※本ページ内の情報は2024年6月時点のものです。

自動車や半導体、医療など、さまざまな分野で部品の設計・製作・組立を行う株式会社ゲートジャパン。製造業でありながら、アウトソーシングを積極的に活用し、日本国内だけでなく海外をマーケットに、顧客のニーズに合わせた自由度の高い製品とサービスを提供している。

設立当時から自分の足で世界を歩き回り、市場を広げてきた西澤耕一社長に、会社の軌跡と今後の展望などついてお話をうかがった。

1年目で売上1億円、3年目でリーマン・ショックに見舞われるも半年で回復

ーー2つの会社の勤務を経て、起業したきっかけは何でしょうか?

西澤耕一:
サラリーマンの頃から会社を設立したいという思いはありましたが、当初は具体的なビジョンが見えていませんでした。2つ目の会社にいたとき、3年で実績を残すことができ、営業で活かした経験をもとに新しい会社の構想が描けたため、会社設立の準備をしました。

前職の部下が一緒に入ってくれて、2人で新会社をスタートしました。当時、国内の製造業は人件費が高騰し、海外でつくった方が安いケースが多かったため、海外で安く資材を調達して日本に紹介する事業をしていました。

1年目の売上が2人で1億円、2年目は3億円と絶好調でした。3年目にリーマン・ショックが起こり、倒産の危機に陥りましたが、ひたすら歩き、電話し、訪問することを繰り返したところ、半年ほどで少しずつ業績が回復していきました。

また、既存のお客さまと関係を構築していたことも良かったと思います。もともと京都から始まった弊社は、最初に関西エリアに限定して取り引きを増やし、関東、東北、九州へと広げていきました。エリアを広げた後は、業界の拡大を行い、自動車、半導体、医療分野へと進出しました。

エリアと業界を拡大した後は、次なるステップとして海外進出を進めています。東アジアにはじまり、ASEAN、南アジア、北米、EUという流れで参入しています。

ーー外国にビジネスを広げるうえで何か戦略はあったのでしょうか。

西澤耕一:
国力と人口はとても関係性が深いと思います。アジアは人口の多い国が多いので、自然とビジネスのターゲットにする国が定まりました。今社員が70人ぐらいですが、半分以上が外国人です。本社を構える京都は大学が多い地域なので、留学生を採用しやすいこともメリットですね。

最初は日本の人材が集まらないという理由で、外国人を採用していました。しかし、採用してみると国や地域にかかわらず優秀な人材がいることに気づき、現在は外国人を積極的に採用しています。

人員や設備を持たない経営をしながら、お客さまのニーズを反映した製品づくりに注力

ーー貴社ならではの強みはありますか?

西澤耕一:
人員や設備などを所有すると負担が大きいことから、ものづくりもアウトソーシングを活用して「持たざる経営」を行っています。

海外調達して少しでもお客さまのお役に立てればと思って会社を始めた当初は、自分の足で多くの国に出向きました。人任せではなく自分の目で見たからこそ、実績が残せたのだと考えています。

また、弊社は一貫してお客さまの要望に合わせた製品を提供できる点も強みです。お客さまのニーズに合わせて自社製品にさまざまな改良を施し、提供することができます。

国際交流をしながら新たな国をターゲットにした販路の拡大を目指す

ーー最後に、今後の展望について教えてください。

西澤耕一:
海外との関係を深め、さらに拡大していきたいと思っています。新しい国を開拓するときは、必ず現地の人の知見が必要です。海外出張やZoomなどを併用し、コミュニケーションを取りながら市場を拡大していきたいと考えています。

また、社員がこの会社にいてよかったと思えるような会社にしたいと思っています。将来的には、株式上場も目指しています。

編集後記

会社設立後、好調な業績を上げていたにもかかわらず、リーマン・ショックで倒産の危機に見舞われた西澤耕一社長。会社を立て直せた勝因は、奇策ではなく地道な営業活動だった。一歩一歩着実に目の前にあることを成し遂げて、ゲートジャパンはグローバルなフィールドで事業を展開する企業に成長した。西澤社長の目標は、やはり世界。それぞれの国の人とコミュニケーションを取りながら、さらに多くの国をビジネスパートナーにしていくことだろう。

西澤耕一/1958年、京都府生まれ。1986年、東証スタンダード上場企業の金型部品メーカー、P社に入社。2003年に大阪の老舗金型部品メーカーのC社に入社。2005年に株式会社ゲートジャパンを創業。