「木桶仕込み」という醤油の製法がある。文字通り、木製の桶の中に大豆や小麦、塩などを入れて発酵させて醤油をつくる伝統技術だ。温度変化や木桶の表面に住み着く微生物によって発酵するまでの時間や味わいが変わる、非常に奥深い技術である。
笛木醤油株式会社は創業から200年以上もの間、木桶仕込みの醤油をつくり続けてきた。「金笛しょうゆパーク」や「木桶バウム工房」をオープンするなど、インバウンドの誘致にも貢献している。同社が目指す木桶仕込み醤油の未来とはどのようなものなのか。代表取締役社長でもあり醸造家でもある笛木正司氏(12代目当主 笛木吉五郎氏)に、事業に対する思いなどをうかがった。
「この醤油を未来につなげ」ルームメイトの言葉で家業を継ぐことを決意
ーー社長に就任されるまでの経緯をお聞かせください。
笛木吉五郎:
11代目笛木吉五郎(豊彦氏)の息子として生まれた私は、小さい頃から「醤油屋を継げ」と言われてきました。しかし、家業を継ぐのが嫌だった私は、明治大学の商学部に入学し、その後、国際協力の分野で就職を考えて、アメリカのジョージ・ワシントン大学に留学したのです。
留学中に、ルームメイトが日本食のスーパーで弊社の醤油を発見して、私にメールをくれたことがありました。それは、そのときすでに故人であった父が「日本の伝統的な木桶仕込みの醤油を世界に届けたい」と願って輸出していたものです。
ルームメイトに「この醤油を未来につないでいくことが、お前のミッションじゃないか」と言われて鳥肌が立ちました。世界に飛び出し家業から離れたはずが、反対に自分のルーツに気づくことになったのです。その後、2006年に笛木醤油株式会社に入社。10年間醤油づくりについて学んだのち、2017年に社長に就任しました。
亡き父の遺志を継いで「金笛しょうゆパーク」をオープン
ーー社長に就任されてからの苦労はどのように乗り越えましたか。
笛木吉五郎:
私が社長に就任した当時、会社のコンディションは良好とはいえませんでした。新しいことにチャレンジしない社風になっていて、私が何かやろうとすることに対してことごとく反対されるのです。最初の1年ぐらいは何も成果が上がらず、本当に焦りました。そこで、先輩経営者の方に相談に乗ってもらったところ、「笛木君のやりたいことをやった方がいいよ」とアドバイスされ、ようやく肩の荷がおりました。
自分がやりたいことは何かと考えたときに思い浮かんだのが、「親孝行がしたい」ということです。父は、「自分たちがつくった醤油を自分たちでPR・販売していきたい」と考えていました。そこで、2019年の創業230周年記念事業として、オープンファクトリー「金笛しょうゆパーク」をオープンしたのです。
「金笛しょうゆパーク」では、「食べる」「学ぶ」「買う」「遊ぶ」の4つのテーマが楽しめます。オープンに当たっては社員からの反発や、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行の影響もありましたが、幸運なことに、コロナショックが明けると、「車で行ける観光スポット」として取り上げてもらうことができ、今では年間7万人以上が来場しています。
伝統的な製法を未来に伝え、300年続く会社にしたい
ーー会社経営において、どのような考え方を大切にしていますか。
笛木吉五郎:
「日本一、笑顔をつくる醤油蔵」が、私自身の使命・ミッションだと考えています。私は祖父が醤油づくりをしている姿を見て育ちました。今も残っている祖父の写真は、どれも笑顔のものばかりです。「仕込み蔵の中では、いつも笑顔でいなさい」というのが、祖父の代からの家訓の一つでした。つくる人が笑顔でいることで、醤油を発酵させる酵母菌も働きやすくなる、というのが祖父の考えです。この考えを引き継いで、働いている人やお客様、地域の方々が、1人でも多く笑顔になれるように努めたいと考えています。
実は、私は「醤油」のようになりたいのです。醤油は単体で飲むことはできませんが、食材の味を引き立てたり生かしたりする存在として400年以上の歴史を持ち、現代まで生き残ってきました。私自身も、この会社で働く約60人の人を活かす醤油のような存在になりたいと思います。そして、「12代目の笛木吉五郎は、いい経営者だった」と言われたいですね。
ーー最後に、今後注力したいことや将来の展望を教えてください。
笛木吉五郎:
新商品の開発や販路の拡大に力を入れたいと考えています。
代理店を経由した卸事業は、弊社の売上の中で大きなウエイトを占めています。この売上をしっかりと伸ばしていくためにも、新しい商品を開発したり、既存の主力商品をリブランディングしたりすることを考えています。その上で商社の方と協力して、新しい販路を開拓したいですね。海外への輸出も視野に入れています。
また、伝統的な木桶仕込みの醤油づくりを次の世代に伝えることも重要です。実は、木桶仕込みでつくられた醤油は、日本全体の醤油生産量のわずか1%以下しかありません。この伝統的な製法を伝えていくことが、弊社の事業の柱だと考えています。
今後も過去・現在・未来をしっかり意識しながら、300年続く会社になれるように事業に取り組んでいく構えです。
編集後記
醤油づくりができることに対する感謝の気持ちを、お客様に伝えたいと語る笛木社長は、新規事業の開発にも意欲的だ。「木桶バウム」や「スイーツにかけるしょうゆ」など、オリジナリティ溢れる商品を販売しているところが魅力的で面白い。「伝統的な技術を未来に残す」と「独創的な新商品を開発する」という2つの異なる方向性を融合させた化学反応は、これからも多くの人の笑顔を生み出すことだろう。
笛木正司/1980年、埼玉県生まれ。明治大学卒業。2006年に笛木醤油株式会社に入社。10年間醤油製造現場を経験し、2017年に代表取締役社長に就任。埼玉県物産観光協会副会長、小江戸川越観光協会理事として地域観光にも注力している。