※本ページ内の情報は2025年4月時点のものです。

風味が良く、手土産や贈答用にも多く使われるえびせんべい。愛知県名古屋市に本店を構える桂新堂株式会社は、1866年(慶応2年)から続く老舗えびせんべいメーカーだ。伝統の味を守りながら、時代に合わせた新商品を次々と発売している。

企業理念である「ほっぺたがおちるような美味しいお菓子で笑顔をつくります」に込めた思いや、コロナ禍からの逆転劇などについて、代表取締役社長の光田侑司氏に話をうかがった。

銀行で社会人経験を積み、家業を継ぐ道へ

ーー大学卒業後に銀行に入行した経緯を教えてください。

光田侑司:
当初は銀行への就職はまったく考えていませんでした。というのも、名古屋には戻らず東京で就職するつもりでいたのに加えて、銀行の初任給では物価の高い東京で生活していけないと思っていたからです。そんな中、父から地元に戻ってきて「銀行を受けてみたらどうだ」と言われます。その選択肢があったのかと思いましたね。その後ご縁もあり、入行することにしました。

入行後は総合職として10ヶ月ほど内勤を経験した後、営業に配属されました。ちょうどその頃、リーマン・ショックの影響で多くの会社が倒産するのを目の当たりにして、経営の難しさや、外部環境の変化の厳しさを知りました。その後2011年に、家業である桂新堂株式会社に入社しました。

ーー桂新堂に入社してからのキャリアをお聞かせいただけますか。

光田侑司:
入社して最初の3ヶ月は、工場でえびせんべいの製造に従事しました。その後、商品企画の部署に配属され、徐々に店舗管理や営業も担当するようになりました。2023年からはお菓子づくりを勉強し直しながら、商品開発にも取り組んでいます。

味への徹底的なこだわりとストーリー性を重視した商品開発

ーー他社との差別化ポイントを教えてください。

光田侑司:
まずは、素材へのこだわりです。北海道にある余市漁港の近くに北海道甘えび工場を設け、活きた甘えびやぼたんえびを加工しています。また、愛知県大府市にある手焼き工場では活きた車えびの加工をしています。ここまで素材の鮮度に徹底的にこだわっているところは他にないと自負しています。

また、今では当たり前になりましたが、あられ・せんべい業界で先駆けてお菓子に季節や歳時記を取り入れたという自負があります。そのため商品開発に関しては見た目だけでなく、商品一つひとつに物語を持たせることを大切にしています。

最後に、とにかく「美味しいこと」に徹底的にこだわっています。企業理念に「ほっぺたがおちるような美味しいお菓子で笑顔をつくります」と掲げている通り、その時代にあった最高の美味しさを求めて、成功体験と固定概念にとらわれず、挑戦を続けています。

起死回生を果たすための新商品開発。自身の成長につながった青年会議所での活動

ーーコロナ禍の外出規制による事業への影響はいかがでしたか。

光田侑司:
緊急事態宣言時には店舗のある百貨店等が閉店してしまうため、営業をストップせざるを得なくなり、一時、売上は前年から98%も落ち込んだこともあります。弊社の商品は贈答用や手土産として使われることが多いため、人の移動がなくなったことで需要が一気に減ってしまったのです。

このような状況を受け、お客様の生活の中にあるお菓子屋にならなければならないと、新商品の開発や既存商品の改良に取り組みました。そこで生まれたのが「味わう和」シリーズや定番商品の改良です。

「味わう和」シリーズは、えびとのマリアージュをテーマにアーモンドやチーズ、ショコラを組み合わせたえびせんべいをご自宅で楽しんでいただける身近な商品として好評いただいています。

また、定番商品である「炙り焼き」や「姿焼き」も、2020年以降は毎年改良を続けています。こうした商品開発に力を入れたほか、百貨店だけでなくECをはじめとする新しい市場での販売を強化した結果、2025年3月期で過去最高売上を更新する見込みです。現在も美味しさにこだわりながら、お客様の身近にある商品をつくることを心がけています。

ーー経営に必要なスキルや知識はどのように身に付けてきたのですか。

光田侑司:
経営者としての学びは、さまざまなセミナーや勉強会に参加しながら学んできました。それ以外では、名古屋青年会議所に入り、多くの人と出会い、多くの学びと成長の機会を通じて、人として成長できたと思います。入会したきっかけは、先輩でもある父の勧めで2013年に門をたたきました。

銀行を辞める際に上司から「これからお前を注意してくれる人はいなくなるからな」と言われ、その後、家業に入ると上司が言った通り、父以外の人間から面と向かって怒られることはありませんでした。

一方で青年会議所では、実際に活動する中で多くの先輩から叱咤激励され、数えきれないほどの失敗を繰り返しながら、成功もあり、大変人間的に鍛えられました。ここで教えられたことは、自分の血肉になっています。

もうひとつ得られたものは、多くの友人です。利害関係のない友人が全国にできました。青年会議所での出会いをきっかけに企業間のコラボレーションなど、新しい取り組みを実施できました。

徐々にファンを増やし、人々から親しまれる菓子メーカーでありたい

ーー人材育成についてはどのような取り組みを行っていますか。

光田侑司:
3年ほど前から「桂新堂大学」という社内教育プログラムを立ち上げました。販売スタッフ向けの接客研修など、体系的に学べる場を設けています。現在は、工場での生産管理、品質管理やマネジメントスキルなど、社員一人ひとりの成長を支援する仕組みづくりを進めています。

ーー最後に今後の事業展開についてお聞かせください。

光田侑司:
急いで高い売上を目指すのではなく、木の年輪の様に成長し続ける企業を目指しています。弊社の商品の良さを知っていただきながら、少しずつファンを増やしていくのが理想です。

既存の取引先との関係を大切にしながら、国内でも店舗のない地域も多くあるので、新しい取引先の開拓や、既存取引先との取引の拡大を目指します。また2024年に香港にて海外初の1号店がオープンしました。国内外を問わず、世界を広く見ていきたいですね。

編集後記

コロナ禍の苦しい状況を何とか打破しようと、消費者が求める商品を提案し、見事に業績を回復させた光田社長。消費者のニーズを読み取り、時代の変化に合わせた商品開発をしたからこそ、今の成長につながっていると感じた。桂新堂株式会社はこれからもえびせんべいの味を追求しつつ、消費者に寄り添った商品を提供し続ける。

光田侑司/1983年、名古屋市出身。2006年に立教大学を卒業し、同年に株式会社名古屋銀行に入行。2011年に桂新堂株式会社に入社し、2024年に代表取締役社長に就任。青年会議所の活動にも注力し、2020年に公益社団法人名古屋青年会議所の理事長、2022年に公益社団法人日本青年会議所の副会頭を歴任。