1950年にこうや豆腐の製造からスタートした旭松食品株式会社は創業以来、大豆を原料とする商品を増やして業容を拡大してきた。
1972年に「新あさひ豆腐」を発売してからは、こうや豆腐のリーディングカンパニーとしての地位を確立。現在は、40%以上というトップシェアを誇る。
そうした好調の背景には、1978年に食品研究所を設立したことにより、減塩をはじめ、食品メーカーとして時流を読んできたという、絶え間ない研究の成果がある。
健康志向の昨今、さらなる「健康的な食生活」を提供するために開発を進める同社。2009年から総指揮を執る代表取締役社長の木下博隆氏に、商品開発や経営方針について聞いた。
モノづくりの楽しさに触れた入社当時の現場
ーーはじめに木下社長の経歴をお聞かせください。
木下博隆:
高校まで長野にいましたが、大学から京都に出て、長野に戻ったのは30歳の時です。大学は理系学部でコンピュータの勉強をしており、パソコンがこれから普及していくという時代に、電機メーカーに就職しました。
一方で弊社は祖父が設立した会社で、両親が仕事で忙しかったのもあり、私は「おばあちゃん子」です。メーカーで数年働いたあと、祖母の「早く戻ってこい」という誘いもあり、弊社に入社することになりました。
ーー入社当時に苦労したことは何ですか?
木下博隆:
入社後の配属先は現場経験を積むという目的もあり、こうや豆腐の工場でした。乾燥工程を担当した際には、溶かしたこうや豆腐を乾燥させるところが肝でした。
早く乾燥させ過ぎると割れてしまうし、かといって温度が低かったり湿度が高かったりすると乾燥しないので、うまくバランスをとらないといけません。1日ごとに作業を行うため、乾燥させすぎたら1日分がまとめて割れてしまうというプレッシャーの中で作業するのは大変でした。
苦労した部分はありましたが、現場にいた3年ほどはモノづくりの楽しさを知ることができ、とてもいい経験をしたと思います。
ーー社長になって感動した時のエピソードをお聞かせください。
木下博隆:
実はこの名刺は、高名なデザイナーの原田泰治氏にデザインしていただいています。長野県諏訪郡上諏訪町(現在の諏訪市)出身の同氏とは、彼が帰郷された時からの長いお付き合いで、弊社のロゴやパッケージデザインなどをご協力いただいてきた経緯があります。
75年近くも会社をしていると「いろんな人にお世話になりながら成長してきたんだな」とつくづく感じることがあり、そのようなご縁に遭遇した時に感動しますね。
科学的なエビデンスで新商品の価値を立証しながら最先端を目指す
ーーこうや豆腐へのこだわりについて教えてください。
木下博隆:
時代とともに製品やつくり方を進化させています。昔はカチカチに乾燥したこうや豆腐を柔らかく戻すのにアンモニアを使った加工を採用していました。しかしアンモニア臭はお湯につけないと匂いがとれないため、私が入社した時は重曹を用いるようになっていました。
そうすると今度はナトリウム、つまり塩分をとることになります。長野県は塩分の摂取量が多いため、ずっと短命県だったのですが、それを改善する風潮の中で長野県の企業として立ち上がりました。
諏訪中央病院の先生とやりとりしながらの、多額の資金と時間を使った研究の結果、新製法により、1枚当たり0.2g減塩することに成功しています。これは億単位の枚数だと莫大な量です。それだけ「食と健康」へのこだわりを強く持っているということです。
ーー商品開発の注力テーマをうかがいます。
木下博隆:
こうや豆腐にはレジスタントプロテインという体内で代謝されにくいタンパク質が含まれています。これは血中の血糖値の上昇を抑制したり中性脂肪を減らす効果が期待できる貴重な物質です。
これをヒントにオートミールなどでも健康志向に合わせた商品の開発に力を入れています。今後はビーガンやプラントベースへの対応も視野に入れ、新商品の開発に注力していく方針です。
ーー開発の方法と展望をお聞かせください。
木下博隆:
お客様の健康的な食生活を追求することが企業理念であり、これを実現するためにも研究によるエビデンスのある形で商品に関する情報を社会に発信していきます。そのためにいち早く1978年に食品研究所をつくり、基礎研究を繰り返しながら開発の道を歩んできました。
今後も大学の医学部と共同で研究することも踏まえ、科学的にも価値を立証しながら最先端の商品開発を目指し、オランダなどの欧州をはじめとする海外に向けても商品を展開していきたいと思います。
ライバルとの協業も辞さない方針で、物流コストの見直しを実施
ーー働き方改革などについてお聞かせください。
木下博隆:
現在、ワークライフバランスをとれるように人事的な制度を変えている最中です。弊社の場合はチームでの仕事が多く、1人休めば他の人がフォローしないといけないのでチーム力が試されます。
受注から出荷までの作業をバランスよくコントロールし、生産性を高めながら働く際の負荷を減らす、これらを同時に進めていきながら環境改善に取り組みます。
ーー生産性を高める方策があれば教えてください。
木下博隆:
最近は物流問題でコストが著しく上昇していますので、出荷の頻度を下げるなどの対応をとらざるを得ない状況です。
どうしてもサプライチェーンによってビジネスが成立しているので、私たち1社でできることは限られています。それでも工場団地一帯の貨物をまとめたり、末端ではライバル会社とも一緒に物を運ぶといったことも今後は探っていく必要性を感じています。
ーー採用したい人物像はありますか?
木下博隆:
積極的にチャレンジするのが弊社の社風です。20代・30代の元気な若い方で食品と私たちの理念に興味があれば、ぜひ一緒に働き、ともにチャレンジしてほしいですね。
編集後記
木下社長は大学が理学部の出身というだけあり、旭松食品として科学や数字を重視した研究を進めるなど、非常に探求心が強い人物であるとの印象を受けた。
旭松食品は長い歴史の中、品質第一で研究エビデンスをもとにした商品開発を進め、業界トップの座を確実なものにしてきた。これまでの実績を見れば、この先も健康志向食品の分野で一歩先をリードしていくに違いないということがわかるだろう。
木下博隆/1962年、長野県生まれ。1985年、京都産業大学理学部卒業。日本電気株式会社を経て1992年、旭松食品株式会社へ入社。取締役執行役員チルド事業カンパニー長、常務取締役執行役員などを経て2009年、代表取締役社長に就任。