※本ページ内の情報は2024年9月時点のものです。

電線ケーブル業界から医療業界への展開を図る三洲電線株式会社。「愛知ブランド企業」認定取得や「EOY2022 Japan 東海・北陸地区 アントレプレナー賞」受賞など、企業としての取り組みが評価される一方で、社長自身はがん闘病という試練も乗り越えてきた。波乱万丈の半生と、独自の経営哲学、そして医療機器開発による社会貢献への熱い思い。技術を核に、従業員一人ひとりの声を大切にしながら、新たな未来を切り開こうとしている同社の代表取締役社長、鈴木与志成氏にお話をうかがった。

逆境が育んだ独立自尊の精神

ーー当初、家業を継ぐことは考えていなかったとお聞きしました。

鈴木与志成:
全く思っていませんでしたね。大学では6年間遊んでばかりで、引きこもり寸前でした。そこから「今抜け出さないと、一生引きこもることになる」という恐怖心が芽生えました。リーマン・ショック直前の景気の悪い時期に事業再生のコンサルティング会社に就職し、社会人のキャリアをスタート。当時は厳しい環境で、スーパーで60円の食パンを買ってきてマヨネーズをつけて食べるという生活をしていました。一方で給料の大半を書籍代に使い、必死に勉強していました。

1年後には、プリント基板をつくる会社に、経営再建のために約3年間出向。そこで現場の生産ラインに入り、製造業としてのノウハウを学びながら納期や品質の改善など、できることはなんでも取り組みました。日々深夜まで残業をこなし、設備と設備の間で寝るような生活をしていましたね。そんな生活を続けている中、父親の製造業経営の苦労が身に染みて分かり、後継者として会社を守るべく三洲電線に入社を決めました。

電線業界から医療業界へ、技術を核とした新たな挑戦

ーー貴社に入社してからどのようなことに取り組みましたか?

鈴木与志成:
まずは3つの工場の中の1つである碧南工場で、新人の工場長と一緒に納期と品質の改善に取り組みました。その後、製造部長、専務へと昇進しました。

また、新規顧客の開拓にも力を入れました。社内の幹部と衝突することもありましたが「電線業界でトップになりたい」という気持ちが私を突き動かしたのだと思います。眠るのは2日に1度だけ。東京で明け方まで接待して、新幹線の始発で大阪に向かいプレゼンをして、夜はそのプレゼンをした社長を大阪で接待するという無茶苦茶な働き方をしていました。

ーー貴社はどのような経緯で株式上場を決めたのですか?

鈴木与志成:
無理をした結果として、私自身ががんを経験し、長い闘病生活が始まりました。その治療を通じて、弊社の社員や家族を路頭に迷わせるわけにはいかないと決意をしたのが全ての始まりです。上場により鈴木家個人の会社ではなく、パブリックカンパニーとなることで三洲電線が未来永劫存続する会社になると考えました。また、上場を目指すにあたって、さらに社員が働きやすい体制に変え、新たに入社する人たちにとって魅力的な環境をつくりたいと考えたのです。

ーー社内環境の整備について教えてください。

鈴木与志成:
社員の積極的な意見を取り入れて、職場環境の改善を図るべく、月に1回、提案制度を設けています。社員から職場環境の改善提案などを募り、表彰するのです。たとえば、「職場を整理整頓してより作業しやすい動線を確保した」という提案に対し、「作業効率が上がり、労災も減ることが見込まれる」といった評価をしています。良い意味で小さい会社なので、自分の意見を言いやすい環境だと思っています。自ら会社に参画できるような雰囲気をつくっています。

社員の声を力に、働きやすさと社会貢献の両立を目指す

ーー医療業界でも、貴社の技術を採用し始めましたね。

鈴木与志成:
これまで、生活を支える黒子のような存在として、自動車や、新幹線などに使われる電線ケーブルに関わる事業を手がけてきました。最近では、国内の手術支援ロボットの重要部位にも採用されたほか、カテーテルチューブの成形用芯材も高い評価をいただいています。

長年にわたり培ってきた線材加工技術をさらに深化させ、内視鏡用ワイヤーや手術用モニターのケーブルにも展開したいと考えています。将来的には、がんの初期段階であっても低侵襲治療ができるような器具の開発を進めたいと考えています。

ーー「愛知ブランド企業認定」取得などの効果や意義について聞かせてください。

鈴木与志成:
愛知ブランド企業認定は、会社として取り組んできた成果の一つです。この認定を取得したことで、地域に根ざした企業としての評価が高まりました。また、私個人としては「EOY2022 Japan 東海・北陸地区 アントレプレナー賞」を受賞したことが大きな経験となりました。社員のモチベーション向上にもつながり、社内環境の改善にも役立っています。これからも、働きやすい環境を整えながら技術を核に、社会に必要とされる企業であり続けたいと思います。

編集後記

鈴木社長の言葉からは、困難を乗り越えた経験に裏付けられた未来への強い意志が感じられた。がんを克服し、今では医療分野への進出を果たすまでに至った軌跡は、多くの企業人に影響を与えたことだろう。「独立自尊」を座右の銘とし、自らの手で未来を切り開いていく姿勢は、今後の日本企業のあり方を示唆しているように思えた。

鈴木与志成/1981年、愛知県生まれ。愛知学院大学卒業後、VTCコンサルティング株式会社に入社。サンタ軽金属工業株式会社(後に明興双葉株式会社が経営権を取得)に出向し、事業再生の業務に携わる。3年勤務の後、家業の三洲電線株式会社に入社。代表取締役社長に就任すると同時にがんを告知される。廃業か継続かの判断を迫られる中、家族や社員のために奮起。意欲的に事業拡大、株式公開を掲げ名証ネクスト市場を目指し、現在はN3-期(直前々々期)に入った。