奈良時代に日本に伝来した「砂糖」。創業100年を越える株式会社宮崎商店は、文明開化と共に国内で発展してきた精糖業を語るに欠かせない存在だ。代表取締役の宮崎文幸氏に、会社の歩みや製品の特徴、今後の展望についてうかがった。
老舗砂糖メーカーの後継ぎとして――時代に取り残されない改革
ーー社長のご経歴やお取り組みをお話しいただけますか。
宮崎文幸:
大学卒業後、「他人の飯を食べてきなさい」という父の方針に沿って、大阪の角砂糖メーカーに入社して3年ほど製造業を経験しました。
そこで指示を受けて働く側の心情と会社に愛着を持つことの大切さを知り、「宮崎商店を気持ちよく働ける会社にしたい」と考えるようにもなりました。家業に戻ってからは、伝統製法について学びつつ、前職での経験から職場環境の整備を行いました。休日のルールが曖昧なこと、残業時間がしっかり管理できていないことなどを変えていき、働きやすい職場作りをしていきました。その後、常務取締役、専務取締役を経て1998年に社長へ就任しました。
当時は3~4種類の砂糖しかなかったところ、お客様のご要望に応える形で新製品を増やし、今では約30品種ものラインナップがあります。業界内には「砂糖は自分の好みで混ぜるもの」という認識があり、何十種類もの商品をつくる必要はないとも言えます。しかし、私は「周りがやらないことをやるべきだ」と思い、必死で開発に力を注いできました。
ーー貴社の歴史もうかがえればと思います。
宮崎文幸:
大正時代の1918年に、祖父が江東区の千田で煮蜜業を始めました。「蜜煮業(しゃみつぎょう)」とは、原料糖を溶かし釜で濃縮させ黒蜜を造ることです。祖父は、大手砂糖メーカーから原料が入っていた麻袋を譲ってもらい、大樽で溶かし鉄釜で濃縮し黒蜜を造って販売しました。
その後、煮蜜業と並行して始めた砂糖づくりが次第に本業になったと聞いています。江東区は、上白糖が国内で初めて商業化された場所で、多数の砂糖メーカーがあったため、「砂糖発祥の地」とも言われています。
食品業界で重宝される看板商品――色と味わいが濃厚な「玉糖」
ーー事業内容をお聞かせいただけますか。
宮崎文幸:
砂糖は黒く、蜜分を含んだ「含蜜糖」と、上白糖やグラニュー糖といった白く、蜜分を含まない「精製糖(分蜜糖)」の2つに大きく分けられます。弊社は、含蜜糖にあたる「赤糖」と「加工黒糖」を製造しており、看板商品の「玉糖(玉砂糖)」は赤糖の部類に入ります。
製品の9割以上は業務用です。最も多い卸先は製パン企業で、大手製パン企業の蒸しパンにも使用されています。キャラメル系スナック、かりんとう、ふ菓子など、街中で見かける茶色いお菓子のほとんどに弊社の砂糖が入っていると言っても過言ではありません。
サトウキビは加工途中で「蜜」と「原料糖」に分離され、簡単に言うと2つを再び掛け合わせたものが弊社の商品です。とはいえ、サトウキビは産地によって品質が異なり、絞り汁の性質も環境下で変化します。原料糖と糖蜜のブレンドを調整したり、産地を使い分けたりして、品質が安定した製品をつくれることも弊社の強みです。
ーー会社や商品の強みもお聞かせください。
宮崎文幸:
本土で含蜜糖を製造している会社は5~6社あり、その中でも弊社の玉砂糖は「色がとても黒い」という点で他社と差別化できています。精製糖は「甘さ」のみでコクがない一方で、含蜜糖には色の黒さやコク・香りの強さが求められるのです。お客様から「うちの製品には宮崎さんの砂糖が欠かせない」と言われることが、何よりも嬉しいですね。
黒い砂糖を造るのは容易ではありません。砂糖は糖蜜の配合が多いほど黒くなるのですが、糖度の低い蜜を足しすぎると乾燥工程で粉末にならないのです。ミネラル豊富な蜜をたっぷり含んだままで、粉状の砂糖をつくる独自技術も弊社の強みです。
ーー社内はどのような雰囲気でしょうか?
宮崎文幸:
弊社では、要領よく仕事ができるだけの人よりも「誠実な人」を好みます。採用においてもその点を意識してきたので、現在の社員は信頼できる人ばかりです。平均年齢は30代で、社員同士が上下関係で縛り合わない、風通しが良い環境だと思います。冗談を言い合いながらも締めるべきところは締められる、チームワークの良さとアットホームさが自慢ですね。
年2回のボーナスや昇給のタイミングで面接を行い、会社への要望を聞いています。仕事に不公平がなく、新鮮な気持ちで働けるように、難しい作業以外は一週間ごとにポジションをローテーションする取り組みも特徴的です。
会社の弱点と向き合い、営業力とブランディングを強化
ーー今後の展望をお聞かせください。
宮崎文幸:
現在の弱点は「認知度の低さ・営業力の弱さ」だと捉え、会社をブランディングしていく必要があります。営業を総合的に任せられる人材を見つけ、ネームバリューを強化すればBtoCが伸びるだけでなく、BtoBの成功にもつながるはずです。
非対面・非接触が増えた時代でも、対面での会話にはまだ大きなメリットがあります。足を運ぶ大切さは経営や営業においても実感しているので、人と会うことを億劫に感じてはいけませんね。
かつて江東区に多数あった同業者の中で、弊社が生き残れた理由は「堅実な経営で品質を重視してきたから」だと考えます。誠実なものづくりをし、お客様の期待に応えることを意識していきたいと思っています。
これからも「価格の安さ」ではなく「品質の高さ」を継続することを忘れず、お客様とのお付き合いや新規開拓を進めていきたいと思います。
編集後記
企業の魅力だけでなく、砂糖の奥深さを知る機会となった今回のインタビュー。宮崎商店のラインナップの豊富さは「顧客の期待に応えたい」という誠実さの表れだ。砂糖の製造工程や歴史について丁寧に語る中で、自社商品への誇りがダイレクトに伝わってきたことはもちろん、「人と会って話す面白さ」を強く実感した。
宮崎文幸/1959年生まれ。東洋大学を卒業後、丸徳製糖株式会社に入社。3年の修業期間を経て、株式会社宮崎商店に入社。常務・専務を経験し、1998年に同社の代表取締役社長に就任。伝統製法による砂糖づくりを継続している。
宮崎邦紘/1994年生まれ。立教大学を卒業後、銀行で5年の修業期間を経て、株式会社宮崎商店に入社。宮崎社長の後継予定である。