
株式会社満一は、博多・久留米に起源を持つ、とんこつラーメンと餃子が売りの「満洲屋が一番」の運営会社だ。現在は海外向けブランド「RAMEN MANICHI (ラーメン満一)」をはじめ、「博多豚骨ラーメン」を提供する「博多ちょうてん」など、複数のブランドを展開する。
祖父の代から続く店を引き継ぐことを決めたきっかけや、全国展開を果たすまでの道のりなどについて、代表取締役社長の田中實氏にうかがった。
祖父から続く味を守るべく、店を引き継ぐことを決意
ーーまず幼少期から家業を継ぐまでのエピソードをお聞かせいただけますか。
田中實:
今の店の原点である「満洲屋」は、祖父が餃子の屋台から始めた店です。その後、父が開発した「とんこつしぼりラーメン」が看板メニューとなりました。父が店を継いだときには1階に店があり、私たち家族は上の階で生活していました。
私が経営者として事業を拡大する原動力になったのは、幼少期の体験にあります。小学校4年生のときに自宅の風呂を工事することになり、私は「きっと、大浴場のような大きなお風呂ができるのだろう」と、完成をわくわくして待っていたのです。
ところが、出来上がったのは一般的な大きさの浴室でした。自分の想像と違ったため、がっかりすると同時に、将来お金持ちになって大きなお風呂のある家に住むことが、私の夢になったのです。このときの思いがモチベーションとなり、事業を大きくできたのだと思います。
その後、中学3年生のときに父が亡くなり、母が店を切り盛りするようになりました。私は高校を卒業後、博多ラーメンの全国チェーン「一風堂」で働き始め、河原社長(現会長)と出会ったのですが、私は厳しい環境に音を上げて1週間で挫折してしまったのです。
一方、家業の方は父の味を求めていた常連客がいなくなり、まさに風前の灯火でした。一風堂を辞めた後、仕事を転々とする生活を送っていた私でしたが、20歳の頃に母が店を辞めると言い出したのを機に、自分の手で満洲屋の味を守りたいと思い、店を継ぐことを決意したのです。
こつこつと地道な努力を重ね、全国区のラーメン店へ

ーーそこから全国展開する繁盛店になるまでの経緯を教えてください。
田中實:
何とか店の経営を立て直そうと、試行錯誤しながらラーメンの改良に取りかかりました。父が考案したとんこつしぼりラーメンをベースに、クリームシチューのような濃厚さを出そうと考え誕生したのが、現在の看板メニューである、豚のミンチと背油が入ったとんこつラーメンです。当時ミンチ入りのとんこつラーメンを出している店はなく、他との差別化になりました。また、「ラーメン店で一番を目指したい」という思いを込めて、店名を「満洲屋が一番」に改名したのです。
その後、餃子の屋台から始まったルーツを活かし、「池袋餃子スタジアム」に餃子専門店を出店しました。さらに、全国放送された「餃子日本一決定戦」で優勝したのを機に、全国の方に認知されるようになったのです。
また、多店舗展開すべく、ラーメンテーマパークや百貨店の催事場、大型複合施設への出店を積極的に行いました。その結果、国内で45店舗もの直営店を持つまでになったのです。
ーー事業を拡大していく中で、ご自身の励みとなったエピソードをお聞かせいただけますか。
田中實:
久留米のラーメンフェスタに出店した際、かつて私が働いた一風堂の河原社長と再会を果たしたことが、励みになりました。短期間しか働いていないにもかかわらず、河原社長は私のことを覚えていてくださったのです。再会後、イベントに呼んでいただいたり、海外出張に同行させていただいたりしました。
ラーメン業界の常識を変えた方の近くで学んだ経験は、私にとって大きな刺激となりましたね。
創業者の味を引き継ぐ親子のリレー。海外展開に注力するようになった大きな転機
ーー貴社の強みを教えてください。
田中實:
祖父から父、私、そして息子と、4代にわたって店の味を守り継いでいる点ですね。この店は、祖父母が満州で現地の方から餃子のつくり方を教わったことが、立ち上げのきっかけになり、開業してから今に至るまで、餃子づくりを続けています。また、父の代から継ぎ足しながら使い続けているスープも店の要です。
餃子の製造は途中から工場生産に切り替えましたが、最近はまた原点に立ち返り、本店で手づくり餃子を提供しています。これからも祖父や父から引き継いだ味を大切にしたいですね。
ーー国内だけでなく海外にも出店されていますが、海外展開に力を入れ始めたきっかけは何だったのですか。
田中實:
海外への出店を強化したきっかけは、東日本大震災でした。ちょうど関東への出店を進めていたときに震災が発生し、その影響で経営がままならない状態が続いたことから、海外に目を向けるようになったのです。
最初はハワイに3店舗、そしてロサンゼルス、その次にカンボジア、そしてフランスに3店舗、バンコク、オーストラリアに出店しました。その後はスイス、シンガポール、中国、香港、フィリピンから出店依頼が来ていましたが、コロナ禍で話が止まっている状況でした。現在、各国で情勢が回復してきたので海外出店を進めていく予定です。
これからもこのブランドを起点とし、世界の人々に満洲屋の味を伝えていきたいと考えています。
大切なのは感謝の気持ちと、果敢に挑戦していくこと
ーー経営をする上で意識してきたことをお聞かせください。
田中實:
これまで「従業員の夢を叶える手助けがしたい」と思い、日本一の店を目指してきました。今でも従業員が高い目標を持ち、成長できる環境づくりを心がけています。また、後継者となる息子にも、とにかく失敗を恐れずチャレンジさせるようにしています。
私が好きなのは、「自分が思い、考えたことを現実化する」という言葉です。従業員たちには、とにかくすぐ行動に移すよう言い聞かせていますね。
さらに、感謝の気持ちを持つことも大切にしています。両親の教えで小さい頃から続けている習慣が、寝る前にその日のことを振り返り、お世話になった人を思い浮かべて「ありがとう」と口に出すことです。従業員たちにも、お客様や一緒に働く仲間に感謝の気持ちを伝えるよう指導しています。なぜなら、他者に感謝することは、学歴や経歴よりも大切なことだと思うからです。
さらに、私のモットーが、「ネバーネバーネバーギブアップ!」です。コロナ禍では大打撃を受け、オーストラリアや中国の店舗は閉店に追い込まれましたが、「絶対に、絶対にあきらめない」という気持ちで乗り越えてきました。
これから先も何があっても途中で投げ出さず、最後までくらいついていきたいと思っています。
ーー最後にメッセージをお願いします。
田中實:
小さい頃のワクワクする気持ちを忘れず、「自分はこうなりたい」というイメージを持ち続けてください。私は従業員にも「自分の夢を紙に書いて、見えるところに貼っておきなさい」と伝えています。大人になっても夢を持ち続け、実現に向けてどんどん行動してみてください。
編集後記
「“これで完成”はない。常に改良を重ね、より良いものを追求し続けることが大切」と語る田中社長。全国展開を成し遂げ、世界進出を果たしてもなお、さらなる高みを目指す姿勢こそが、エネルギーの原動力なのだと感じた。株式会社満一は、これからも代々引き継いできた味を守りながら、さらなる進化を遂げることだろう。

田中實/1975年福岡県久留米市生まれ。久留米商業高校卒業後、20歳のときに家業を継ぐ。1999年に株式会社満一を設立し、代表取締役社長に就任。