※本ページ内の情報は2025年4月時点のものです。

株式会社ひよ子は、創業128年の福岡を代表する老舗菓子メーカーだ。「ひよ子」は福岡生まれのお土産として日本中の人々から愛されている。

創生112年を迎える「名菓ひよ子」のほか、現在は季節ごとに違う味を楽しめる「季(とき)ひよ子シリーズ」なども展開している。

専業主婦から経営者に転身した代表取締役社長の石坂淳子氏に、就任の経緯や就任後の経営改革、今後の目標などをうかがった。

専業主婦から経営者へ。主婦の視点で行った構造改革

ーー社長就任までの経緯を聞かせてください。

石坂淳子:
当時ひよ子の跡継ぎだった夫と結婚してからは、専業主婦として家事や育児に専念していましたが、あるとき社長になっていた夫から「女性の視点で会社を改革してくれないか」と提案を受けました。時代の流れとともに業績が低迷し、会社の立て直しを図るために、私に白羽の矢が立ったのです。

それまでは、家庭を守ることが私の役目だと思っていましたが、家業を守ることも家族を守ることだと考え、思い切って夫の提案を受け入れることにしました。

ーー就任後、実際にはどのような社内改革を行ったのですか。

石坂淳子:
はじめは、大幅なコスト削減や売上拡大のプランを盛り込んだ「再生5ヵ年計画」を立て、実行していきました。具体的には、物流コストを抑えるために福岡市内にあった製餡工場を飯塚の総合工場に移したり、店舗の削減も行いました。

なかでも特に力を入れたのが、福岡・東京、それぞれに個性化したひよ子ワールドの構築でした。新商品の開発にあたっては、ひよ子の独自性を活かせる商品をつくることを意識しました。名菓ひよ子はひよこをモチーフにしたかわいらしい見た目が特徴で、説明しなくても商品の魅力が伝わることが大きなポイントです。

実はこのひよこ型には「子どもたちが笑顔になれるお菓子をつくりたい」という創生者二代目茂の思いが込められています。また、炭鉱で栄えていた飯塚の地に、労働者の心と体を癒す甘いお菓子を届けたいという思いもありました。

この「みんなに笑顔と喜びを届ける」という思いとともに、ひよ子ならではの魅力が伝わる商品にしようと、何度も試作を重ねました。

ーーその後、どのような商品が出来上がったのでしょうか。

石坂淳子:
そうして出来上がったのが、和菓子のように季節感を取り入れた、「季(とき)ひよ子シリーズ」です。

このシリーズではじめてつくったのが、桜餡(あん)を使った「桜ひよ子」です。これは「八木山に咲く吉野桜のように、みなさまに愛されるお菓子をつくりたい」という創業者・石坂直吉の思いから着想を得たものです。

さらに夏は「茶ひよ子」秋は「栗ひよ子」冬は 「苺ひよ子」と、日本の四季をひよ子に込めました。それが女性を中心に人気を得て、売上向上につながりました。これまで看板商品である名菓ひよ子に手を加えることはタブーとされていましたが、固定観念を取り払い、販売に踏み切ってよかったと思っています。

ーー経営改革において、主婦の視点が役に立った場面はありましたか。

石坂淳子:
外から入ったからこそ、組織の違和感に気付けたのだと今となっては思います。会社の中にいると、それまでの進め方がどこか当たり前のような感覚になってしまいます。私は良くも悪くも会社の慣習を知らなかったため、問題だと思うところを次々と指摘し、抜本的な改革を行えたのです。

主婦としてフラットな目で物事を判断した結果、正しい方向に軌道修正できたのだと思います。

東京土産の定番に押し上げた販売戦略

ーー創業から125周年を迎えましたが、経営を長く続ける秘訣は何ですか。

石坂淳子:
独自の販売戦略を武器に、販路を開拓していったことが重要なポイントです。私どもの父である三代目博和は「この商品なら勝算がある」と確信してから東京進出に乗り出しました。

また、女流書家の町春草さんにご協力いただき、パッケージに使用する「ひよ子」の文字を姿文字に変更しました。さらにテレビコマーシャルを放映し、宣伝力を強化しました。するとメディア戦略が功を奏して商品デザインが話題を呼び、東京でも定番土産になったのです。

三代目博和のしっかりとしたブランディング戦略によって、着実に販路を開拓していったことで、人々から長く愛される菓子メーカーになれたのだと思います。

ーー新しく導入された移動販売車も、販路開拓のひとつになるのでしょうか。

石坂淳子:
ひよ子の形をした「幸せを運ぶ♪はっぴよカー」は、創業125年を記念して導入しました。これにより店舗や駅、空港だけでなく、日頃接点のない道の駅や大型ショッピングモールでも、私たちから訪問することによって、商品をお買い求めいただけるようになりました。

また、カプセルトイや的当てなどを家族そろって楽しめる2台目はっぴよカー「SMILE PATIO(スマイル パティオ)」もあります。「SMILE PATIO」には、カーニバルのように笑顔が広がる場所になってほしいという意味を込めています。

ご来店いただくだけでなく、今後はこうしてみなさまのもとに直接おうかがいし、美味しさと笑顔をお届けしていきたいと思っています。

すべてのお客様に、笑顔と幸せを届けるための新たな活動

ーー新たに誕生した「ウエルネスひよ子」プロジェクトでは、具体的にどのような活動を行うのですか。

石坂淳子:
これはお菓子を通じて健康で快適、安心した生活を送っていただきたいという思いから生まれた新プロジェクトです。2024年2月からは、九州産米粉を使った卵・乳・小麦不使用の「hiyoneシリーズ」の発売を開始しました。

これは、アレルギーを持ったお子さんにも「みんなで同じものを食べられる喜び」を届けたいという思いから生まれた商品です。三大アレルギーを排除するだけでなく味にもこだわり、アレルギーのない方も満足できるお菓子に仕上げました。

ーー今後の展望を聞かせてください。

石坂淳子:
私たち「ひよ子」は、日本や世界の子どもたちを笑顔にする企業を意味する「日世子」でありたいと思っています。そこでひよ子グループでは、夢を育むための支援活動や社会貢献活動を行う、一般社団法人ひよ子ゆめ育(なる)基金を設立しました。

この事業では、世代を問わず夢を育む方々を支援するとともに、災害義援金の募金活動や支援寄付などを行っています。こうした活動をはじめ、食の領域で活動の幅を広げていくことが、私たちの成長につながると考えています。これからもみなさまに幸せを届ける企業を目指し、従業員とともに成長してまいります。

編集後記

専業主婦として家庭を守っていた石坂社長は、夫の家業を守るため、経営者の道に進んだ。無駄な出費を削り、季節感を取り入れた商品を開発した点は、主婦だからこそ生まれたアイディアだと感じた。株式会社ひよ子は、お菓子を通じて人々に幸せを届け、誰もが笑顔になれる活動を続けて行くことだろう。

石坂淳子/1955年生まれ。1997年に株式会社吉野堂(現:株式会社ひよ子)の取締役に就任。2006年に株式会社ひよ子の常務取締役に就任。2009年に代表取締役社長に就任。株式会社東京ひよ子社長、株式会社コートピエール、吉野堂銘菓原料株式会社代表取締役、一般社団法人ひよ子ゆめ育基金代表理事長を兼任。