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株式会社姫路メタルアートは、兵庫県姫路市に拠点を置き、建設用の金物製作や金属工事を手掛ける。創業者の後を継ぎ、2019年に代表取締役社長に就任した内海俊忠氏は、元プロボクサーという異色の経歴を持つ。競技で培った精神と肉体を活かし、社業に邁進する姿は注目を集めている。今回は、内海社長のこれまでの道のりと、企業の将来像について詳しくうかがった。

プロボクサーから社長へ、異色のキャリア転換

ーー姫路メタルアートに入社する前のキャリアを詳しく教えてください。

内海俊忠氏:
父が創業者で、私は「なんとなく継がなければいけないのかな」と思いながら関西大学に進学しました。しかし、就職を考える時期には建築の業界が伸び悩んでいて、父としても迷いがあったようです。「自分の好きな道に進みなさい」と言われ、メーカーのグローリー株式会社に就職しました。

広島支店で営業を担当していましたが、大きな組織の中で自分なりのやりがいを見いだせない中、少しずつ親の仕事が気になってきました。地元に戻れば所属していたボクシングジムでプロとして再起できるとも思い、2007年に姫路メタルアートへの転職を決めたのです。

ーーボクシングを始めたきっかけと、転職後に再挑戦した経緯をお聞かせください。

内海俊忠氏:
中学生のときに格闘技に目覚め、高校1年生から姫路木下ボクシングジムに通って、2年生からは所属のプロボクサーになりました。就職後もボクシングは続けていましたが、仕事のやりがいが見出せない中で、ボクシングへの情熱が再燃したのです。弊社への転職を機にいったんランクを落として復帰しましたが、すぐにA級ボクサーに戻れました。

ーーその後、なぜプロボクサーを引退して社長の道を選んだのですか?

内海俊忠氏:
ボクシングを続けていたのは、世界チャンピオンになりたかったからです。しかし、仕事との両立が難しく、年下の選手にKO(ノックアウト)負けし、世界チャンピオンになるにはボクシングに集中しなければいけないと分かったのです。

そのとき父から「社長という舵とり役になって皆を支えていくのは、ある意味世界チャンピオンになるよりも意義のあることだ」と言われ、プロボクサー引退を決意しました。会社の業務に注力し、営業の成績も増える中で、少しずつ社長になる自覚がついてきたのです。

ーー営業の成功エピソードで特に印象的だったことを教えてください。

内海俊忠氏:
専務だったとき、近隣の案件を、大阪を中心に活動している企業が落札しました。その企業の上層部の方が営業で訪れたとき、ちょうど社長である父が休みだったのです。そこで私が社長代行の気持ちで、駅までお迎えにあがり、弊社の社屋や工事中の現場の案内、懇意な料理店を紹介するなど、精いっぱいのおもてなしをしました。

すると、突然訪問されたにもかかわらず弊社のことを信用していただき取引につながりました。弊社の大阪進出が実現したのです。

「四位一体」で高める競争力、関西圏ナンバー1への挑戦

ーー貴社の事業内容と強みについて教えてください。

内海俊忠氏:
金属工事の設計・製作・施工を一体的に行っています。弊社の特徴は、営業担当がお客様と密にやりとりをして、施工管理も行うことです。新入社員はOJT(職場内訓練)で設計・製作・施工を学び、自ら施工管理を経験した後に初めて営業活動に従事するしくみで、私自身も社長になる前に経験させてもらい、力をつけてきました。

金属工事自体がニッチな業務ですが、さらにその中でも、製作部門に重きを置いている会社はあまりありません。設計する力、形にする力、そして現場の状況に合わせてハイレベルで取り付けをする力、どの部分でも高い技術が必要です。高度な知識と技術に基づいた設計、製作、施工に加えて施工管理と、「四位一体」の組織的な流れが実現できているのが弊社の強みです。

ーー現在取り組んでいる社内外の活動について教えてください。

内海俊忠氏:
父が目指していた「兵庫県内ナンバー1」はある程度達成に近づけたので、私は「関西圏ナンバー1」を目指して、現在は県外にも営業展開を行っています。

また、社内のコミュニケーション円滑化のため、毎年さまざまなイベントを開催し、親睦を図っています。また自社工場の技術面では、レーザーマシンを活用し、幾何学模様のデザインパネルを製作して外壁の意匠として取り付ける、「ART FACE(アートフェイス)」パネルを開発しました。

父への感謝を胸に、前向きに走り続ける決意

ーー今後の取り組みについて、どのような計画がありますか?

内海俊忠氏:
都市部を中心に、弊社の技術的な強みを活かせる外壁意匠パネル工事に力を入れた営業を進めます。このために、施工管理の知識がある営業担当の育成もあわせて必要です。また、既存技術では難しいお客様の要望を実現できるように、自社での技術開発に加え、他社とのタイアップも検討中です。「ART FACE」の改善も含め、よりオリジナル性の高いものを提供できるようにしたいと考えています。

ワークライフバランスの改善は今後の課題の一つです。仕事量を減らさずに実現するには、濃い営業活動と共に各自がゆとりの持てる体制への改革が必要だと感じています。また、自社工場は小回りがきき短納期を実現できる反面、多種多様な製作物や臨機応変な対応のために管理体制が一貫しないところがあります。この部分の改善は今後の課題です。

ーー採用において、特に重視するポイントを教えていただけますか?

内海俊忠氏:
コミュニケーション能力と自分を高める向上心を持てるかどうかです。お客様のご要望をうかがって、設計者の思いも聞いて、技術的に実現していく中で、たくさんの人とのかかわりが発生するからです。少人数でも運営できるように、体制をブラッシュアップして筋肉質な経営体制をつくりたいと考えています。

ーー社長に就任して5年ですが、これまでを振り返ってどのように感じていますか?

内海俊忠氏:
自分の判断で会社が動くことに対して重責を感じています。父は今は会長になっていますが、私が社長になって以来、ほとんど口を出してきません。おかげで、ときにアドバイスをもらいつつも、自分の判断の重要さを理解し、気持ちの上でも自立できました。父には本当に感謝しています。

私はまだ求心力の点で欠けるところがあり、人間磨きをしていかなければなりません。ただ、今振り返ると、ボクシングをしていた頃は、自分だけのことを考えていましたが、今は企業集団のリーダーとしての自覚を持ち、日々奮闘しています。ボクシングに本気で取り組むことで、前を向いて走っていく力を培えたことは、財産だと思っています。

編集後記

内海俊忠社長にとって、ボクシングの経験と父への感謝の気持ちがどれほど深く根付いているかが感じられたインタビューであった。その一方で、大阪進出やワークライフバランスの改善に言及する際には「父にはできなかったこと」とも力強く話す。受けとった恩への感謝を忘れず、前向きに新たな挑戦を続ける姿勢は、今後の経営にも大いに寄与していくと思われる。株式会社姫路メタルアートが関西圏ナンバー1になる日が楽しみである。

内海俊忠/1982年、兵庫県生まれ、関西大学卒業。グローリー株式会社に入社し3年後、2007年に株式会社姫路メタルアートへ転職。2019年に代表取締役社長に就任。