
近年、働き方に対する価値観が大きく変わり、企業は人材の確保と教育に悩む場面が増えている。時代に即した制度を整備すれば、従業員は希望通りに働きやすくなり、企業は安定した雇用を確保できるため、両者にとって利益が一致する。しかし、現実には簡単なことではない。
美容室の運営や商品などの販売を手掛ける株式会社田谷(TAYA)の代表取締役社長である中村隆昌氏も、人材流出問題の解決に向けて意欲的に改革を進めている。今回は中村氏に、時代に合わせた人材戦略や事業展開について話を伺った。
美容師経験がなくても、経営能力を磨いて社長に就任
ーー社長に就任するまでの経緯をお聞かせください。
中村隆昌:
入社当時、私は美容師としてではなく、営業部での採用でした。当時の弊社は株式の店頭公開を控えて大卒採用を強化していた時期だったため、美容師経験がない人でも積極的に採用していたのです。1996年に入社して営業部に所属し、約5〜6年にわたって、マネージャーとして本社と現場の意見をつなぐ役割を担いました。
その後、現在の弊社会長がニューヨーク支社から帰国するタイミングで社長室を立ち上げることになり、そこで私は経営の基礎を学ぶ機会を得ることができました。それを契機に、大阪エリアの統括を担当する支社長や人事、経営企画などを任されるようになり、最終的には管理部門の統括を経て取締役に就任しました。社長に就任したのは、その1年後です。
ーー社長に就任して、特に注力したことは何ですか?
中村隆昌:
新型コロナウイルスが大流行している真っただ中だったので、会社は過去最大級の危機を迎えていました。資金繰りの悪化が進む中、創業者と相談して、上場した年に建てた本社ビルを売却し、銀行への返済などを進める決断をしました。
その後、次のステージに向けた転換点として、DXの推進に取り組みました。それまでは紙の書類や伝票を使っていましたが、デジタル化を進めることで作業の効率化を図り、従業員の負担を軽減することに成功しました。
また、これまで弊社は集客の手法として割引を中心に行っていましたが、低価格路線では固定客を獲得するのが難しいと考え、付加価値の提供へと方針転換しました。デジタル化の流れを顧客サービスにも活用し、ポイントサービスを導入して値引きをしなくても選んでいただけるような付加価値をお客様に提供しています。
今の時代に合った働き方とサービスを提供する社内改革

ーー美容師としての働き方において、貴社ならではの特徴や強みをお聞かせください。
中村隆昌:
働き方改革やダイバーシティが注目される中、これまでの弊社の取り組みでは人材面での対応が難しくなってきました。特に、美容師としてキャリアアップしたい従業員がフリーランスを選択する傾向が強まり、人材流出という課題が常にありました。
フリーランスは美容師にとって収入面で大きな魅力があります。企業で働く場合は固定給ですが、フリーランスの場合は売り上げの何割かを手取りとして受け取れるため、高収入を目指せる良い人材ほど辞めてしまいがちです。
弊社は、2年間下積みをした後に、デザイナーとしてデビューできる教育システムを導入していますが、フリーランス美容師の台頭により入社しても数年以内に退職するスタッフが多かったのです。
これを改善するため、弊社では自社グループ内で業務委託サロンを展開することにしました。美容業界で直営、フランチャイズ、業務委託の3業態を同時に手掛けている企業は少ないのが実情です。
弊社では、まず直営店で働きながらスキルを磨き、実力をつけた後に業務委託サロンに転籍して報酬を上げ、さらに本人の希望があれば直営店に戻ることも可能にする、という流れをグループ内で完結できるようにしています。
このシステムなら、弊社を離れなくても希望する働き方が実現できるので、従業員にとって選択肢が増えます。このようにして、人的資本経営をベースにした、従業員のキャリアパスの充実に力を入れています。
ーーブランド力を強化するために、どのような取り組みをしていますか?
中村隆昌:
弊社はもともと8つのブランドにて店舗を展開していましたが、現在はTAYAブランドに集約しました。しかし、そのTAYAブランドも時代と共に顧客の70%が50歳以上という状況となっていました。そこで、今まで通ってくださっているお客様はより大切にし、さらに新たな世代のお客様を獲得するため、創業60年を契機に、ブランドのイメージを一新するリブランディングに着手しました。
そして、美容室の主力サービスであるカット、パーマ、カラー、トリートメントだけに頼るのは、将来の成長に限界があると考えた結果、新たな付加価値として、他社と提携して髪をボリュームアップするウイッグの販売やエクステのご提案を始めました。これにより弊社は、今まで美容室では取り組んでいなかった「髪を増やす」という付加価値を提供できるようになりました。
美しさに対する価値観が多様化した現代において、より多くの「美しくなりたい」というご要望を解決しお客様に寄り添う新しい美容室として進化したのです。これからも常にサービスの範囲を広げながら、従来のサービスに新たな価値を加え、トータルビューティーカンパニーとしての方向性を定めていきたいと思っています。
働きやすい環境を整え、海外も見据えた事業展開へ

ーー今後の展望や方向性についてお聞かせください。
中村隆昌:
直営サロンのリブランディングを着実に進める一方で、業務委託サロンは3年後を目標に直営店と同等の店舗数に拡大し、事業の2本柱として両立させる計画です。また、メンズ特化型や高級路線の直営店を増やすとともに、業務委託サロンの環境整備を進め、フランチャイズ展開も視野に入れています。これらの基盤が整えば、海外展開にも挑戦したいと考えています。
弊社は上場企業として安定した働きやすい環境を提供してきましたが、今の時代、その強みだけでは通用しません。若年層の流出を防ぎ、弊社に就職すれば美容師として長く働き続けられるようなキャリアパスを整備していく計画を立てています。その結果、会社の利益が向上し、その分社員に還元する仕組みを実現させることが私の目標です。
さらに、一番大切なのは弊社に入社したいと思ってくれる人材を増やすことです。そのために美容学生に響くリクルート活動を心がけています。従業員が活躍する姿に後輩たちが憧れるような環境を整備し、その循環を生み出す仕組みを形にしていきたいと思っています。
編集後記
働き方の多様性が求められる現代において、会社と従業員の利益を同時に追求する社内改革は、理想的でありながらも決して容易なことではない。しかし、中村氏はその困難に立ち向かい、従業員が安心して働ける環境を作り出すために全力を注いでいる。中村氏が描く今後のビジョンが実現すれば、業界に新たな風を吹き込み、美容師を志す若者たちや美容業界全体にポジティブな影響を与え、さらなる成果を生み出すことだろう。

中村隆昌/1974年生まれ。東海大学政治経済学部を卒業後、1996年株式会社田谷に入社。2009年より執行役員営業部関西支社長、執行役員経営企画部長、執行役員経営企画部長と管理部長を務める。2021年より取締役、執行役員経営企画本部長、管理本部長を兼任し、2022年代表取締役社長に就任。