※本ページ内の情報は2024年8月時点のものです。

プラスチック加工業界では、原材料価格の高騰や廃プラスチックに対する環境規制の強化など、特に中小企業を取り巻く環境が、いっそう厳しくなっている。そんな中、京都市に本社を置く株式会社ベルアンドケイは、プラスチック加工と車両を通した地域サービスという2つの事業を軸に成長を続けている。

創業47年目を迎える同社の代表取締役社長兼CEO・本田欣也氏に、21歳で事業を承継してから現在にいたるまでの道のりと、今後の展望について聞いた。

21歳での事業承継と、再建への決意

ーー突然、会社を引き継ぐことになったそうですね。

本田欣也:
高校卒業後、鉄工所に就職して1年半ほど経った頃、父から「会社を畳むことになった」と告げられました。当時、父の会社は創業から10年ほど経っていましたが、債務の支払いができない状況になっていたのです。破産するか、借金を抱えながら周囲の協力を得て再生するか。2つの選択肢がありましたが、「会社を再建し、私が経営を担う」と決意しました。

人に迷惑をかけたくない、親父を破産者にはしたくはないという一心でしたね。結果としてうまくいきましたが、周りの人たちの大変な努力があったおかげだと思っています。

ーー再建の過程はどのようなものだったのでしょうか。

本田欣也:
仕入先に支払いを待ってもらうなど、とても苦しい時期がありました。そんな状況にもかかわらず、数人の従業員が残ってくれたのです。家の前の駐車場と隣の古い木造建屋で、従業員に仕事を教えてもらいながら新たなスタートを切り、その半年後には社長に就任しました。

当時はバブル時代だったこともあり、黒字化までは意外と早かったですね。社長になって1年半が経過した頃から急激に仕事が増えて、負債を全額返済するまでにはいたりませんでしたが、仕事を断らなければならないほど忙しくなりました。

「ベルクシー」と「ケイルック」という車事業の両輪

ーープラスチック加工から、新事業としてトラック事業を始めましたね。

本田欣也:
自分が本当にやりたいと思う、憧れの仕事との出会いが、新事業のきっかけでした。プラスチック加工の仕事を約6年間、続ける中で、「このままでいいのか」という思いが芽生えていたのです。

会社の経営革新のために、グループカンパニーにしたいと思っていたことも、新事業を立ち上げる後押しとなりましたね。異なる事業を独立させることで、それぞれの専門分野で高いクオリティの仕事をすれば、経営効率も高めることができると考えました。

具体的には、もともと車にかかわる仕事に興味があったので、運送業を始めることにしたのです。昼間はプラスチック加工会社の営業を続けながら、夜はトラックで配達を行うという、二足のわらじを履くことにしました。

しかし、トラックドライバーを募集している会社に営業しても、個人の採用でなく企業との取引を新たに開始することは難しいと断られてしまう日々。それでも諦めずに多くの企業と交渉を重ねて、夜9時から朝6時までのコンビニエンスストアなどへの配達を請け負うことができました。弟や新しい仲間と3人で分担し、睡眠時間を削りながら熱意で乗り切りましたが、体力的にはかなりきつかったですね。

その後、ドライバーの営業として物流会社を訪問したとき、トラック運転手の募集はしていないものの、貸切バスの運転手を募集していると聞いたのです。貸切バスのドライバーの派遣を手がけたいという気持ちと人の命を預かる責任の重さとの間で悩みましたが、弁護士さんに相談しながら様々なハードルを乗り越え、トラック事業からバス事業へと転換していくことになります。

ーー2つの事業について、内容を教えてください。

本田欣也:
まず、現在「ベルクシー」では、半導体関連、電子デバイス系、宇宙工学系、医療関係、さらにEV電池関連と、それぞれの業種で、製造を担当している産業設備メーカーと取引しています。もともと電話帳を見て飛びこみ営業をしていましたが、展示会に出店してご縁をいただき、お取引先の業界を広げていく、今でいうマーケティング営業の始まりへとシフトしていきました。

また、バス事業である「ケイルック」は、バスのドライバー派遣から、給油や車検、保険の管理まで、おこなっています。バスを所有している会社のドライバー派遣から始めました。その後、規制緩和で中小企業でもバスを所有できるようになり、観光バスや地域の路線バスなども手がけるようになっていったのです。今では60台以上の車両を所有し、別に約150台となるお客様の車両のオペレーションもしています。

マーケティングと技術力で未来を切り拓く

ーー今後の目標や展望をお聞かせください。

本田欣也:
今の時代、単なる販売営業や技術営業ではなく、マーケティングをしっかりとおこなっていく必要があります。どのようなお客様にアプローチして、どのように期待に応えていくのか。それを重視しながら、総合的にマーケティングをおこなっていきたいですね。そのためには、お客様の要望を理解し、何を求めているのかをしっかり探る人材を育てていくことが重要だと考えています。

また、自動車産業が大きく変わりつつある中で、将来を見据えた取り組みを始めています。たとえば、電気自動車の普及に向けて、今までにはなかった車の構造部品を私たちがいち早く提供できるよう、お客様から情報を得て試作を進めています。

また、展示会への出展にも力を入れていますね。研究開発を担当する新たな人たちと出会い、仕事に一緒に取り組んだり、新しい技術にチャレンジしたりしています。ここ15年くらいは、そういった活動が増えてきました。

ーー最後に、経営者としての心構えをお聞かせください。

本田欣也:
時間をしっかり大切にして生きることです。遊びも仕事も、一つのことにしっかり取り組み続けること。そうすれば必ずどこかで結果が出て、行き詰まっても乗り越えられるし、つまずいても起き上がればいい。だけど行動を起こさなければ何も始まらない。与える人にはいずれ与えられるものがあるという思いと感謝の精神を忘れないようにしていますね。

編集後記

本田社長の半生をうかがい、その決断力と行動力に圧倒された。21歳で会社再建という重責を担い、そこから新規事業に挑戦し続ける姿は、まさに企業家精神の体現といえる。特に印象的だったのは、「与える人にはいずれ与えられるものがある」という言葉だ。困難な状況でも前を向き、周囲への感謝を忘れない本田社長の姿勢が、これからも同社の成長を導いていくだろう。

本田欣也/1966年、大阪府寝屋川市生まれ。1985年、平安高校を卒業。1987年、株式会社ベルクシーの代表取締役社長に就任。1993年、株式会社ケイルックの代表取締役社長に就任。2023年、株式会社ベルアンドケイの代表取締役社長兼CEOに就任。