1942年に創業した吉田産業株式会社は、80年以上にわたる歴史を誇り、菓子業界で確固たる地位を構築してきた老舗企業だ。現在、4代目として同社の舵をとる吉田尚史社長は、当初、家業を継ぐ意志はなかったが、先代社長の強い要望を受け入れて入社を決意。自らの経営理念を掲げ、見事に会社を立て直し、国内外に事業を展開している。今回は、その戦略と経営哲学について詳しくうかがった。
孤軍奮闘と営業への開眼
ーー吉田産業に入社される前は、どのようなお仕事をしていたのですか?
吉田尚史:
もともと吉田産業に入る気はありませんでした。外資系商社からの内定を得ていたのですが、父から「そんな聞いたこともないような会社はやめろ」と言われたため、当時取引先だった某電機メーカーに入社することになったのです。翌年の1995年、阪神淡路大震災が発生し、復興支援のために京都から神戸に転勤しました。焼け野原の中で毎日、飛び込み営業を行いましたが、最初の2〜3か月はまったく売上がない状況でした。
入社後、最初に私から製品を購入してくれたのは、武庫川近くの料亭でした。嬉しかったので、思わず「なぜ買ってくれたのですか?」と尋ねたところ、「弟に見えたから」とおっしゃいました。飛び込み営業で苦労している弟さんと私が重なって見えたそうです。「君も疲れただろう?」と。そのとき、「買ってほしい、買ってくれ」という気持ちではなく、相手の懐に飛び込むことが売上につながるのだと気づいたのです。
営業に集中すると、売上が一気に伸びました。忙しくなり、徹夜も当たり前の状況でしたが、不思議と楽しさを感じていました。得意先と一緒に何かをつくり上げ、その際に達成感がもたらされることと、「ありがとう」の言葉をもらえることが何よりの喜びでした。営業で成功するには、相手が興味深いと感じてくれる、「面白い人」になること。これこそが、ルートセールスの秘訣だと気づいた経験でした。
ーーそこから、どうして家業に戻ることになったのですか?
吉田尚史:
先代社長が当時の経営状態を立て直すために人を探していたところ、私に白羽の矢が立ったのです。前職を辞める気はまったくありませんでしたが、そのときの上司が「この時代、社長になれるのはほんの一握りだ。そのチャンスがあるなら、一度挑戦してこい。ダメだったらまた雇ってやる」と言ってくれました。その言葉に背中を押され、戻ることを決めたのです。
弊社には27歳で入社し、本当にイチから、具体的には配送業務から始めました。社員全員と仲良くならなければ、会社のどこが悪いのかが見えてこないと思ったからです。そしてまずは会社の利益を回復させるために奔走しました。
そうして働く中で、お菓子には人々を幸せにする魅力があり、お菓子問屋は人々に笑顔を提供する仕事なのだと気づきました。だから社員には、ただ物を配送したり、材料を提案するだけでなく、「人々に笑顔を届けることに誇りを持ちましょう」と伝えています。
社員のやる気を引き出す「民主的経営」
ーー社長になって変えようとしたことはありましたか?
吉田尚史:
私が社長になったとき、ある銀行の支店長から。「前の社長には3億円しか貸さないと言ったけど、あなたが会社を立て直すためなら、いくらでも貸しますよ」と言われました。「なぜですか?」と尋ねると、「あなたは逃げない性格でしょう?」とおっしゃったのです。借金をするつもりはなかったのですが、その言葉が深く心に響きました。
少子高齢化が進む中、食品業界は厳しい状況です。今の社屋は築50年で、このまま築70年まで続けられるか疑問でした。そこで、「私が会社を借りて、私が誰かに会社を託す」。そういう役目の社長なのかもしれないと考えるようにしたのです。
「会社は3代目が潰す」とよく言いますが、私はそれに対する独自の解釈を持っています。初代は自分一人でわがままに事業を進め、苦労もします。2代目はその苦労を見て育ち、親の夢を引き継ごうと頑張ります。そして3代目は安定した環境でわがままに育ち、その結果、社員にわがままを押し付けてしまう。そこから亀裂が生じ、会社が潰れるのです。前職で数多くの会社がそのようにして潰れるのを目の当たりにしてきたので、私は皆の意見を積極的に取り入れ、民主的に経営しようと決意しました。
ーー具体的には、どのような取り組みをしたのですか?
吉田尚史:
私が社長になる前、社員の平均年収は350万円以下でした。また、「1万円上がるのに10年かかるのか!」と、よく前の社長とは口論しました。「10年で10万円上げたら潰れる」と言われましたが、皆で努力して潰れないようにするのが会社です。社長一人では何もできません。だから、皆の協力を得るために、成功報酬をきちんと出すように改革しました。
また、20代後半から30代前半の若手社員に役職を与える「やりがい戦略」も取り入れました。経営会議では、肩書は一応残しつつも、立場を平等にし、多数決で決定しています。私には議決権はありません。私が手を挙げると、皆が賛同してしまいがちですからね。もちろん、会議の結論が現場で有効でない場合にも、現場の人間に任せます。現場のことは彼らが一番よく知っていますから。だから私にとって、社員は部下ではなく仲間なのです。
菓子流通業界の未来を見据えて
ーー今後の展開について、お聞かせください。
吉田尚史:
今は、この業界のために何ができるかを第一に考えています。現状、食品業界は少子高齢化によるさまざまな困難を抱えています。そこで昨年から、人材養成に関して何ができるかを検討し、東南アジアの若者をパティシエとして日本に迎えるプロジェクトを進めています。洋菓子業界の人々と連携し、資金は弊社が提供しています。
まず、タイに会社を設立しました。人材を養成するには現場が必要なので、セントラル工場をつくり、パティシエを育てています。彼らがリーダーとなり、さらに現地の若者を育てていきます。彼らの受け入れ先の一つとなるように、バンコクにカフェもオープンしました。その中で、日本に来たいという人を迎えるのです。日本のケーキを食べて「こんなケーキをつくりたい!」と感じるような意欲的な若者が多くいます。
カフェの売上はまだまだ不足していますが、商社も設立し、日本の材料を販売しています。現在は慈善事業的な側面もありますが、東南アジアの食に対する高い関心を背景に、美味しいものに関する市場の成長には大きな期待を寄せています。
編集後記
吉田社長は、ざっくばらんで親しみやすい雰囲気で、彼の笑顔には人の懐に自然と飛び込むような魅力があり、言葉には人間味あふれる温かさもある。社員を「仲間」や「うちの子」と親しみを込めて呼ぶその姿勢は、社員との距離の近さや信頼関係の深さを物語っている。吉田社長のこうした姿勢が、社員一人ひとりの力を最大限に引き出し、会社全体を活性化させているのだろう。
少子高齢化が進む現代社会において、菓子業界が直面する課題は少なくないが、吉田社長は業界全体の未来を見据え、これからも革新的な戦略で挑戦し続けていくに違いない。
吉田尚史/1972年生まれ。大学を卒業後、1994年に某電機メーカーに入社。1999年、吉田産業株式会社に入社し、2016年に同社代表取締役社長に就任。