
1991年に設立された株式会社アクアスター。優れたイラストレーターを多数抱え、絵コンテやゲームイラストの制作事業、版権事業の企画・マーケティングといったワンストップ・ソリューションで成長してきた会社だ。現在はデジタルクリエイティブ事業として、ビジュアル製作にデジタル技術を掛け合わせたコンテンツを展開している。代表取締役社長の原田弘良氏に、起業した経緯や主な制作実績、今後の展望をうかがった。
多くの苦難を乗り越えてイラスト制作会社を設立
ーー起業に至るまでの経緯を教えてください。
原田弘良:
大学時代に学生起業で成功した経験が大きいですね。友人が開発したPCソフトを世に出そうと、仲間を集めたところ、秋葉原の量販店ですぐに取り扱いが決まったのです。「ハンドピック」と名付けたデータ移行ツールは、パソコンの黎明期だった当時に大きな話題を呼びました。
大学卒業を機に仲間たちは就職するとのことで、マスコミ系に興味のあった私はテレビ局へ入社しました。再び起業することを夢見て、入社2年目から通い始めた自己啓発セミナーで、絵コンテ制作会社の社長に出会ったことが一つの転機です。彼に「君を新設する子会社の社長にしたい」と言われ、転職を決めました。
入社後は役員を任されたものの、子会社をつくるというのは私を引き抜くための嘘でした。業界のノウハウを得ていずれ独立しようと思考を切り替えましたが、労働環境も非常に劣悪で限界を感じ、「社長以外のみんなで独立しましょう」と全社員に呼びかけました。多くの賛同を得ましたが、実現に至らず、単独で独立して事業を始めました。それが今のアクアスターの前身です。
ーー独立後の印象的なエピソードもうかがえますか?
原田弘良:
弊社の事業は、東京芸術大学で声をかけたイラストレーターと、私を含む7人でスタートしました。仕事を順調に増やす一方で、初期投資の費用がかさみ、資金繰りに苦労しましたね。
支援を依頼した造園会社の社長に、土下座したことも覚えています。厳しい言葉をいただきましたが、懐が広い彼はその場でポンと300万円を差し出し、弊社の窮地を救ってくれたのです。
ビジュアル制作事業にデジタル要素を加えてパワーアップ

ーー現在の事業内容と強みを教えてください。
原田弘良:
デジタル広告の代理店として、ビジュアルとデジタルの力を掛け合わせたサービスを展開しています。売上の半数は、絵コンテ制作から派生する「ビジュアル案件」で、近年は「デジタル商材」と称したAR・VRコンテンツの制作にも取り組んでいます。
ビジュアル案件の例としては、コンビニなどで販売される漫画・アニメ作品のコラボ商品がわかりやすいでしょう。弊社は、これまで多数のコラボ商品の企画・制作に関わってきました。アニメ会社が請け負い切れない販促物の企画は、制作委員会を通して広告代理店に流れてくることがほとんどなのです。
最大の強みはビジュアル面のクオリティです。弊社のように、イラストレーターを社内で雇用している広告会社は非常に稀だと言えます。そこにデジタルの要素を加えることで、大手が参加する競合コンペでも案件を勝ち取れるようになりました。
ーーどのような企業から依頼があるのでしょうか?
原田弘良:
通信キャリアや鉄道会社、電力会社、お菓子メーカーなど、国内の大手企業様が中心ですね。ビジュアルコンテンツは企業のブランディングにも効果的なので、大手だけど一般には知名度の低い企業と特に親和性が高いと感じています。
たとえば、企業PRのチラシにARアニメーションを再生できる二次元バーコードを載せたところ、入社希望者が急増したという事例があります。弊社としても、超優良企業にもかかわらず、採用活動でお困りのナショナル企業を積極的にサポートしていきたいところです。
企画プロデュース力を高めて業界を牽引する企業へ
ーー今後の展望をお聞かせください。
原田弘良:
営業面の人材を充実させたいと考えています。ヒアリングを通してお客様とゼロからコンテンツを作る仕事なので、営業担当には企画全体をプロデュースする能力が求められるのです。
また、将来を見据えた成長戦略を進めており、その一環として上場も視野に入れています。若手社員が子会社の社長として活躍する場をつくることは、私の大きな夢の一つです。M&Aや子会社戦略を通じて、事業の可能性をさらに広げ、長期的な成長を実現していきたいと考えています。
私たちの仕事は衣食住に必須ではないため、広告・ゲーム業界内におけるピラミッド自体が小さく、頂上付近にいないと生き残れません。多彩なコンテンツで人々に活力を与えるためにも、「一番星として明日の生きる力となる」というビジョンを体現し、業界のトップを維持し続けたいと思います。
ーー社員や新社会人となる方へメッセージをお願いします。
原田弘良:
新人研修では「自分の人生は自ら切り拓く」というキーワードを必ず伝えています。私の生い立ちにひもづく持論であり、酒乱の父親の暴力から逃げ続けた昔のトラウマが根底にあります。
母は、私と二人の妹を連れて転居を繰り返しながら、一生懸命に働いてくれました。小学生の頃に母の新聞配達を手伝い始め、自分たちが常に断崖絶壁の淵に立っていると感じてから、「何があっても後退はしない」という感覚が身に付いたと思います。
自身の過去をふまえて、皆さんには「つらかった経験を活かして、人生を切り拓いてほしい」というエールを送ります。
編集後記
過酷な生い立ちと、独立するまでの困難を語ってくれた原田社長。マスコミ業界と起業家向けセミナーで培った人脈やノウハウを活かし、立ち上げたビジュアル製作事業は時代のニーズと見事に合致した。イラストというコンテンツはブランディングに大きな力を及ぼすことから、幅広い企業をサポートする存在となった。「アクアスター」という星は輝きを増しながら、この先もより多くの案件を手がけ、人々を魅了していくはずだ。

原田弘良/1963年生まれ。中央大学を卒業後、大手民放テレビ局に入社。1991年に独立し、有限会社アクアを設立。代表取締役社長に就任。2021年、株式会社への改組と「アクアスター」への社名変更を経て、現在に至る。