牛乳が家庭の食卓に取り入れられるようになったのは、大正時代だと言われている。それまでの牛乳は、病人に与える薬のように扱われていた。第二次世界大戦後の高度経済成長期になると、食の西洋化によって牛乳の需要は一気に高まった。
株式会社いかるが牛乳は、1923(大正12)年に「鵤牧場」として創業以来、牛乳の製造販売に携わってきた老舗の会社だ。「健康への使命感・開拓魂・初心忘れず」を経営方針として、現在も学校給食やスーパーなどの量販店、販売店を中心に牛乳や乳飲料の販売を行っている。代表取締役社長である鵤照氏に、同社の事業について話をうかがった。
商品が売れていたからこそ起きた「不払い運動」
ーーまずは社長のご経歴を教えてください。
鵤照:
弊社は大正12年に創業した同族経営の会社です。私が子どもの頃はまだ牧場を経営していて、牛と一緒に遊んだ記憶があります。こういった環境で育ったこともあり、自然な流れで会社の事業に馴染みました。
大学卒業後は、千葉県の古谷乳業(株)で修業したのち、24歳で株式会社いかるが牛乳に入社しました。営業、工場の現場全体を経験し、その後、常務取締役や専務取締役を経て社長に就任しました。社長に就任して、今年で6年目です。
ーー貴社に入社してから今までで印象に残っている経験を教えてください。
鵤照:
入社したばかりの頃、営業職として経験した出来事が印象的でした。当時は牛乳宅配販売店と牛乳を扱う卸し問屋の商圏がバッティングするという問題が起きていました。
同じ商品を牛乳宅配販売店では高く売る、卸し問屋は商店街の小売店で安く売る。宅配と店売りの違いを説明してもわかってもらえない。縄張り争いのようになり、販売店からの不払い運動や団体交渉の調停が主な仕事でした。商品が売れていたからこそ起きた出来事ですが、振り返ってみるとすごい時代だったと思います。
食の安全を第一に考え、社会貢献と利益の両立を目指す
ーー貴社の事業内容について教えてください。
鵤照:
牛乳や乳飲料、ヨーグルトなどのデザート、コーヒーを始めとする清涼飲料などの製造・販売をしています。昔は自社で牧場を持っていましたが、今は公園になっています。ですから、他の酪農生産者が搾乳した生乳を購入し、弊社の工場で品質管理や殺菌処理、容器への充填を行って販売しています。販売先は、主に量販店、販売店、学校給食や病院給食などです。
ーー事業を行うにあたって、どのようなことを大切にしていますか。
鵤照:
常に安全第一を考えています。製品事故を起こさない様、工場設備の更新は定期的に行い安全確保に努めています。また社員教育により殺菌機や充填機などの機械、電気の構造など知識を深めることで製品事故をなくすことにつながる。従業員一丸となって安全第一にチャレンジしています。
牛乳は広く流通する大衆的な製品なので、弊社の事業にも社会貢献的な側面が求められます。安心・安全な製品を販売して社会に貢献することと、企業として利益を上げることを両立させていきたいです。
リーズナブルな機能性表示食品の開発が目標
ーー貴社ではどのような人材を求めていますか。
鵤照:
製品の品質管理と商品開発ができる、二通りの人材を求めています。日々の生産工程には必ず必要な品質管理と将来の経営拡大に必要な商品開発、この二部門の人材を求めます。
営業職においては、たとえばスーパーマーケットなど市場では何がよく動いているか情報収集ができ、またスーパーのバイヤーから情報を引き出しその情報を基に商品開発に落し込みが出来る人材。商品開発と営業がお互い切磋琢磨し一つの商品を作り上げてほしいですね。
ーー最後に、今後のビジョンを教えてください。
鵤照:
今後はスーパーなどの量販店との取引を、さらに伸ばしていきたいと考えています。スーパー側は恐らくプライベートブランドのような、安価な価格で販売できる商品がほしいと考えていることでしょう。けれども、弊社がつくりたいものはただ安価な商品ではなく、「リーズナブルな商品」です。
「リーズナブル」という言葉は、ただ「値段が安い」という意味ではなく、「価値あるもの」という意味を持っています。私たちが考える価値あるものやおいしいものをつくって、ブランド力を強化していきたいと思います。
具体的には、乳酸菌を使った機能性食品を伸ばしたいです。日本人が好きな甘酸っぱくて飲みやすい、乳酸菌飲料や飲むヨーグルト。嗜好品ではなく常備品のようにリーズナブルな健康食品を考えています。
私は、商品が売れるにはさまざまな条件が重なるタイミングが大切だと考えています。どれだけ優れた商品をつくったとしても、条件が整わなければヒットしません。絶妙なタイミングで商品を販売して、弊社のヒット商品をつくりたいと思っています。
編集後記
鵤社長の父上は、戦後間もない頃、アメリカ進駐軍からコーヒーかすを譲り受けてコーヒー牛乳をつくったという。物のない時代において、非常にチャレンジングな試みだったと言える。そのチャレンジ精神を受け継いで、新商品の開発に意欲を見せている鵤社長。安全と健康に配慮した新たな乳酸菌飲料が、私たちの食卓に姿を見せる日が楽しみだ。
鵤照/1951年、大阪府生まれ。1974年、京都産業大学法学部卒業、古谷乳業株式会社入社。1975年、株式会社いかるが牛乳入社。1985年、常務取締役就任。1999年、専務取締役就任。2018年、代表取締役社長就任。