
SNSマーケティングの領域で、インフルエンサーサービスや広告運用などを幅広く展開する株式会社サイバー・バズ。代表取締役社長の髙村彰典氏は、大手商社から黎明期のサイバーエージェントへ飛び込み、インターネット広告代理店事業にてトップセールスとして活躍した。その後、2005年には取締役に就任。5年間取締役を務め、2010年にMBO(※)を通じて独立を果たした。急成長への渇望を胸にキャリアを切り拓いてきた髙村氏に、その行動原則と、未来戦略について話を聞いた。
(※)MBO(Management Buyout):「経営陣による買収」などと訳され、企業の経営陣が株式や一部の事業部門を買い取ることを通じて経営権を取得すること。
大企業からベンチャーへの転身を促した成長への渇望
ーーこれまでのご経歴について教えてください。
髙村彰典:
新卒で、日系の大企業に入社しました。そこでは40歳で課長、50歳で部長というキャリアパスが見えていたのですが、私自身は20代前半からもっと多くの仕事を手がけたいという思いが強くありました。早いスピードで成長したいという渇望もあったのです。
そんな時、共通の知人を通じて藤田さん(現・株式会社サイバーエージェント 代表取締役社長)がインターネットの会社をつくったことを知り、話を聞きに行きました。そこで「これからの日本は、若い力とインターネットで自分たちが変えていかなければいけない」という話をされ、その言葉に感化されたのです。自分の成長したいという思いと新しい分野で挑戦できる環境が合致すると感じ、サイバーエージェントへ入社を決断しました。
ーー若いうちから急成長を望んだ原動力はどこにあるのでしょうか。
髙村彰典:
人生は一度きりなので、できる限りのことをやって「後悔の幅を小さくしたい」という思いが根本にあります。坂道に登りと下りがあるように、先に大変な登り坂を経験すれば、後は楽になります。20代のうちに多くの経験値を積んでおくことが、将来やりたいことを実現するための力になると考えていました。
個人成功から組織運営へ視点を変えたマネジメントの学び
ーーサイバーエージェントではどのような経験をされましたか?
髙村彰典:
入社後は営業として、テレアポを繰り返す日々からスタートし、1年経つ頃にはトップセールスと呼ばれるようになりました。しかし、その後のマネジメント職へ移行する際、自分一人の成功ばかりを追い求めていたため、なかなかリーダーの職に就けないという壁にぶつかったのです。その時に藤田さんたちから「仕事は1人ではできない。周りの人たちを助け、他の役割を担うことで成り立っている」と指摘されました。その指摘を受け、周りへのリスペクトが足りなかった自分を根本から見直すことになりました。
営業としての成功と、マネジメントへの移行での挫折。この両方の経験が、後に事業責任者になる上で、チームやマネジメントの苦しみを理解することにつながったと思います。
ーー社長として最も意識されていることは何ですか。
髙村彰典:
上に立ったから偉いのではなく、あくまで、役割と責任が与えられただけだと認識しています。社長という役割がある以上、社内へのメッセージ発信や、最終的な責任をすべて自分が背負うという意識は強く持っています。ですが、決して偉ぶるような行動は取らないよう常に気をつけているところです。
SNS台頭を見据えたMBO決断と独立直後の試練

ーー貴社を立ち上げた経緯と、MBOによる独立を決断された背景を教えてください。
髙村彰典:
弊社は元々、私がサイバーエージェントの役員時代にアメーバブログのマネタイズを目的とした子会社として設立しました。しかし2010年頃、iPhoneの登場と共にスマートフォンが普及し始め、Twitter(現・X)などのSNSが台頭してきたのです。個人の情報発信の仕方がブログから多様なメディアへ広がっていく可能性を感じました。自分たちがやりたいことを実現するために、MBOで独立する道を選んだのです。
社長就任後は、赤字事業の整理と、収益性が高く効果の出る自社のプロダクトの制作などに着手しました。また、社員たちも自社で採用することを始めました。子会社はどうしても親会社からの出向などに頼りがちですが、より自社のカルチャーを浸透させるためには自分たちで採用することが重要であると考えたからです。
ーーMBOの過程で、最大の苦難は何でしたか?
髙村彰典:
独立にあたり、サイバーエージェントに籍を置いたまま弊社へ出向していた社員たちに、「辞めて転籍してでも付いてきてくれるか」と問いかける必要がありました。私たちが採用したメンバーでしたが、予想以上にサイバーエージェント本体に残ることを選んだ社員が多く、独立したものの人が足りない状況になりました。そこからもう一度やり直さなければならなかったのは、精神的にかなり大きな出来事でした。
リアルな使用例が鍵を握るインフルエンサーの新たな役割
ーー現在、特に注力している事業領域はどこですか?
