奈良の地で万葉の時代から1300年もの歴史を刻んできた三輪そうめん。連綿と受け継がれてきたこの伝統食品は、夏の食卓に上がるメニューとして、お中元などの贈答品として広く親しまれている。しかし、現代の急速に変化する生活スタイルや環境の中で、この伝統を未来へつなぐことには多くの課題が存在する。
1933年の創業以来、この三輪そうめん一筋に製造・販売を続けてきた株式会社マル勝髙田商店は、「伝統とは守るだけでなく、挑み続けること」と考え、そうめんを未来へ継承し、持続させるためのさまざまな改革に取り組んでいる。今回は代表取締役社長の髙田勝一代氏から、同社が挑み続ける革新について話をうかがった。
「このままでは生き残れない」改革に至るまでの経緯
ーーまずは家業を引き継ぐまでの経緯をお聞かせいただけますでしょうか。
髙田勝一:
生まれたときから、家が事務所であり店舗であり倉庫でもあり、会社と家が一体となった環境で育ちました。そのため、自然とゆくゆくは自分がこの会社を引き継ぐことになるだろうと感じていました。
大学卒業後、すぐ家業に入るのではなく、修行の意味で弊社の得意先でもある伊藤忠食品株式会社(当時は松下鈴木株式会社)に入社しました。当初は2〜3年の予定でしたが、結果的に8年間在籍し、小売店への酒類の卸営業を担当しました。
ちょうど酒類小売業の免許制度が規制緩和されるタイミングで、売上も伸びて仕事が非常に面白く感じたのを覚えています。営業だけではなく、小売店が廃業した際の商品や代金の回収も経験し、与信の重要性や財務に関しても学ばせていただきました。
また、松下鈴木が名古屋の会社と合併して伊藤忠食品に変わり、その後上場するなど、会社の変化に立ち会えたことも貴重な経験でした。後半は、新設された主力のギフト事業部門に配属され、最後の一年は東京での業務も経験することができ、とても多くのことを勉強させていただいた8年間でした。
ーー修行から戻られた経緯や、社長就任後のご苦労について教えてください。
髙田勝一:
修行から戻るきっかけになったのは、三輪そうめんの産地偽装事件でした。JAS法の改正に伴い、九州で生産したものを三輪そうめんとして販売していたケースが摘発され、産地全体に激震が走りました。そのとき、当時の社長である父から、「会社の大変なときを経験しておけ」という教育的な意図で呼び戻されたのです。当時は非常に厳しい状況でしたが、結果的には良い経験でした。
その後、2007年に父が体調を崩したこともあり、急遽社長を引き継ぎましたが、経営的な引き継ぎはほとんどなく、資金の調達なども手探りで進めなければなりませんでした。
私はとても心配性な性格ですが、当時の会社の現状を見て、「このままでは生き残れない」と強く感じたのをよく覚えています。修行中に学んだ卸売企業の感覚を活かして自社を客観的に見ると、たとえばお中元市場などの衰退が明らかな問題点であることが浮かび上がりました。
そこで、事業を未来へ持続させるためには、市場、環境、そして社員の意識改革が必要だと考えました。同じものを同じように売り続けるだけでは、値下げ競争に陥るしかありません。市場を変えるためには環境を変える必要があり、さらに何より社員の意識を変える必要があると痛感したのです。
生産効率改善と意識改革 そうめんの固定観念を打破する挑戦
ーーそうめんの固定観念を変えるために、どのような改革を実施しましたか?
髙田勝一:
最初に取り組んだのは、社員の意識改革と働く環境の改善でした。産地偽装問題をきっかけに、自社生産量を上げるためにまず工場のシフト体制を大幅に見直しました。従来のそうめん工場は大規模な家内製工業のようで、残業が多く厳しい労働環境でした。
当時は、昔からの方法でそうめん製造の10工程を全員で追いかけていたのですが、工程を全て分業にすることで、残業を削減し、人手がかかる工程をパート社員が働きやすい時間帯に設定するなど、工場の稼働効率を向上させました。
また、製造方法と同様に昔のままだった職人意識が強い現場を、分業化により作業標準に基づく効率的な現場に変え、工程を見える化して評価にも反映することで、社員の意識は大きく変わりました。
しかし、社員の意識改革は進んだものの、売上や新規取引先の獲得など業績面では変化が見られませんでした。そこで老朽化が進んでいた社屋を、旧社屋のアットホームな雰囲気は残しつつも、「おしゃれな家」をコンセプトに建て替えました。
これも一つの要因として、優秀な若手人材を集めやすくなったと思います。新しい社屋という環境改革が社員のモチベーションを高め、会社が新しいステップへ進む原動力になりました。
また、新社屋に合わせて店舗や商品も刷新しました。店舗は内装の質感にこだわり、おしゃれでカジュアルなイメージに仕上げています。商品についても、お洒落なイメージが必要だと考え、だし汁や薬味と一緒にそうめんを楽しんでもらうため、パッケージをシリーズ化してお客様に選ぶ楽しみを提供しました。
さらに、季節限定商品を提案し、年間を通じてそうめんを楽しんでいただける仕組みを構築したことで、市場に大きな変化をもたらすことができました。結果として、想定以上の反響をいただいたことは大きな自信となっています。
次世代工場と全国展開を見据えた新たな戦略
ーー今後のビジョンについてお聞かせください。
髙田勝一:
業界自体は斜陽産業で廃業する会社も多い中、弊社はM&Aで規模を拡大し、三輪そうめん全体の生産量を維持しています。将来的には、第2、第3工場を建設してさらに増産したい考えです。
同時に、現在、そうめんだけでなく多彩なメニューで好評をいただいている店舗を全国展開するつもりです。質感やスタイルにこだわり、外食の高級感を味わえる、おしゃれでありながらカジュアルな雰囲気を持つ店舗を目指します。それによって、そうめんのイメージも変えていきたいですね。
工場については、既にFSSC22000の認証を取得し、国際基準の品質に取り組んでいますが、第2工場にはDXやAIを取り入れて、高品質なものを大量生産できる工場にしたいと考えています。また、高品質であるだけでなく、自分たちのこだわりをしっかり表現して伝えられる製品づくりを目指します。そして、次の世代を育てることで、SDGsにもしっかりと対応し、持続可能な未来を見据えた会社運営を進めていきたいと考えています。
編集後記
髙田社長の話から伝わってきたのは、三輪そうめんに対する深い愛情と、伝統を未来に繋ぐための決意だ。時代に合わせて変わり続ける勇気と、社員や消費者への温かい配慮が随所に見られ、改革の一つひとつに強い信念が感じられた。1300年の歴史に甘んじることなく、常に挑戦を続ける姿勢が、三輪そうめんの未来を切り拓いていくのだろう。
髙田勝一/1972年生まれ。1995年、関西大学商学部卒業、伊藤忠食品株式会社入社。2003年、株式会社マル勝髙田商店入社。2007年、同社代表取締役社長就任。