木材の可能性を追求し続けるナニックジャパン株式会社。ウッドブラインドやウッドシャッターを扱う同社は、輸入代理店からスタートし、いまや独自の技術開発で材料の加工から組み立てまでを一貫して国内で行っている。
現在は、日本の森林資源を活用した持続可能な製品づくりに注力している。住宅や商業施設、オフィスビルなど、多様な空間に木のぬくもりと機能美をもたらす同社の取り組みについて、代表取締役の甘露寺信房氏にうかがった。
アメリカ滞在中に生まれたビジネスアイデア
ーー創業の経緯をお聞かせください。
甘露寺信房:
私は1963年に慶應義塾大学を卒業後、外資系の大手企業に入社しました。その後、半導体製造装置メーカーに移り、製品開発から市場開拓、マーケティング・セールス全般を担当しました。1978年にはそのメーカーの米国法人を設立し、社長を務め、その後東京本社に戻って常務取締役営業本部長を務めていましたが、会社の成長を見届け、一度リタイアを決意したのです。
アメリカに住んでいた時期が長く、そのときに日本とアメリカの住宅環境の違いを強く感じたのです。日本はアルミのブラインドが主流でしたが、アメリカではウッドブラインドが身近にありました。
そこで「日本でもウッドブラインドを販売できるのではないか」と考え、1996年にナニックジャパン株式会社を設立し、ハイテクからローテクの世界に転身しました。最初は4、5人でスタートし、アメリカ製品の輸入代理店としてビジネスを始めたのです。
ーー創業時に大切にされていた考えを教えてください。
甘露寺信房:
私が常に大切にしているのは探求心です。新しいことに挑戦する際、どうすればうまくいくか、常に考え続けることが重要だと思っています。
たとえば、シリコンバレーに進出する日本企業の多くが1年後には撤退してしまう中、私たちが成功できたのは、この探求心があったからだと考えています。この姿勢は今でも変わっていません。常に「こうすればもっとよくなるんじゃないか」と考え続けることが、私たちの成長の源になっているのです。
困難を乗り越え、国産化へ舵を切る
ーー事業内容と貴社の強みについてお聞かせください。
甘露寺信房:
弊社はウッドブラインドやウッドシャッターに特化した専門メーカーです。ウッドブラインドは、単なる遮光製品でなく、スラット(羽根)の角度を変えることで、視野や明るさの調整、風の調節など、多様な機能を持っています。またアルミと異なり、室内に木のぬくもりや上質感をもたらしてくれるのです。そして、これらの機能を高い品質で実現することが私たちの強みとなっています。
特に強調したいのは、一貫生産体制を確立していることですね。部品を輸入して組み立てるのではなく、原材料の加工から製品化まですべての工程を自社で行っているので、品質管理はもちろん、お客さまの要望に応じたカスタマイズも可能です。
また、国産材の活用にも力を入れており、サステナブルな資源である木材を使用することで、環境にも配慮した事業展開を行っています。日本は世界有数の森林大国であり、この資源を有効活用することが重要だと考えているのです。
ーー創業時にはどういった困難がありましたか?
甘露寺信房:
創業当初は、日本市場にウッドブラインドを知ってもらう難しさがありました。日本人にとって、ブラインドは上げ下げするものという認識が強く、スラット(羽根)の角度を変えるという本来の使い方の違いを理解してもらうのに苦労しました。
また、海外から製品を輸入していたころは、納期遅延で顧客の信頼を失いかけたこともあります。こうした出来事をきっかけに日本での生産を決意し、スラットの駆動機構から開発を始め、約2年かけて国産化への道を開きました。
今振り返ってみると、こうした困難は、実はチャンスだったと思います。ピンチをチャンスに変える努力をしたことで、より強い会社になれたのです。今では、困難を乗り越えた経験が私たちの大きな財産となっています。
国産材の活用がもたらす、持続可能な未来
ーー求める人材像について教えてください。
甘露寺信房:
弊社が求めているのは、自分の得意分野を伸ばせる人材ですね。学校の成績がすべてAである必要はありません。何か一つ、自分の中で秀でているものを伸ばしていってほしいと思っています。また、仕事に対する充実感を持てるかどうかも重要視しています。
人生の中で大きな割合を占める仕事が充実していなければ、幸せな人生とはいえません。自分の得意なことを仕事にできれば、自然と充実感も生まれるはずです。そういった意味で、弊社は社員一人ひとりが自分の適性を見出し、伸ばしていけるような環境づくりを心がけています。
ーー社長の夢や今後の展望についてお聞かせください。
甘露寺信房:
私の夢は、社員一人ひとりが会社とともに成長していくことです。サステナブルが注目される中、ウッドブラインドの需要は今後も増加していくでしょう。その需要に応えるために、会社も成長を続ける必要があります。会社が発展するにつれて、社員もどんどん成長していくような好循環ができたら嬉しいですね。
また、今後は国産材の活用をさらに推進したいと考えています。天然素材である木の温かみと弊社の技術の融合により、快適で環境にやさしい生活空間をつくる。そんな製品を世に送り出し続けることで、社会に貢献していきたいと思います。
編集後記
甘露寺社長の言葉には重みがあり、困難を乗り越えてきた自信があふれ出ていた。特に印象的だったのは、社員の個性を重視する姿勢だ。「何か一つでも秀でたものがあれば」という言葉は、多くの人を勇気づけるだろう。木のぬくもりが伝わる甘露寺氏の言葉に、温かな充実感を覚えた取材だった。
甘露寺 信房(かんろじ のぶふさ)/1963年、慶應義塾大学卒業。1963年〜1969年、日本アイ・ビー・エム株式会社勤務。1969年、株式会社ディスコ(旧名、第一製砥所)にて半導体製造装置の製品開発から市場開拓、マーケティング・セールス全般を担い、1978年、米国法人ディスコ社を設立し社長に就任。1987年、ディスコ東京本社にて常務取締役営業本部長を務める。1996年、ナニックジャパン株式会社を設立し、代表取締役に就任。