1985年に福岡県柳川市で創業し、事業転換を経て設立された株式会社ファインテック。「切る現場の課題解決」にこだわり、顧客のオーダーに応じてさまざまな産業用・工業用刃物や切断装置を製造してきた。代表取締役社長 兼 最高技術責任者(CTO)の本木敏彦氏に、起業までの歩みや会社の強みについてうかがった。
構造物の設計者としてーー歴史に残る大仕事を経て独立に至るまで
ーー社長の経歴をうかがえますか。
本木敏彦:
工業高校を卒業後、三井鉱山(現日本コークス工業)の関連会社である三井三池製作所に入社しました。鉱山開発では「立坑(たてこう)掘削」(垂直に掘られた坑道のこと)という工事において地下300〜900mに及ぶ縦穴を掘ります。私は設計者として、そこで使用するゲージ(人や資材を載せるエレベーターのこと)を釣り下げる櫓(やぐら)などの「構造物」と呼ばれるものを設計していました。
13年にわたる勤務では、上越新幹線や青函トンネルの工事そして池島炭鉱の櫓の設計に携わりました。最後の2年間は、横浜ベイブリッジの基礎工事で使用する仮設櫓の設計を担当させてもらい、充実した技術者人生を過ごさせて頂きました。
ーー起業の意志はいつ頃からあったのでしょうか?
本木敏彦:
私は大きな会社で身に余る仕事をさせてもらいました。しかし学歴が重視される時代において出世には限界がありました。そこで、兄の勧めで独立したのです。
父は自営業者として、日本政府が管理する米保管倉庫業を経営していました。しかしながら、私が4歳の頃に約60㎏の米俵が頭上に降ってきて亡くなってしまったのです。それからの暮らしは貧乏だったので、苦労はしました。しかし、父が自営業者だったように一家の中に起業家のDNAがあったこと、そして母一人で4人の子どもを育ててくれた背景があったことが、私だけでなく長兄や次兄も起業したのだと今になっては感じています。
「下請け」じゃなく「メーカー」になるしかない――刃物を極める決意
ーー事業の変遷を教えてください。
本木敏彦:
半導体の金型部品メーカーとして創業してから2年間は赤字続きでした。しかし大手企業から依頼を受けて、超硬合金製の刃物を量産し始めてから黒字化していきました。超硬合金はダイヤモンドに次ぐほどの硬さを持っているため、耐摩耗性に優れる一方で脆さもある素材です。その特性を活かしつつ、刃こぼれしにくい形状をつくり込む刃物づくりは極めて難度が高い仕事です。しかし弊社の加工技術力でそれを克服し、当時から大量に刃物づくりを始めました。
ーー現在の成長につながる転機があったのでしょうか。
本木敏彦:
創業23年目の2008年にリーマン・ショックが発生し、仕事が7分の1にまで激減しました。岐路に立った私は「世界に冠たる会社をつくる」という創業時の誓いを思い出し、新たなビジョンとして「世界一の産業用刃物メーカー」を目指すことを社内外に発表しました。そのおかげで今ではシングルナノメートル単位での加工技術と刃物づくりのノウハウを構築することができました。未来に向けて下請けという立場から脱却し、他社にはない刃物づくりに特化した技術を売っていこうと考えたのです。その結果、2009年10月の決算と比較すると、現在の売上は約8倍に伸びました。
「切断学」を提唱し、モノを切り離す道具に新たな機能性を
ーー会社の強みや独自性について聞かせてください。
本木敏彦:
会社の危機を経験することで私はお客様が求めているのは刃物ではなく「切断面の品質」だと気付きました。刃物に機能性を持たせれば、切断時に生じるバリやヒゲ、ゴミのほか、仕上がりにおけるさまざまな課題を解決できることを発見。このことが弊社の大きな強みとなりました。
刃物は品質の高さが求められる一方で、世の中では「切れる」のメカニズムの解明がほとんどなされていません。刃物はモノを切り離すだけのツールだとしか考えられていないためか、研究者がほとんどいません。私たちは「切断学」という学問をつくり、その必要性を世に広めることで「モノを切る世界」を変えられると信じています。現場で苦労している人たちの役に立ち、人類をさらに豊かにすることが会社の存在意義だと考えています。
「切断学」を用いれば一発で理想的な切断面を提供できるようになるはずです。そうすると、トライ・アンド・エラーを繰り返していたあらゆるコストも削減できます。「生産性の劇的な向上」を表現するべく「切断革命」というフレーズを商標登録して、会社のPRにも活用しています。
――「切断面の品質」に着目してからの周囲の変化をお聞かせください。
本木敏彦:
刃物を1万倍に拡大すると刃先には凸凹があり、決して尖ってはいません。弊社では先端を丸くなめらかにすることで凸凹をなくす技術をいち早く開発し、切断面の品質を向上させました。切断面の美しさにここまでこだわる会社はめずらしく、海外の大手企業からも問い合わせが増えるようになりました。
約250万年前に人類が初めてつくった道具が刃物であり、刃物を使うことで人間の行動や文明は発達しました。「人類に貢献してきた刃物に、これからは私たちが貢献しよう」と啓蒙活動を続けた結果、九州の国立大学の先生が学会で「切断学」を取り上げてくださいました。
尽きない探究心で医療分野にも進出
ーー今後の展望を教えてください。
本木敏彦:
「創立50周年までに世界に7つの工場をつくる」という構想があります。「切断学」の広まりは、「柳川市を刃物の研究都市にしたい」という夢にもつながっていきます。柳川は観光のまちでもあるので、観光事業と連携して研究を進められるといいですね。
現在私はCTO(最高技術責任者)として医療用刃物の開発にプロジェクトチームを社内に作って全力を入れて取り組んでいます。この医療用刃物も素材は超硬合金製で刃先はナノ単位の加工技術が求められる超精密な刃物です。来年の年初に市場に出します。既にこの刃物は医療現場の先生方から大きな評価を得ていますので医療現場の課題解決に大きく貢献できると信じています。
年齢やキャリアを問わず、「切断学」をともにつくり上げていく仲間も募集しています。「いつか必ず世界から認められる会社をつくる」という夢に共鳴していただける方はぜひ弊社にお越しください。
編集後記
社会情勢による会社の窮地にも冷静に応じ、「切断技術を極める」という新たな道を切り開いた本木社長。大きな責任から逃げない胆力は、人命を左右する大きな仕事を担った設計者時代に培ったのだろうか。製品開発の追求を学問にして世に広めるという発想も非常に斬新だ。独特とも言えるファインテックの存在感を世界は無視できないだろう。
本木敏彦/1953年生まれ。福岡県柳川市出身。1971年、福岡県立大川工業高等学校(現大川樟風高等学校)機械科を卒業。株式会社三井三池製作所に入社し、13年間設計に従事したのち1984年に退職。1985年、ファインテックを創業。代表取締役兼最高技術責任者(CTO)として技術や知識の伝承にも注力している。