※本ページ内の情報は2024年9月時点のものです。

国際連合によると、2015年には世界の労働者とその家族の10%が1日1人当たり1.90ドル以下で生活していた。特に、15歳から24歳までの若者が低賃金労働者となる可能性が高く、若者就業者の16%が貧困ライン以下の生活を送っていたというデータもある。また、2013年には5900万人の子どもたちが小学校の学齢期にも関わらず未就学であり、最近の傾向では、未就学児童の5人に2人は学校に通ったことがないという。

このような貧困や教育の問題が特に顕著なアフリカの現状を実際に見て、常に世界各国を見据えている日本の社長がいる。車椅子によるバリアフリー化や新しいエネルギー開発を手がける株式会社ディ・イ・エフの代表取締役、花井重勝氏に、その行動力の原点や考え方、現在の事業や将来の展望についてうかがった。

建築業界での経験を活かし、世界中の人々のために

ーー大学卒業後のキャリアについてお聞かせいただけますか?

花井重勝:
大阪工業大学の建築科を卒業後、株式会社日産建設(以下、日産建設)に入社しました。ちょうど翌年が東京オリンピック開催の年だったため、すぐに東京の建設現場に配属され、その後、工場建設や商業施設などを担当し、経験を積むことができました。

一方、当時お付き合いしていた彼女との結婚の条件が「将来独立すること」だったため、いつか会社を退職して独立したいと考えていました。そのため、入社から12年後、日本鉱業(現:JX金属株式会社)の日本政府国策事業にて、中部アフリカのコンゴ共和国に3年勤務し、その後、独立準備を始めたのです。

幸運にも、独立する際には日産建設の得意先からも声をかけていただきましたが、お世話になった会社のお客様を横どりしたくはなかったため、自らお客様を開拓することにしました。そのとき知り合ったのが、歯科および医療機器の製造販売を行う株式会社吉田製作所の代表取締役社長である山中氏です。そのご縁をきっかけに、大伸商事、大伸工務店を立ち上げ、山中氏からご相談いただいた歯科医院の設計や、不動産業を営んでいた父親の仕事を手伝い、マンションの建設なども行いました。

しかし、1992年、両親の介護が必要になったことをきっかけに、大伸商事、大伸工務店を閉鎖。車椅子生活でも自由に駅構内のエレベーターやエスカレーターが使用できるよう、バリアフリーの仕組みを考え、特許出願も視野に入れて現在の会社の立ち上げを行ったのです。

社会に必要とされる事業を展開する原動力

ーー車椅子のバリアフリー化に向けた事業について、もう少し詳しく教えていただけますか?

花井重勝:
具体的には、車椅子で駅構内や商業施設を利用しやすくする機械を開発しました。もともと車椅子で電車に乗る際は、駅のホームと電車の間にある隙間を駅員の方にスロープを渡してもらったり、エスカレーターに乗るときも誰かに押してもらうなど、人の手を借りないと乗れませんでした。

弊社は、駅のホームと電車の間にできる隙間を解消するために、ボタン操作で隙間を埋めたり、エスカレーターを止めずに車椅子が利用できる介助機器を開発しました。その結果、車椅子利用者が自分自身で移動できるようになったのです。

ーー他の事業についても教えていただけますか?

花井重勝:
マグネシウムを活用した新エネルギー開発に取り組んでいます。日本では、原子力、水力、風力、太陽光、火力などさまざまな発電方法がありますが、どれも一長一短があり、完璧なエネルギー供給源とは言えません。そこで、海水に含まれるマグネシウムを抽出し、地熱を利用してエネルギーに変換する技術を開発しています。現在、国内企業との連携を模索しています。

この技術が安定的に供給されれば、日本国内でエネルギーを賄い、安全性も確保できるでしょう。同様に、鉱物資源が豊富なアフリカでもこのエネルギーを供給し、新たな雇用を生み出すことが期待されます。

ーーさまざまな事業を展開する中で、何が原動力になっていますか?

花井重勝:
社会に必要とされることに対して私自身、好奇心が強いのだと思っています。将来が見えにくい世の中で、先の時代を読むことを常に意識し、社会問題に対して解決できることはないかと日頃から想像力を働かせるのが私の仕事だと考えています。

アフリカの貧困解消と若者の未来への貢献

ーー将来のビジョンについてお聞かせください。

花井重勝:
まずは、現在進行中の2つの事業を完成させたいと考えています。多くの仕事において非常に重要なのは、弊社への信用を得ることです。その上で、アフリカなど、日本でいう義務教育に通えない子どもたちや、大学を卒業しても就職できない若者たちの生活水準を上げていきたいと思います。

ーー最後に20代に向けてのメッセージをお願いします。

花井重勝:
アフリカも日本も同様ですが、20代の若者には、自分の持つ知識を総動員して、世界で活躍してほしいです。もし今知識がなかったとしても、外国に行こうと決めたのであれば、生きていくために自分で勉強することが大事です。日本国内のことも大切ですが、どんどん海外とのつながりを持ってほしいと思います。

編集後記

花井氏のインタビューを通じて、彼が社会的意義を重視した事業展開を行っている背景には、深い洞察力と行動力があることがわかった。特に、アフリカの貧困問題やエネルギー開発に対する真摯な取り組みは、経営者としての高い志を感じさせる。花井氏のビジョンは単なるビジネスの成功にとどまらず、社会全体の未来を見据えたものであり、その姿勢には強い感銘を受けた。彼の今後の活躍と新たな挑戦に、大いに期待したい。

花井重勝/1940年大阪生まれ。1963年大阪工業大学建築学科卒業。1963年に株式会社日産建設入社。3年の修業期間を経て現場主任、大手企業社屋の建築。1970年、日本政府国策事業(海外資源取得開発)日本鉱業(現:JX金属株式会社)で3年間アフリカコンゴ民主共和国銅山開発工事に参加。1974年帰国後日産建設大阪支店管轄内も大阪市内事務所ビル工事担当工事係長、副参事東京本店勤務。1975年自己事業計画立案のため、日産建設退社。1976年、大伸工務店、大伸商事を設立。1992年両親介護のため、上記業務閉鎖廃業。1992年より自己開発特許業務に転業。2021年、脱炭素、新エネルギー開発特許研究において英国王室の工学研究者表彰を受賞。