髙村彰典:
縦型のショート動画です。縦型ショート動画はその表現力によって、広告主と消費者のコミュニケーションの幅を大きく広げており、そのニーズは今後さらに高まっていきます。TikTokの急伸を起点に、Instagram、YouTube、LINEなど主要プラットフォームでも縦型動画フォーマットが標準化され、縦型動画はSNSにおける新たな基本形となりつつあります。
弊社は特にこの1年は、縦型動画を軸にした取り組みを重点的に強化しており、縦型ショート動画に特化した精鋭組織「タテラボ」を新設したり、TikTok上で複数の自社メディアを運営したりしています。代表的なメディアである「to buy」は総再生回数7億回を突破し、企業向けのプロモーションメニューにおいても多くの実績をあげています。
さらに、講談社ViVi事業部と共同でTikTokメディア「MYPE」を立ち上げるなど、広告主様向けに、縦型動画を活用した新しい広告メニューやコンテンツ開発にも注力しています。
これまでの広告は、いかに獲得するか、目先の売上を上げるかが重視されてきました。しかし、ユーザーもインターネットでの購買に慣れてきており、次に求めているのは「安心感」だと捉えています。その安心感を醸成できるのが、インフルエンサーの役割ではないかと感じているところです。
たとえば家具を買うとき、テレビで見る有名アンバサダーが紹介するより、自分と感性の近い身近なインフルエンサーが見せるリアルな使用例のほうが、「自分の生活にも取り入れられそう」「買ってみようかな」という動機につながります。
重要なのは、実際の使い方や生活の中でどう見えるかが分かること。インフルエンサーの投稿を通じてリアルな使用例が見えることで、商品のイメージが具体化し、自分の選択に納得できる安心感が生まれます。
その安心感を醸成できるのが、これからのSNSマーケティングで最も重要な鍵だと確信しています。
変化の予測より重要視する永続的な仕組みの構築
ーー変化の激しい業界ですが、どのようなビジョンを描いていますか。
髙村彰典:
正直なところ、10年後の事業内容を固定して考えることはしないようにしています。ガラケーがスマホに取って代わられたように、5年後、10年後を読むのは非常に困難です。それよりも、どんな変化が起きても柔軟に対応できる会社であること。そして、永続できる仕組みをつくっていくことの方が重要だと考えています。
ーー当面の具体的な目標と、その先の事業戦略をお聞かせください。
髙村彰典:
まずは、東証グロース市場の時価総額100億円という一つの目安を、5年以内に超えたいと考えています。これは顧客から価値が認められている証にもなります。そのうえで、SNS広告市場でトップの立ち位置を確立することを目指しています。将来的にはM&Aなども活用しながら、「サイバー・バズ経済圏」のようなものを構築し、会社を着実に成長させていきたいと構想しています。
ーー最後にこれからのキャリアを築く若者に向けて、メッセージをお願いします。
髙村彰典:
自分の限界を自分で勝手に決めないでほしいと願っています。若い人たちは非常に可能性を秘めているので、失敗を恐れずにいろんな挑戦をして、その可能性を伸ばしてほしいです。最近、会社に対し安定感を求める話も聞きますが、今安定している会社が20年後、30年後にどうなっているかは分かりません。本当の安定とは、何があっても動ける力、つまり自分に実力があることだと私は思います。
体力も頭も柔軟な若いうちにしかできない挑戦があります。自分の仕事をアップデートする、もう一つ上を目指すといった挑戦を早いスピードでぜひ続けてみてほしいです。
編集後記
「後悔の幅を小さくする」ために、常に大変な登り坂を選び続けてきた髙村氏。その行動原則は、黎明期のサイバーエージェントへの転職、そしてMBOによる独立という大きな決断を支えてきた。市場の変化を読み切ろうとせず、変化への対応力こそ重視する姿勢は、変化を機会と捉える強さの表れだ。SNSマーケティングが単なる認知獲得から、信頼に基づく「安心感」の醸成へと移行しつつある今、同社が仕掛ける次なる一手は、消費者の購買行動に新たなスタンダードをもたらすに違いない。

髙村彰典/青山学院大学を卒業後、商社を経て、1999年に株式会社サイバーエージェントへ入社。インターネット広告代理店事業にてトップセールスを誇り、2005年に同社取締役へ就任。5年間取締役を務め、2010年10月に株式会社サイバー・バズ代表取締役社長へ就任。2019年に東証マザーズ(現・東証グロース市場)に上場を果たす。