薩摩酒造株式会社は、鹿児島県枕崎市に本社・工場を置く酒造会社だ。本格焼酎を中心とした酒類を生産しており、芋焼酎をメインに、麦焼酎、米焼酎、リキュールなど幅広い商品を製造・販売している。
同社の代表取締役社長である本坊愛一郎氏に、これまでのキャリアや苦労したエピソード、事業内容や強み、今後注力していくことなどについて話をうかがった。
2年半の修業で身につけた飲料の販売手法
ーーいつ頃から経営者になることを意識していたのでしょうか?
本坊愛一郎:
会社を経営する父親の姿を見て育ってきたので、いつかはその仕事に関わるのかもしれないと思っていました。
学生時代にはバイヤーの仕事に興味が湧きましたが、他の会社でバイヤーとは違う職域で2年半にわたり修行した後、弊社に入社することになりました。
ーー前職ではどのような仕事を担当していましたか?
本坊愛一郎:
ルート営業を行っていました。業務を行う中で、在庫日数を極力短くし、常に新しい商品を売る「フレッシュローテーション」という手法を学び、コストを削減して売り上げを伸ばすための考え方を身に付けることができました。これは現在の仕事に活かすことができているので、貴重な経験を積めたと思っています。
特約店との調整・交渉に苦戦した支店長時代
ーー貴社に入社して苦労したエピソードを教えてください。
本坊愛一郎:
東京で支店長をしていたとき、首都圏で1番の得意先と、特約店契約を結んでいました。会社として売り上げを伸ばすためには、他の特約店も増やす必要がありましたが、お得意様からすると競合が増えることにもなりますので、すでに取り引きのある特約店への配慮など、営業上の調整が大変でした。
また、当時は社内で製造と営業の方針が合わなかったことにも苦労しました。現在は支店ともメールで頻繁にコミュニケーションをとることができますが、当時はポケベルを使用していたため、情報を共有すること自体が難しく、相談や話し合いの機会をなかなかつくれず、苦労しましたね。
原料を妥協しないことで品質の高さを追求
ーー貴社の事業内容について教えてください。
本坊愛一郎:
弊社は芋焼酎をメインにつくっている酒造メーカーです。鹿児島の農産物であるサツマイモを使用しているため、農家とのつながりを大切にしながら焼酎造りを行っております。そのこだわりの焼酎造りによって、今では国内外のさまざまなコンペティションで高い評価をいただけるまでに成長しました。
焼酎以外の商品にも注力して開発した「金柑サイダー」は、日本経済新聞のNIKKEIプラス1の企画「何でもランキング『地サイダー10選』」に取り上げられ、2位として紹介されました。
ーー貴社の強みは何でしょうか。
本坊愛一郎:
製造から販売まで一貫して自社で責任を持って手がけていることです。原料にも強いこだわりをもって製造しています。たとえば農家からサツマイモが入荷されたとき、品質によっては「これは焼酎の製造には使えません」とはっきり伝えています。お互いに妥協せず取り組むことで、品質の高い芋焼酎をつくることができています。
また、100周年(2036年)を見据え、新たな企業理念に「モノづくりの可能性に挑戦し続け、人びとに幸せな笑顔をお届けする」を掲げました。伝統を持ちながらも革新的なものづくりや可能性を追求し、お客様の笑顔につなげていきたいと考えています。
そのまま食べても美味しいサツマイモを使用するこだわり
ーー芋焼酎をつくる上で印象的なエピソードはありますか?
本坊愛一郎:
入社当時、芋焼酎に使用するサツマイモを製造時に試食する機会がありました。当時の私は、一般的な芋焼酎の原料は食用でないサツマイモを使っており、そのまま食べてもあまりおいしくないのでは、と思っていました。しかし、実際に食してみると驚くことにとてもおいしかったのです。芋焼酎に品質の高い立派なサツマイモが使用されていたことは、私にとって目から鱗でした。それ以来、原材料にもこだわって厳選するようになりました。
ーー麦焼酎「神の河(かんのこ)」についても教えてください。
本坊愛一郎:
「神の河」は1988年に東京で販売をスタートし、翌年より九州まで販路を拡大し、全国発売となりました。戦略として、まずは周知してより多くの人に飲んでもらうことを目標に、東京と大阪の支店が、都市部を強化するべく業務店開拓を中心に販路開拓に努めました。
原酒を3年以上貯蔵・熟成させて生み出した「神の河」は、そのまろやかな味わいと豊かな樽の香りが評価され、ブランドが少しずつ根付いていったのです。2021年には、フランス人のための日本酒コンクールとして知られる「Kura Master」で、樽貯蔵部門でプラチナ賞(TOP2)にも選ばれています。
もう1つの柱となることを目指し、ウイスキー事業を立ち上げる
ーー今後注力していくことについて教えてください。
本坊愛一郎:
日本は少子高齢化が進み、人口の減少が見込まれるので、海外展開もしていく必要があると考えています。しかしこれにはまだ時間がかかります。他にやれることがないかと考えた結果、2023年2月にウイスキー事業を立ち上げました。
もちろん弊社は本格焼酎が中心ですが、もう1つの大きな柱となるように今後はウイスキーの製造にも注力していくつもりです。
挑戦しやすい社風で結果だけでなく頑張る過程も評価
ーー組織づくりを行う上で心がけていることはありますか?
本坊愛一郎:
自分に対して行われたら嬉しいことを実践するよう心がけています。たとえば、社員の頑張りをしっかり反映できるような評価制度を運用しており、結果だけでなく過程も見た上で評価するようにしていこうと思っております。これは評価に対する側の私がしっかり勉強しなければならないことなので、今後さらに良い制度として実行できるように取り組んでいきたいと思います。
ーー最後に、読者である学生や若手人材に向けてメッセージをお願いします。
本坊愛一郎:
弊社はいろいろなことに挑戦でき、意見も反映されやすい会社です。たとえば、アイデアグランプリというものを年に1回開催しており、全社員から商品開発にとどまらず、いろいろなアイデアを集める機会があります。
また、風通しの良い環境が整っています。直近では社内の上下関係を緩和させるために、社員同士を「さん付け」で呼ぶようにしています。立場が違っても話しかけやすく、相談しやすい雰囲気を少しずつつくれてきたと思っています。
これからも働きやすく、そしてお客様に笑顔を届けられる会社でありたいと思っているので、少しでも弊社に興味を持ってくれた方は、ぜひ応募してほしいと思います。
編集後記
妥協しない焼酎づくりにこだわり続けてきた本坊社長。伝え方・接し方を間違えば信頼関係が壊れてしまうが、互いに切磋琢磨できる関係を築けたのは、支店長時代に特約店との調整・交渉に苦労した経験が糧となっているからだろう。
しっかりとした評価制度の運用や相談しやすい雰囲気づくりなど、働きやすい環境も整う薩摩酒造株式会社は、社外だけでなく社内の人も笑顔にする会社であると感じた。
本坊愛一郎/1955年鹿児島生まれ。神戸商科大学(現兵庫県立大学)卒業。1980年に三国コカ・コーラボトリング株式会社(現コカ・コーラボトラーズジャパン株式会社)に入社、他社も含め2年半の修行を経て、1982年に薩摩酒造株式会社に入社。1985年に大阪営業所の初代所長を務め、1996年に取締役東京支店長就任。2011年に専務取締役を経て、2017年代表取締役社長に就任。地元への地域貢献活動にも注力している。