑を耕して大きくするイメージです。

僕の社長就任後に福祉関連事業に進出して手がけた『歩導くん』シリーズや、新ブランド『KINJO JAPAN』も、この考え方に基づいています。

――『歩導くん』について教えてください。

太田泰造:
土木の取引先から、『歩導くん』の発明者を紹介されました。その方は全盲で、入院中は一人でトイレにも行けないことが悩みでした。病院に点字ブロック設置を要望したのですが、断られてしまいました。理由は、点字ブロックは視覚障がい者のバリアを解消できますが、その凹凸が車いすの人にとってはバリアになってしまうからです。

それを解決したのが、表面に突起のない屋内専用のゴムマット『歩導くん』です。これは、白杖で叩いたときの床面との音や質感の違い、足裏から伝わる感触の違いによって、視覚障害者を目的地まで安全に誘導します。

しかし発明者の方は全盲ということもあり、最初は世の中へ普及させるべく営業、販売活動のお手伝いからスタートしました。ゴム素材で社会問題を解決するという弊社の理念とマッチして「歩導くん」に私たちのモノづくりの力も合わせ、開発、アップデートした「歩導くんガイドウェイ」を製造、販売まで行い、現在は全国1000か所以上に設置されています。

――『KINJO JAPAN』とはどのようなブランドでしょうか。

太田泰造:
現在、弊社は地域貢献に力を入れていますが、その過程で生まれたのがシリコーンゴム製グラスの新ブランド『KINJO JAPAN』です。「八尾のものづくりの力を世界に届けよう」、という八尾市の行政プロジェクトで出会ったデザイナーから、「ゴムの持つ高い機能性と見た目の高級感を組み合わせることで、これまでにない価値を生み出せるのでは」というアイデアをいただきました。

そして切子グラスのような繊細な見た目なのに、落としても割れないという実用性を持った、シリコーンゴム製のグラスを開発しました。クラウドファンディングが成功して話題にもなったので、新しいコラボレーションの話やアイデアがたくさんあります。

地域とつながらなければ世界とつながれない

ーーなぜ地域貢献をしようと思ったのですか?

太田泰造:
ある日、ふと地元の駅にいる人たちを見たときに、この人たちは弊社が何をしている会社かを知っているのだろうかと思いました。そして逆に、僕たちも地域の人々のことを知らないことに気づきました。毎日近くにいるのに、地域の人や会社との接点がなかったのです。

ローカルにつながっていないのにグローバルに出られるわけがないと思い、それから地域交流に力を入れるようになりました。

社員の幸福度を高めるインナーブランディング戦略

ーー貴社は今後、どのような展開を予定していますか。

太田泰造:
地域貢献とブランド展開を通じて、弊社にとどまらず日本の技術力をグローバルに届けたいと思っています。2025年には大阪万博に出展し、世界中の人たちに八尾のものづくりに関する情報を発信します。

これらの展開は社外に向けて発信しているだけではなく、社員が弊社の存在意義を認知するためのインナーブランディングでもあります。

つまり、弊社の社員として社会に価値を提供しているという存在意義を実感することで、仕事にやりがいを感じられるのです。

ーー人材戦略についてお聞かせいただけますか。

太田泰造:
人材の採用・育成・定着に尽力しています。そのために社員の幸福度を高めることが重要だと考えています。

弊社は終身雇用を目指しています。それは社員を縛り付けるという意味ではなく、一生働きたいと思える会社にするというものです。

人は勝手に育ちません。社員に合わせてしっかりとした育成プランを立てることが必要です。前職となるコピー機メーカーでの営業職では、営業だけでなく人間教育をしてもらいました。この経験を弊社にも活かし、社員が学びたいことを学べる教育プログラムを作っています。

仕事は人がいないと成り立たないものです。未来に向けて、人にフォーカスした会社づくりをしています。

編集後記

前職は営業で活躍した太田社長。その対人能力で人脈を広げ、事業に活用している。また、社内で活躍する社員の幸福を考え、教育プランを充実させることにもこだわり抜く。そんな、人の力で躍進する錦城護謨株式会社から目が離せない。

太田泰造/1972年、大阪府に生まれる。2001年、錦城護謨株式会社に入社。2009年、代表取締役社長に就任。2021年、経済紙『Forbes JAPAN』によって「2021 Forbes JAPAN 100(今年の顔100人)」に選出される。